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 4:15pm Monday, August 27
 細長く続く廊下を進んだ。おれの前には、メッセンジャー役をした男が一人先に立って静かに進んでいた。
 深い赤の壁。
 細い金の透かし模様が入念に施されて、ところどころ計算され尽くしたリズムで両側にエッチングが掛けれれていた。
 それに紛れて素描とスケッチ、有名すぎる画家のタッチであるとすぐに判る。
 何枚もの扉の前を通り抜け、うんざりとし始める自分がいた。
 
 ドナレッティの爺さんの自宅、というからにはどうせ郊外の要塞じみた建築物か、ローマンスタイルの屋敷かとも思ったが。
 意外なことに、いまのところは。マンハッタンに住む桁違いのジューイッシュの金持ち共の家と大差ない。
 ただ、壁の厚さが違うといえば違うのか。
 
 ファミリ・ルームと思しき扉の横のスケッチに勝手に視線が流れた;
 明らかに、画家の描く素描とは異質なもの。
 木炭、というよりは…色鉛筆で引かれた太い線がくにゃくにゃと奇妙なモノを描いていた。
 
 ご丁寧に、その物体の説明が横に同じ線で書かれていた。『DAG』。
 そして作者のサイン、『ASE』。スペルが違うぞ、「エース」。あンた、ガキのころから自分の名前も犬も書けなかったのか。
 や、もしかしたら。犬じゃなくて、『DAD』か?
 
 きちんと額装されたソレをまじまじとみつめるわけにもいかず、目線を流したまま通り過ぎた。
 じーさんにでも後で聞いてみるか。
 おれにはアレは犬にみえるな。
 
 そして、右後ろからペルが、そうっと言って寄越した。
 「犬じゃありませんよ」
 ――――フン。
 
 
 メッセンジャーの男が、最奥の扉の前で止まった。着いたか。
 かすかにノックする音が分厚いクッションに吸い込まれていく。
 入れ、と機械で再生された声がおれたちを招きいれた。
 
 ジイ、とモータ音が低く唸り、ドナレッティのじーさんが天井まで届く窓辺から振り向いた。
 車椅子が軽く回転する様を見た。
 部屋には、ガードが4人。
 そして、最初に会ったときに一緒に連れていた部下が2人。
 あとはじーさん一人きりだ。
 
 「ご無沙汰をいたしておりました」
 年長者には礼節を。
 生き返ったばかりの身にはそれくらいしておくか、保険だ。
 
 じーさんの皺の奥の灰色、それがちらりと色を乗せた。
 面白がってでもいるか。
 「長生きはするものだな、珍しいものを見る」
 声の名残が告げてくる。
 
 「おまえの父親は私の気持ちがわかると言っていたが、さてどうしたものか」
 「二度ほど、実際"死んだ"そうですよ、いまはこうしておりますが」
 ひらり、と右手を上向けていた。
 その手の動きを目で追った。
 
 「噂のままでおりましたのに、ミスタ・ドナレッティ。あなたの目はなにもかもお見通しですか」
 「こうして沈んでおると、張った糸から自ずと全てはここに集まるものだ」
 ぜい、と喉を空気がすり抜けていった。わらったのだろう。
 「アレもよい後継ぎを持ったものだ」
 
 あのイカレ親父を「アレ」扱い。この男はやはり妖怪じみているな。
 「あなたの築かれたものも、」
 「おまえが看る、と言うか」
 重力が、この死にかけた男の周囲を歪めた。それほどの――――
 
 後ろで、かすかにペルが神経を跳ね上げたのが伝わる。
 「他に誰がおりますか」
 また低く唸るモータ音があがり、染みの浮いた手がおれに向かって振られた。
 「座れ」
 クラブハウスにあったものと同じ、ただあれよりは価値の桁がちがう一人掛けを示された。
 
 ペルは、すうと一歩引きそしらぬ顔で背後に立ったままだった。
 ドナレッティの後ろに従う男も。腕から繋がるチューブのスタンドを持ち足音も立てずに移動する。
 
 「私には後を継ぐ者がおらぬ」
 幹部の顔を浮かべた。適任と自分で思い込んでいる男はいるな。
 いや、正確には。「いた」か。
 「おまえが引き浚って行ってしまった」
 返答は、笑み。
 いえ、あなたの所のあの男が、おれに噛み付いた犬と同じだっただけですよ、と。
 
 「ミスタ・ドナレッティ。いまは夏ですからね、遺体の傷む前に動く必要があったのです」
 "おれ"のね。
 喉を空気が引き毟って上がっていき、爺さんの後ろに控えていた男がかすかに焦りの色を浮かべた。
 ボスが笑って死んだなら、おまえの責任問題だ、無理も無い。
 
 「よかろう、」
 揺れる声が言った。常ならば、笑いに掠れてでもいるのだろう。
 
 「私の息子はおまえを好いていた」
 すう、とドネレッティの目元が僅かに和らいだ。
 突然の転調に目を見つめる。―――こんどは何だ?
 あンたのところの幹部を殺した若造をどうしようって―――?
 
 「私には孫がいる。籍は抜いているがな」
 息子は一人きりだったから、妾腹か。
 それはいるだろうさ、なにしろ。エースはこのじーさんが60近くで初めて出来た正妻のコドモだった。
 初婚なわけもないがな。
 
 眼差しで先を促がす。
 「孫娘だ」
 ―――――キヤガッタか?
 す、と男が。じーさんの手に写真を持たせた。
 ちらり、とハニィブロンドが視界に掠める。どこかで見知った色に似て―――
 
 「変わり者でな、」
 これに返事をするわけにはいかない。
 笑み。
 「大学に引きこもって政治学などをしている」
 カチ、と意識の隅で何かがクリックした。
 符号が2つ。
 
 「両親が好きに育てた所為か、如何せん慎みが足らんが」
 御大がおれに目をあわせてきた。
 「おまえに遣ろう、似合いだ」
 す、と。
 枯れた腕が伸ばされた、おれの前に。その指先に写真を挟み。
 写っていたのは。
 
 
 
 
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