8:15am Monday, August 27
閉ざされた扉と逆の位置に、窓がある。その下から僅かに音が立ち上る。入り込む日差しも、まだ夏の名残を留めている。

終わったのか、と自問する。
ペルの綴った言葉と、ドルトンが寄越した情報を計り。瑣末な事柄だけが残っている、と思うことにした。

あの食えない連中がおれの居場所を移そうとしないということは。イカレ親父も一度死んだと思った息子をもう一度殺す手間は省く気らしい。
あー、むしろ?
西の不義理な甥を、始末しにでも行って忙しいのかネ?
冗談半分、それでも若干気分が変わった。

卓に投げ出していたケイタイが目につく。―――そういえば、
ふ、と思い当たる。
意識の内から押し遣っていたもの
乾いた風と、喉を焼くほどの熱。

生存報告くらい、入れておくべきか。
あのクマちゃんが勝手にヒトの冥福を祈り始めないうちに。雷魚のじじいがおれの墓穴を見つけないうちに。
連中は、妙なところでセッカチだ。

ディスプレイから、覚えのある番号を探し。
少しばかり、妙な気分になった。
手の中の薄っぺらいキカイが繋ぐ先を思い、いま在る自分を思う。

乖離。
それを繋ぐ電波。
人工の糸。

あの場所が、聖域であるなどとは思わない、けれど。
ペルの言葉を思い、宵闇の中で煌めいた鬼火を思った。

微かに揺らいだ声。
呟き。

『死は、安息か』
薄い、紅い唇が動くのが、「見えた」。暗がりで。

鈍い銀が閃く直前に、おれの従兄が呟いていた、自分に問い掛けて。
―――あるいは、おれに?

おまえが、その答えをみつけられていたならいいと思うよ、これは真意だ。
窓からの光を見つめた。

糸を繋ぐ。ここではない場所へ。
スピーカから、コール音が届き始める。
2回、3回。
本人が出ずとも、メッセージなり残す気でただ音の繰り返しを待った。

『Yes?』
――――いたか。
クマちゃんだな。
『おや。変わろうか?』
声が告げてきた。
相変わらずのクマちゃんっぷりだ。
「いや、いい」

『そうか』
僅かに、声の調子が上向いていた。
面白がっている、というよりは。
楽しそうだな、妙に。珍しいこともあるもんだ。

「世話をかけた、」
何を言うつもりも無かったが、謝意が先に容になった。
くく、と低い笑い声が届く。
『困ったらお互い様だな』

タバコの火をありがとう、と言っても同じように反されるに違いない口調だ。
「あぁ、終わった」
告げることは、これしかない。

『知っている。オマエのメントゥが来た』
「―――なに、」
『陽気な霊だ』
すこしばかり、物柔らかな声が告げてくる。
陽気な……
何だって?

「―――エース、」
アタマの中で、ちびの声も同じように重なった。
本物だったぞ、と。クマちゃんの言ってくるのがどこか耳に遠かった。
―――なにやってるンだよ、あンたは。

イメージ。
まるっきり、同じだ。
3ポイントシュートを決めたときと。
親指を上げて、くしゃりと笑った顔。
背中に、光の塊でも背負ってるみたいだった。

ぱし、と突然のイメージがまた唐突に消える。

『早く帰ってやれ。猫が鳴いている』
鳴くからあンたのところに置いてきたんだ、と。からかい混じりの声に返した。
『役不足なのは承知の上だろうが』
「あんまり煩く鳴いたらハナでも摘んで風呂に放り込んでくれ」
『猫もデリケェトな年頃でな』
笑い声混じりだ。

「バカ猫だ、たかが知れてる」
すぐに向かうわけにもまだいかない、と言いながら。クマちゃんの後ろで起こっている笑い声を聞いた。
二人分、リカルドと―――。

『Usted sera sorprendido.(次見たら驚くぞ)』
「どうだかな、」
クマチャンが面白そうに喉で笑いを殺していた。
「元気そうじゃないか、まだおれも当分時間があるな」
『昼間だけだ』
「それでも上等だよ、ありがとう。また」
たとえ、空元気だとしても、だ。わらっているのならば、いい。

切り上げ時だ。
繋がった先の気配が強すぎる。
共存はできない空間とは思っていたが、こうまでとはな。

螺旋が軋みだす感覚に薄くわらった。
そして、クマチャンからの最後の一言にますますそれを深くする。

『古糸には注意を』
アリガトウ、気をつけるよ。

窮鼠猫を噛む、だったか?オリエントの諺。
"愚か者は穴に飛び込む"これは
じじいが振り下ろす棒と一緒にいつだかおれに言って寄越した。

『あンたも降って湧いたろうが』そう言って返したなら。
『わしは天啓ぞ』とあのイカレ雷魚は威張りくさった。

―――確かに、あの場所は遠い。意識のなかでも、現実でも。あれだけ自然に、なぜ息が出来ていたんだろうな?

ケイタイを卓に放り投げた。
一日が始まる、滑り出しはパヴァ―ヌで、転調がコレが。
次に何がくるにしろ、穏やかに行く予感はしねぇな。






11:20am Monday, August 27
ペルの部下の一人が、ホテルのルームサーヴィスよろしくランチを運んできた。
ちらり、とデスクの前にいたペルがその姿を見咎める。どうやら、ノックの音量が気に食わなかったらしい。
おっかねぇボスだな、まったく。

適当においてくれ、と卓を手で示し、ペルに片眉を跳ね上げた。
「落ち着けよ」
「ええ、御大の真意が掴めましたらね」
僅かに眉根が寄せられる。
「さあ?行って見なけりゃわからないだろう」
どうせあと4時間後か?と時計を眺めた。

午後3時半に、『自宅』に来るように、とのメッセージが届いたのはクマちゃんとのデンワを切ってすぐだった。
いつだかのクラブハウスでみかけたガードの一人を連れた男が、隠れ家の扉の前に居た、
それを別室のモニタから眺めて思わず笑ったなら、ドルトンが軽く睨みつけてきた。

笑い事ではありませんよ、と小さく呟いたのに頷いた。
大したもんだ、あのドナレッティのじーさんは。
伊達に妖怪だのモンスタァだの言われているわけじゃねぇか。

「ドナレッティのじーさんは、おれの味方だろうに」
まだ小難しい顔のままのペルに言った。
なにかをペルが言いかけたとき、またケイタイが鳴り始めた。
腕を伸ばして取り上げ、―――――――切っちまうか?
西のバカからだ。

が、思い返す。
10分に一度の着信。
―――死んだ方がマシだな。

ペルに向かって、頭の横で指先をくると回す。
その顔に苦笑が浮かぶのを確かめ、通話ボタンを押す。
「なんだよ、」

『ゾォロ!』
バカ陽気な声の後ろにアナウンスが聴こえる。
空港か?
「おまえ、国外逃亡しやがったか」
『うーい、正解。伯父貴怖ェからねェ!』
けらけらと意にも介さない声がわらってやがる。

『おれ、一緒になって泣いちゃったしなァ』
おまえを偲んで、とバカ笑いだ。
「さんざん鳴らしてた用事は何だ、早く言えよ」
アタマが痛くなってきたぞ。
『ちょこっと取引してね?空き便見つけておれいまヒースロゥ」
ロンドンかよ、まったく。

『ほら、伯父貴サ、寒いとこ来ないでしょ』
くくく、と殺した笑い声だ。
「聞いたことねぇぞ、そんな話は」
うっかりペースに乗せられる、ったく。

『ってのは半分冗談で。ほら、おれあのちびっこの顔みに来てンの』
「あのちびっこ」ってのは。
このバカの母方の従弟で。確かイギリスに留学しているガキ。
「ルフィか、」
『イエース。クリケットのトーナメントがあるんだってさ』
「アホ抜かせ」
それだけでこのバカがチャーター機捕まえて飛んでいくかよ。
「ちびっこ」がこのバカのオンナの一人ならともかく。

『ありゃ。実はさ』
声のトーンが変わった。嫌な予感が足元から這い上がる。
『おーれ!なぁんと!』
「……なんだ、さっさと言え」
『ジュリエットのオニーサンと会うんだよ』
「――――――ア?」
『いやな?フライトで観たのは残念ながら"ジゼル"でオニーサンじゃなかったんだけどねェ、ウン』

―――ウン、じゃねえぞこのバカ。
なんだって??大猫かよ??

『おまえより先にご対〜面!ってヤツな。宣伝しといてやるって、安心しな』
なにがどう繋がればそういう話になるんだ?みえねぇぞ。
ペルに向かって、言う。
このバカがなぜセトと知り合いだ?と。

ペルが、珍しく喉奥で笑った。
「彼が行かれますか……!」
目が、僅かに細められていた。
そして、しれ、と続けていた。自分が偽名で大猫のカンパニのアメリカ公演のスポンサーをしたことと、多額の寄付、そして、大猫から『オフィス』宛てにロンドンでの公演の招待を受けたこと。

『あ、なァにごちゃごちゃ言ってンだよ。だーから誰かがどうせ行くならおれが行くって立候補したンだって』
それに、とバカの声が少しばかりまたトーンを変えた。
『おまえは当分会えないだろ?』
と。
『せめて誰か顔みせねぇと、ジュリエット可哀想じゃねェの』
このバカにまで気遣われだしたか。

『それにね、おれさ』
また、くるりと調子が変わる。
『"海賊"好きなんだよ、他の公演なら観に来ないって』
片手を虚空へ上向けたおれにむかって、ペルがまた薄くわらった。
『あ』
「なんだよ、」

イキナリ。
ぞぉおおおおろおおおお!!!!と叫ばれた。
――――――こんどはルフィかよ。
ケイタイ食ってんじゃねぇだろうな、大声だ。

元気か元気かと声が飛び跳ねている。どうせ本人も跳ねているに違いない。
「すこぶる快調、おまえも元気そうだな、」
『おう!!!』
笑い顔まで見えてきそうだ。

『だってよ!』
「なんだよ」
『あのビジン、すっげええゆーめーだぞ!』
後ろでコーザがバカ笑いしてやがるのが聞こえる。
なるほど、「血筋」か。おれたちは全部あのテの顔は好みだな。
「あーあー、よかったな。せいぜいアタマでも撫でてもらえ」
『あはははは!』

相変わらず、ルフィは底なしに陽気だ。
賑やかなのは連中の母方の血筋だろう。

『ほら、変わる、』
バカ従弟の声に変わっていた。
『て、ことで。おれらいまからお呼ばれナ。オニーサンに会ったらまた連絡してやるよ』
いらねぇ、と断る前に切りやがった。

「―――ペル、頭痛薬くれ」
右手を伸ばしたなら、子守りが笑っていやがった。
ひらり、と指の一振りで、控えていた人間が廊下へ消えた。
「何か先に召し上がることです」

それより先に、ロンドンの事は悪夢だと思いたいぞ、おれは。
大猫とバカ従弟と犬ッころ。なんて組み合わせだよ。




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