6:50 pm, Arizona
足元に、鎖。
もしくは、ぬかるんだ大地。
前後左右、動ける場所がなかった。
いまにも泣き出しそうな空は、灰色で重たい雲ばかりを過ぎらせ。
遠くでは、稲光。
ゴロゴロ、と鳴っては、リィン、と音を立て――――
パチ、と目を開けた。
暖かい、見慣れた部屋。
オレンジの室内灯が、明るく周りを照らしていた。
耳が雷だと思っていた音を拾い上げる。
黒い電話。
ベルが鳴る度に僅かに震動して―――いつから鳴ってたんだろう?
「わ、ハイ、チョット待って」
慌ててチェアから飛びのく。
脚は軽い。
当たり前だ、ココは室内。
ウッドのフロアは硬く。
オレの脚に鎖など、ついているわけもない。
受話器を引き上げた。
よかった、まだ切れてない。
待たせちゃったかな、ゴメンなさい。
けれど、その言葉を言い出せずに。
一言、
「…Yes?」
と言った。
受話器の向こう、すう、と微笑む気配。
ぴん、と意識が張る。
『泣いてないか…?』
―――待ちわびていた、声がした。
「……ゾ、ロ、」
声が、掠れる。
甘いゾロの声、抑えきれない、ってトーン。
「ゾロ、―――」
なんて言っていいものか、
言葉がとっさに出てこない。
胸が、きゅう、と痛んだ。
甘く。
ほと、と涙が零れた。
慌てて拭う。
『あぁ、それはおれの名前だな』
からかうゾロのトーンに少し笑った。
よかった、元気そうだ。
「…怪我は、無い?」
震える声で尋ねる。
ほとんど囁きに近い声。
「ゾロ、怪我、してない…?」
小さく笑うような音が聴こえてきた。
『まさか、』
「そう、よかった…っ、」
安堵する。
手が震え出した。
「ぜんぶ、だいじょ…ぶ?」
震える声をわざと落ち着かせて、泣き出しそうになるのを飲み込み。
『待たせたな、』って言ってきてたゾロに、訊く。
カチ、とライタの音。
ぱふ、と軽く煙が吐き出されるノイズ。
『生き返った代償に、イカレオヤジに殴られたことを除けば概ね良好だ、』
苦笑するような声。
そして。
『おまえは?クマちゃん泣かしてないか、』
笑う。
そうか。ゾロもダディに会ったんだね。
殴られた…ってダイジョウブかな?
『みゃーみゃー鳴いて』
笑うゾロの声に、小さく笑った。
「…オレは…、」
言葉を飲み込む。
「オレは、ゾロ。……リトル・ベアには泣かされてないよ…?」
笑った筈なのに、涙が零れた。
ゾロに聴こえないように、吐息を落とす。
喉が、酷く、痛み始める。
『サンジ、』
甘い、甘い声。
「―――Yes?」
一つ息を呑む。
『おれが泣かせている、わけだな』
ニガワライする声。
ちがうよ、って声にする。
オレが我慢できないんだ、って言おうとして。
呼吸を、止めた。
『明日、迎えに行くから』
「……ホント…?」
声が掠れる。
『あぁ。おまえには嘘はつかない』
「……ウン、」
知ってる。
信じてる。
ゾロ。
解ってる。
ダイジョウブ。
―――――壊れてるのは、"オレ"。
「―――早く、会いたい」
思わず本音を零した。
囁き声で。
「会いたいよ、ゾロ」
『それを聞いて安心した。それから、妙なヤツにあったぜ?―――また会ったときにな、でも』
続きは、と続けられる甘い声。
…ゾロ、機嫌がいいね。
ふ、と。
背後。
小さく音が鳴ってるのが聴こえた。
レコード?…違う、これは…ストリングス?
そして。
ざわめき。
人が大勢いるような。
『サンジ、』
囁きに近いような低い声。
ゾロ、アナタは。
いまどこにいるの…?
「な、に?」
無理矢理声を喉から押し出す。
ざわざわとした音。
この気配。
………パーティ…?
『おまえは―――あぁ、いい』
言いかけの声が、切り替えるようにトーンを和らげた。
『明日が待ちきれないな、』
酷く、酷く。甘い優しい声。
初めて聴くトーン。
キ、とガラスが引っかかれるような音が、心臓でした―――気がした。
それと同じようなトーン。
一瞬、眠ったジョーンをイメージするような声。
『サンジ、オヤスミ』
あいしてるよ、ってトーンで告げられた。
「ゾロ、」
受話器を握り締める。
『ん…?』
甘い声。
疑ってる。
オレが。
なぜ?
ワカラナイ。
けど、"壊れているのはオレ"。
「無事で、よかった」
『どうした、』
って冴えたトーンが言ってた。
「―――ナンデモナイ。明日なんか、すぐだよね?…すぐに、会えるよね……?」
足元が。
覚束ない。
地面が割れて。
呑まれそう。
―――どうして?
「はやく、抱きしめて」
そうじゃないと。
オレ――――、
『あぁ。午後には着く』
ゾロの声に、意識を戻す。
笑う、小さく。
"ダイジョウブ"。オレはまだ、"ダイジョウブ"。
『おまえは、"そこ"にいろよ?』
強いゾロのトーン。
低く笑った。
「ダイジョウブだよ、ゾロ。オレがどこに行けるっていうの…?」
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