『帰り道』を自分が運転することになるだろうとは、朝は思ってもいなかった。
人生はほんのわずかの偶然と、必然とでできあがっているのなら。
コレは明らかにアクシデントだろう。

砂漠の道、何日か前に目にしたものとそれほど大差の無い岩、砂、空。
あの時は、こんな事態をおれたちの誰も想像すらしていなかった。
見飽きるほどの単調な景色に、意識は。いま、東で起こりつつあることに向かいかける。
隣で、普段あれほどにぎやかなサンジも。黙り込む、というよりは口も開けないのか?これは。
アクセルを緩めた。ざざ、と砂がタイヤを滑る音が静かになる。
そういえばいままでも、どうにか、といった風情で方向や目印の指示を出していた。
この程度のスピードならば、余裕はでてくるか?
そのうちに、段々と。横から言葉が届き始めた。

家につく頃には、コロラド・ステイツの施設についての知識と。
デンヴァーの美味いレストランと、バー。
サンジの家族構成と、半分しか血の繋がらない兄のこと。
大学のスタッフと教授陣のことまで。
そういった情報をおれは持つことになった。
ジュニア(3年)、というのには驚いた。
スッキプか。頭脳明晰にはみえないな、と言ったら。
また膨れた。だから、ガキだ、っていうんだ。

家に着けば、また荷物を中に運んで適当にキッチンの台に置いた。
すっきりと片付いたこの場所には。一定のオーダーがあるらしい。
細かなものが、あるべき場所に納まっていく。
手の出しようがない、そもそも出す気もなかったが。
小さく歌いながら、サンジは上機嫌らしい。

言い換えれば、ぼくの手を握ってほしい、言い換えれば、きみにキスして欲しい、
僕の心を歌でみたして、ぼくにもっと歌わせて、


スタンダード・ナンヴァアだ。「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」。

窓からの景色。
砂と岩だけのソレ。ココだって、十分月のようなものだろう?
アジアの方では月にウサギがいるといわれているそうだ、だからか、コイツにそう話し掛けた。
「なぁに、ゾロ?」
「けれど3月ウサギならここにもいるな、」
「マーチ・ヘァ?…アリスの?」
「正解」
「…ティーにしようか?」
蕩けたような柔らかい視線だ。ふわふわと、ヨリドコロが無いほどのたおやかさ。
「"テーブルを用意しろ、席変えだ"」
「あはは!!美味しい紅茶を淹れるよ」

「ゾロは役者になりたかったの?」
上機嫌なまま、仕度を始めたのを。木のイスに座って眺めていた。
背中を向けたままで。問いが届く。
「考えたことも無いな、」
そのままのことを返した。
「なぜ?」
「ふうん…夢とか、無かった?」
ゾロがアリスを知ってるなんて、意外だったから、と。声が続けた。
「『子供なら読んでおけ』と朗読されたんだよ」
「ええと…さっきの電話口のヒトに?」
耳の底に残る声は、ペルのものではなかったが。
「ペルか?違うな、」
「ああ。じゃあ、エースさんかなぁ?」
エース?
ドナレッティの………、一人息子

「なぜその名前を、」
「ディア・ジョーンが、よく言ってた。エースさんのこと」
―――どうやら。あの「手紙」を読まなければいけないらしい。
すぱりと。あの事故を前後におれは記憶が断ち切れている。ガキのころの。
「そうか、」
手馴れた風に紅茶を淹れはじめる様子を、目の端で捉えていた。
「うん。大好きだったんだね」
「ああ、そうかもしれないな」
「うん」
カップに注ぎ終える。あまりに「アタリマエ」の風景に、ひどく驚いた。
はい、どうぞ、と。クッキーと一緒に出された。

この乖離はなんだろう。
長く息を吐きかけ、気付かれないように奥歯で噛み殺した。
眠りネズミになるのはゴメンだ。頭を、切り替えるか、さもないと。
この、おかしげなペースに巻き込まれたら厄介だと。それだけは確信した。
ないしは、開き直るかだ。
せいぜい、あと一月。あるいは4週間。
気が向くように過ごしてみるか。
砂漠の真ん中で、可笑しげなネコと?
大笑いだな。

考えに意識をやっている間に、一旦席をはずしていたサンジが戻ってきたときにはノートPCを抱えていた。
「サンジ、後でペルにメール送ってやってくれ」
「今やっとく」
携帯をスロットに差し込んでいた。
「スキにするさ、」
「うん」
眼はもうモニターに向いている。真剣だな。アドレスを教えてやった。
「4行以上の文章は、アレは読まないぞ?たのむからながったらしいのは止めてくれ」
滑らかに滑り出したキイボードの音に。釘をさしておいた。
「そう?じゃあ、必要な情報だけ、打っとくね」
いまごろは、とっくに割り出されているだろうけれども。アカウントナンバーをソラで入力している風だった。
フン、だてにスキップしてないか。

「ゾロは何か、メッセージ書くの?」
「いや、さっきので十分だ」
「そっか」
「御心遣い、痛み入る」
冗談めかして口にし、カップを空にした。
「んん」
平穏すぎる午後だ。
メールチェックをしはじめたのを残して、奥の書斎へ移った。
野生動物に関する知識だけは増えそうだな、と。書架を見て思った。
することを見つけ出した方が良さそうだ。
オンナを見つけてくるのも面倒だ、そもそも。
サンジが由とするはずもないだろうし、家主の意見は尊重すべきか?
よくまあここでひと夏過ごそうときめたな、コイツも。
あとで、ただしい時間の過ごし方でも聞いてみるか、砂漠での。



メールをチェックしている間に。
ゾロはふらりとダイニングを抜けていった。それを、ちらり、と目で見届けた。
はぁ。
ううーん、なんだろう?ゾロといると…どこかが張りつめる。
ゾロといるのは、イヤじゃない。むしろ、一緒にいるのは、好き。
だけど。
ゾロ。
どこか、警戒しているのかなぁ?
ずうっと、ピン、って意識が張り詰めているのを、感じ取っている。
野生の動物みたいに。リラックスしていても、耳だけは、常に動いているような。
そんなに警戒しなきゃいけないもの、ここには無いのに。

砂漠の真ん中にある家。郵便配達員ですら、余程のことがないと、来ない。
命を脅かすもの。
それはここでは、太陽であり、熱であり、砂であり、乾きだ。
それ以外は…何も無い。
三月うさぎ。ジャバワックが頭を掠めた。
脅威って、何なのだろう?

父からメールが入っていた。
サニー、元気にしているかい?
ダディは来週、セトの公演を見に、ママとロンドンに行きます。
サンジの予定は、まだレジデンスでアルバイトなのかな?
予定が空いていれば、チケット手配するから、連絡ください。
キス・キス・キス。

父は、セトの義父だ。だけれど。とてもセトのことを愛している。
オレのことを、愛しているように。
仕事で忙しいダディ。頑張って、ホリディをもぎ取ったんだろうなぁ。
だけど。ゴメンナサイ。
オレは行きたくありません。
セトには会いたいけれど。
セトの舞台、見るの大好きだけど。
オレは…ここで。
ゾロと知り合いたいから。
ジョーンを好きになったように、ゾロをスキになりたいから。

メールを返した。
ダディ、ごめんなさい。オレはまだレジデンスでやることがあるので、一緒には行けません。
マミィとセトに、オレからハグとキスを、いっぱいあげてください。
アナタの息子、サンジ。
P.S.オレの分も、楽しんできてね。
送信して、接続を切った。
大学院生の友達から、メールが来てる。
リサーチの本に関してだ。研究本、届いた新刊の案内だ。

リストに目を通していたら、ゾロがふらりと本を片手にやってきた。
どうやら、書斎にいたみたいだ。
冷蔵庫から水のボトルをとって。
そのまま、かたり、とドアを開けて、ポーチに出て行った。
声はかけられなかった。…少し、寂しい。
あ、そうだ。
さっき、エリックさんが、出してくれたっけ?…タバコ。
そういえば、灰皿なんてないなぁ。
空き缶、あったっけ。あれを渡してあげよう。
パソコンの電源を切って。書斎に戻しに行った。

それから、仕舞っておいたタバコ。カートンから一箱だけ出して。
リサイクル用の袋にいれておいた空き缶を1本取り出した。
ことん、と音を立てて、タバコの箱を落とした。
ポーチに向かう。
邪魔したら、悪いかな?

「…ゾロ?」
そうっと声をかけてみた。
何の本を選んだんだろう?
ロッキングチェアに座っていたゾロが、ふい、と目を上げた。
手の中には、古いヘミングウェイのペーパーバック。
ああ、あれは、そうか。「キリマンジェロの雪」だ。
指にはタバコ。するり、と煙が立ち昇っている。
「灰皿の変わりに、使って。フィルター、土にもどらないから」
空き缶を、差し出してみた。
「灰を落とす前に、中見てね?」
アリガトウって行って。
手から空き缶、抜き取られていった。
暑くないのかなぁ、ゾロ?熱風が、結構厳しいのに。
…うーん?
ちらり。目線がポーチの外に行った。何かあるのかなぁ?

「…何か、見える?」
「アフリカに、思えなくも無い」
「ああ…そうだね」
ゾロが、に、って笑った。
「サハラなんか、こんなカンジかも」
「冗談だよ。」
冗談?
「行ったこと、ある?」
「一度。」
「そうなんだ」
ぎい、って木の椅子が鳴いた。木の軋む音って、なぜか懐かしく感じる。

「連れが悪かったな。懲りた」
「ふうん」
連れ…ああそうか、独りじゃあ行かないもんなぁ、フツウ。
サハラ砂漠。砂だらけの場所。
アリゾナの砂漠と違って、砂がもっと深い場所。
陸の海。
あそこの砂に転がるのは、どんな気分だろう?
「ああいう場所は。相手を選ぶんだな、向こうが勝手に」
勝手に…?
空き缶を、床に置きかけて。中の物に、気付いたみたいだ。

「ゾロは、すごいね」
くい、って眉が跳ね上がって。
笑みを返した。
「エリックさんからだよ?」
小さな声。悪態を吐いた。
嬉しくないのかなぁ?
「わかってやがったのか、じーさん。」
「…エリックさん、結構、人を読むからね」
険しい顔つきだったのが。ゆっくりゆっくりと解れていった。
柔らかな、表情になる。
小さな笑い声、喉の奥から聴こえてきた。

「ヒトにわざと別モノ売りやがって」
うにゃ?エリックさん、そんなことしたの?
ぽん、って半分以上、空になったパッケージを、放られた。
マルボロ・ライト。

「やるよ。おれはこっちがイイ。」
…貰ってしまった。ゾロは早速、新しいパッケージの封を切っていた。
…別に、吸わないんだけどなぁ、オレ?
でも。吸われないタバコも、かわいそうだし。
どうせ、あと…4本?1本なら、今吸える。
後は後日、師匠にあげよう。
…いらないって、言われそうだけど。

1本咥えた。
指で、来い来い、って合図された。
「火、」
「…ありがとう」
ゾロのタバコの先端に、咥えたタバコを軽く押し当てた。
少し吸い込んで、火種を移す。甘い火がジンワリと広がって。
目の先で、ふわ、と明かりが灯った。
苦くてとろりとした煙が、口の中に溢れて。ゆっくりと肺まで開いて入れた。
これでしばらく、ねっとりとしたものが身体の内に残る。
煙なんて、扇げば霧散していくのに。
それだけの粒子が、存在しているってことなのだろう。

「…ライトって、本当に軽いよね」
ゾロがちらりと目許だけで笑った。
「じじい連中のと比べてるのか?」
するりと煙を、口から吐き出した。出る量は、入る領の三分の一以下。
「うん。タバコ。パイプのは…ほんっとトリップするもん」
あれは参ったなぁ。最初に吸ったとき。頭がガンガンしたなぁ。
ニコチンが濃すぎて、しばらく呼吸器官全体がネトネトしてたし。
「―――フン。イイご旅行で?」
「うーん…儀式、だったからね。精霊と語らっただけ」

「ああ、・・・・・・なるほど。」
キノコの方が、トリップ、だったなぁ。
そんなことを思っていたら。
マジメな口調で、ゾロが応えた。
神を信じないゾロは、精霊も信じないんだろうか?
「ケミカルはご使用にならない、と。それはよろしいですな。」
「一通り、ナチュラルのものは、トライしたけどねぇ。ジャックおじさんが見守る中」
ええと。今の口調は、皮肉かなぁ?
「オレは、ああいうのはイラナイ。無くたって、十分見れるし」
ちっとも楽しく無かったよ。

「あンたみたいのばかりじゃ、商売あがったりだぜ」
「商売?」
…んん?なんだろう?ビジネス???
ゾロはにっこりと笑った。
これは、覚えた、深く詮索するな、っていう顔だ。
機嫌は、良さそうだけど。

灰を空中に落とした。
灰。この灰は、なにかの養分になることはできるのかなぁ?
「そもそも。3日寝なければ、見えるものをさ、どうしてわざわざ見なきゃいけないんだろうねぇ?」
精霊は語るが、惑わされてはいけないよ、シンギン・キャット。
彼らがいつも真実を語る者とは、限らないのだから。
「さあな。忘れたいだけかもしれないぜ?」
ジャックおじさんの声が、エコーした。
ゾロの声。柔らかな。耳から染み込んで来る。
「…逃げても、いつかは追いつかれるのにねぇ」
ニンゲンは、ムツカシイ。

「そうだな、」
短くなったタバコ。空き缶の端でもみ消して、落とした。
屈んだオレの髪を、ゾロの手が撫でた。
左手、だ。
エースを忘れたゾロ。
追いつかれたら、アナタはどうするのだろう?
幸せだけを追いかけて、生きられはしないのだけれど。
それでも。
オレはアナタの、幸せを願ってるよ。

「おれは、」
ロッキングチェアのアームに腰掛けた。
ゾロがゆっくりと、言葉を音に乗せていく。
「手紙を貰っている、一昨日までのおれから。」
ゾロのタグに、指を這わせた。
「ジョーン、だ」
口の端、くい、と吊り上がった。ゾロ、の笑み。

「われながら、敏いガキだな。おれが捨てられないだろうってことをよく知っている」
「うん。とても聡明な人だったよ、ジョーン」
小さいゾロ。今のゾロとは、とても違う。
こんなに表情を抑えていなかったし。
もっと…自然だった気がする。
「あンたとどう過ごしたかは、恐らく書いていないだろうと思うぜ?あンたのことを・・・」
「…?オレがどうしたの?」
見下ろす翠の視線に、目線を合わせた。
酷く好きだったらしいから。
そう、ゾロが言葉を続けた。
「知ってるよ。そう言ってくれてたから、ずっと」

ダイスキです、って言ってくれた時の表情とか。
すぐに思い出せる。
ゾロより柔らかな瞳。真摯な口調。
「オレも、ダイスキだよ、ジョーンのこと」
そう、オレは。ずっと彼を想うよ。心の深い深いところで。
「そうか。あンたが覚えてくれているなら、ヤツも満更でもないな?おれが長い間、自分の中から消しちまっていたとしても」
つくん、って胸が痛んだ。
「思い出さないの…?」
約束、だったけれど。
「―――なにを?」
それはジョーンと交わしたもの。
ゾロと、ではなくて。
「…ううん、いい」
首を振った。
胸が痛くて、涙が出る。

「おれはあンたを好きだと思うが、」
…スキでいてくれるの?
勝手に転がり落ちた涙。
袖口に、小さな染みを作った。
指で、痕を拭われた。
「思うが…?」
「区別がつかない。どちらの思いなのか、混ざっちまってる」
「…区別を付けなきゃ、いけないことなの?」
どちらもアナタの内にあるのなら、混ざってたらいけないのかな?

「あなたのことがダイスキだよ、」
さらり、とまた髪を撫でられた。
「あンたといるもの悪くない、」
柔らかな声が続く。頤に、柔らかな口付け。
ゾロの耳に、手を伸ばした。
「バラバラだろう?もう少し混ぜないとな」
リングのピアス、指先で弾いた。
「…嬉しい」
笑みが勝手に零れていった。

「・・・そうか?」
「すごくすごく、嬉しい」
アナタがそうやって、思ってくれてること。
ジョーン。大好きだよ。
けれど。
ジョーンの中にいる"大人"も、好きだったんだよ?
時折見せた、ドキドキするような表情。今なら解る、アレはアナタのものだ。
ゾロの唇に、そうっと口付けた。

「スキだよ、ゾロ」
うん。スキだよ。
アナタだけの顔、まだよく知らないけれど。
ドキドキする。側にいるだけで。
「ああ、」
ゾロが、笑った。
腕を伸ばして、ゾロの首に抱きついた。
「アナタに会えて、嬉しいです、ゾロ」




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