11:30 am August 29 Wednesday
きぃ、とドアが開く音がした。
眩しい外の光を背負い込んではいてきたのは、長細いシルエット。
両脇になんだか大きな荷物を抱えているリカルド。
「サンジ、荷物」
あ、受け取れって?
「届いてたよ」
「…オレに?」
誰だろう?
にか、とリカルドが笑った。
「オマエのニーサン、おっかねェかも」
「うーん…優しいよ?」
「オレには雷だったよ」
青白い稲光がドドーンと、だって。
「そっかなあ?…うん、まあ怒ると怖い。確かに。ごめんなさい、リカルド」
頭を下げると、空いた片手で頭を撫でられた。
「仕方ないさ」
見上げると、にか、という笑顔とかち合った。
……うん。
リカルド、最近いい顔で笑うね。
とてもステキな笑顔だ。
全身に力が漲っていて、飛び立つ鳥のようだよ。
「サンジ、アルトゥロは?」
「あ、リトル・ベアは今、裏に行ってる」
すい、とキッチンの奥を示すと。
「わかった」
とん、と荷物をソファに置いて、向っていっていた。
視線を渡された包みに落とす。
……あれ?セトの字じゃないや。
プリント?……本屋???
紙紐をナイフで切ってから、茶色の包装紙を破く。
重たいソレ、中身は結構硬くて……
「本だ」
ハードカヴァの本が1冊と、雑誌が1冊。
雑誌には、すい、とポーズを決めたセトが表紙に載っていた。
文字を追う。
「Pointe」…ああ、雑誌名か、コレ……「セト・ブロゥ特集、ロンドン発プリンス・チャーミングの見せ技」「ロンドン、パリ、トーキョー、3都市での王子を追った」……
「王子?」
セトが王子?…よくわかんないなぁ。
ま、いいや。
ハードカヴァを見る。
タイトル、「Apsara's Garden(アプサラーの庭))。
Photographed by Andrew McKinley…写真家、アンドリュウ・マッキンリー
……あーあ!セトのこないだの、カフェで中指立ててた写真撮ったヒトだ!!
プロだったんだ?
何かを話しながらリトル・ベアとリカルドが戻ってきた。
「あ、リカルド。兄貴ってこういうヒト」
すい、と「ポワンテ」を差し出すと、おや、とリカルドが眉を跳ね上げた。
「……想像してたのと違うね」
「うん?」
「なぁ、アルトゥロ?」
リカルドがリトル・ベアを見遣った。
すう、と目を細めたリトル・ベアが、肩を竦めた。
「クーガの兄がレパードだったからどうした?」
「……や、そういう意味じゃ…」
すう、とまたリカルドが雑誌のカヴァに目を落とした。
「すごい完成されたバランスのヒトだね。足が恐ろしく長い」
「ダンサァだからね」
オレの応えにふぅん、と笑って。リカルドがぱらぱら、と中を捲っていっていた。
「うーわ………びっくり」
「これはすごいな」
リカルドとリトル・ベアが、一枚の写真を見ていた。
ひょい、と手元を覗き込むと。
両足を前後に開脚して、すい、と腕を伸ばして跳ぶセトの写真。
「「エネルギィに溢れているな」」
同時に聞こえた感想。
すい、と二人が目を見合わせていた。
くう、とリトル・ベアが笑う。
「シンギン・キャットの兄だしな」
「なんか、オレ、もうちょっと甘いマスクのヒト想像してたんだけど…すっごいシャープだね」
化粧抜きにして、ってリカルドが言い足していた。
「ああ、でも。この顔はハントするレパードって感じがする」
リカルドの指先には、身体を縮こませたまま、視線だけをカメラに向けている一枚。
「フォーカスを目に置いてるからか…ああ、すごいアクアマリンみたいな目だね」
リカルドが、なにか写真を分析しているみたいな目線になっていた。
…ふぅん?
「あ、もう1冊ある。こっちはセトの親友のアンドリュウが撮った写真集」
手渡すと、リトル・ベアがすい、と眉を引き上げた。
「なるほど、"アプサラー"とはな」
「…??」
どういう意味だろう、そういえば?
「カンボジアの、確か踊りの女神たちのことを言う。正式なダンスの名称でもあって、それはアプサラー・ダンスという」
「……あーそうか。アルトゥロ、そっちが専門だったもんな」
「オレの専攻はアメリカ・インディアンの文化だよ」
「…カンボジアってドコだっけ、サンジ?」
「え?場所はサウス・エイジァだけど…それ以上はオレ知らないよ?」
サウス・エイジァだから…亜熱帯なのかな、気候は?
「テーマがサウス・エイジァとダンサァなのか…」
リカルドの呟きに頷く。
「アンドリュウのテーマが確か、芸術の女神たち、だった気がする」
すごい前に、そういえばそんなテーマで写真を撮ってる友達がいるってセトが言ってた。
そっか、それってアンドリュウのことだったんだねえ。
「美がテーマなのか…」
…美?
だったらなんでアンドリュウ、セトを通してオレなんかをモデルにしたい、なんて言ってたんだろうね?
「中見よう」
すい、とリカルドがテーブルに座った。
オレの隣。
背後にはリトル・ベア。
カヴァは、どうやら石造りの亜熱帯地方にある建築物で、
「アンコールワットだな、それは」
…リトル・ベアって物知り…。
薄いカラフルな布を巻いたバレリーナ。すい、と指を曲げてポーズ。
「あ、これは明かるさが違うな…スタジオ撮りかな?」
リカルドが、ふぅん、って言ってた。
……リカルドも物知り…。
「ああ、このコ、すごいキレイだね」
エィジアンなバレリーナ。黒い髪のコ。
石畳の庭、噴水に手をかけて、足をすい、と上げていた。
「この布地…カラフルでキレイだけど、薄いね」
「一応あちらの民族衣装を頭に置いてデザインされたものらしいな」
……だから、リトル・ベアって物知りだってば…。
次は男性が二人。
片腕を絡ませて、違うポーズを取っていた。
「ふぅん…シャッタースピードどれくらいだろうね」
…オレに訊かないでよリカルド…。
「あ…セトだ」
次のページ。
短い髪のセトが、オールバックにして…化粧してるね?
でもいつものと違う…なんか…うううん?
「"キレイな妖精"ってところか、さしずめ」
リトル・ベアが笑った。
上半身は裸。腰より少し下で布地が巻かれている。
反った指はなにかのポーズを決めていて。
両手首、足首には金のワッカ。
「ヒトって感じがしないな、」
リカルドが小さくため息を吐いた。
「上手いカメラマンだね。生々しさがない」
…生々しさ……ってどういうんだろう…?
次の写真。
熱帯雨林の木々の中で、踊る一組の男女。
「インドのみたいだな」
「系列的には繋がりがある」
交わされるリトル・ベアとリカルドの会話。
…なんか…二人とももしかして、オレが見ているのとは違う風にコレを見てるのかな?
そのままゆっくりと一枚一枚を見ていく。
ふいに指が止まった。
「…………すっげぇ」
リカルドが呟いた。
「…ふむ。確かに」
リトル・ベアがくう、と目を細めたみたいだ。
開けた先には、赤い花びらがいっぱい散った浅いプール。
頭から濡れたセトが、目を閉じたまま裸の上半身を曝していた。
水のライン、腰下で……うううん、いいのかなあ?
「…すごいな、カメラマン」
リカルドが息を呑んだ。
「際どいのに、あくまで芸術だ、この写真」
やっぱり生々しさがない、と。
リカルドが呟いていた。
「ああ…友達と言っていたからだろう」
リトル・ベアが笑った。
「信頼関係がしっかり成り立っているからだな」
……そういうのって、読み取れるものなの?
次のページ。
「うーわぁ…」
ってオレが思わず嘆息。
今度は斜め下に見下ろすアングル。
胸の上からの一枚、セトのアップ。
「アイラインが黒だから、見方一つで聖にも悪にも見えるな」
リトル・ベアが目の淵を指し示して言った。
「確かに、"精霊"的ではあるな」
宝石よりキレイなセトの薄い青の目が、オレを見ている。
感情は読み取れない、オレには。
リカルドは、照明の位置を割り出そうとしていた。
敢えてセト自身を見据えてはいないみたいだ。
次のページ。
あ、ええと…これはセトと同じカンパニの……ヴィクトールと、セトと、…リリアン。そう、リリアン。
男性と、無性と、女性…に見える。
四肢が絡み合っているのに、一つの…オヴジェみたいだ。
石畳の庭と、鮮やかな緑に映える白い肌。
ダークヘアのヴィクトールと、淡い金のセトと、甘いブルネットのリリアンが、コントラストを彩る。
鮮やかな青や赤の衣装が、ちっとも派手に見えない。
ぱらぱら、と最後まで目を通した。
他にもセトの背後からだけのショットや、他のダンサァたちのきれいにポーズを取っている写真がいっぱいだった。
うううん、すっごいものを見ちゃったなあ……
なんだか…うん。
確かに"アプサラー(踊りの女神)の庭"だ。
リトル・ベアは、何事も無かったかのように、ランチの支度に入っていく。
取り残されたオレとリカルドは、はあ、とため息を吐き合った。
「……なんか。オレがいつも見てるセトと違いすぎた」
オレがそう言うと。
「カメラマンが優秀なんだ…素材がいいのを更に引き出している」
リカルドが、くう、と表情を引き締めた。
すい、と顔を上げると、リカルドの茶色い瞳とがっちりと合った。
「……やってみるか、サンジ?」
「ウン」
こつ、と腕を合わせあう。
「ランチ食べたら、開始な」
「わかった。今日は文句言わない」
ディテールを省いても、リカルドと会話が成立している。
こくん、とリカルドが頷いた。
リカルドは。新しく買ったカメラを試したいのだと思う。
それと同時に、自分の腕前を。
オレは、唯単に。
オレ自身が見ているオレとは別の見方のオレを。
見てみたい、と思った。
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