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 卓には、皿が幾つも並んでいた。
 ラムのサルサソース添え、サフランライス、付け合せの温野菜にポテト、簡単なグリーン。
 おれはあれからずっと外にいた。本に目を戻したおれの横でしばらくサンジは肩に額をくっつけていたが。
 そっと自分の気配を消すようにして家の中へ戻っていっていた。
 ほんの何時間かの間で、これだけの準備をしていたらしい。
 
 その間おれがなにをしていたかといえば、自分の中にあることさえ忘れていたような意識に辟易していた。
 はじめて、サンジの方から口付けられた。親愛の情の延長程度のモノ。ただ、
 まるで何かを託すようだと。ふと思った。
 なにか、酷く大事なことをおれは忘れている。そう思った。
 そして、罪の意識、とやらが湧き起こってきた、どこかから。
 本の中では、ハンター同士が話をしていた。
 頁を開いたままで肘掛に伏せた。
 
 泣き顔を見ても、なにかを思い出しかける。
 口付けられて罪の意識に苛まれる。
 柔らかくなにかに包み込まれていたような朧な記憶は、昨日よりは表層に近づいた気がする。
 そんなことを、砂と岩を眺めて考えていた。ずっと。遠慮がちに扉から金髪が覗いて、呼びかけるまで。
 
 ゴハン、食べよう。
 シンプルな、呼びかけがいかにもコイツらしいと思った。
 ああ、と返事をしてから部屋に戻れば。アレだけのものが並んでいた。
 必然にかられて作る域を越えているなと言えば。
 「バランス良く美味しいものを美味しく食べるのが食事の基本、強いては生存の基本」
 出し惜しみのない笑み付きで返された。
 「ヴェット(獣医)の試験に落ちたらメールしろよ?いつでも雇ってやる」
 軽口で返した。
 「落ちないよ。ちゃんと勉強してるし」
 冷蔵庫からライムを幾つか取り出し、テキーラも棚から引きだして卓についた。
 でも万が一落ちたらヨロシク、笑いながら言っていた。
 
 食前の祈りに付き合って。皿を片付けに掛かった。
 ただ、グラスの空くスピードが皿の中身が減るのよりも早いのは、仕方がない。
 「ゾロ。呑んでばかりじゃダメだよ。ちゃんと食べないと、栄養にならない」
 「食ってる、美味いよ」
 ほら、とラムを大きく切り分け口にする。
 「よかった。もっとブラッセルスプラウトも食べる?」
 窘めるようだった口調が、もう笑みに紛れている。
 「おれの世話より自分もたべろ、」
 ライムを半分に切った。
 「うん」
 「美味いから。」
 ああ、まるっきり、あれだな。
 笑顔をうかべたままで、「ぱくぱく」ってやつだ。フォークを運んでいっている。
 イイ肴かもしれない。
 追加のライムを取りに立ち上がった。
 
 
 
 …美味しい、と言ってくれた割には。ゾロはあまり、食べなかった。
 ジョーンが、驚くほどよく食べていたから。ゾロも、沢山食べるんだと思っていたのに。
 あんまり、食べなかった。おかわりもしなかったし。
 …美味しい、のになぁ?ラム、きらいだったのかなぁ?
 サルサソースは、追加で、多めによそってたけど。
 サルサソースじゃ、お腹は膨れないだろうに。
 むう。
 
 何が問題だったんだろう?いい出来だったのになぁ。
 …野菜はちゃんと食べてたから。やっぱりラムが嫌いだったのかなぁ?
 …うーん、夜中、お腹空くよね。身体、大きい人だし。
 …夜中に、なにか食べたくなるかなぁ?…うん、残ったラム、勿体無いし。
 サンドウィッチでも作って、冷蔵庫に入れておこう。
 ゾロ、食べなくても。
 明日のランチにはなるし。
 
 ゴハンを食べ終わって、お皿を洗っていたら。ゾロは黙って横に立って、拭いていってくれた。
 うん。こういうところは、ジョーンと一緒だね。ゾロ、…やっぱり、覚えていないのかなぁ?
 拭いてもらったお皿を片付けて。それから、さっさとサンドウィッチを残り物で作っていった。
 ゾロはソファで、まだまだ呑むらしい。テキーラだからなぁ。
 チーズよりは…ナッチョス?そんなことを思っていたら。
 
 低い口笛がほんのり聞こえた。アヴェマリア。
 オレの好きな歌。
 ゾロはボンヤリと壁を見ながら、グラスを傾けている。
 無意識、なのかなぁ?
 サンドウィッチを冷蔵庫に仕舞って。変わりに、ハラペーニョとクラコットとチーズを出した。
 ナッチョスは、買ってなかったことを、思い出したから。
 クラコットの上に、ガーリック・ハーブのクリームチーズとハラペーニョのスライスを乗せていって。
 6枚くらい作って、材料を冷蔵庫に仕舞った。
 
 プレートを、ゾロの前に差し出してみた。
 こういうのだったら、好きかなぁ?
 「…食べる?」
 ふい、と口笛が止んだ。
 「オマエは?」
 もうちょっと聴いていたかったけど、両立はできないし。ショウガナイ。
 「食べるよ」
 ゾロの隣に、座った。
 「オレ、スキなの、コレ」
 「うん、美味そうだな」
 「辛いんだけど…美味いんだよねぇ…」
 しみじみ、呟いてしまう。
 
 ゾロが小さく笑った。
 「呑むか?」
 ええと、オレ、マイナーだけど。…家だし。もう出かけないし。うん、呑まれないし。
 「うん。呑む」
 「ヨシ。付き合え」
 グラスを取って、戻ってきた。
 こぽこぽこぽ、と音を立ててアルコールが注がれた。
 「イタダキマス」
 「コチラコソ」
 ゾロがに、としてクラコットを摘み上げた。そうか、こういう肴はスキなんだね。覚えておこうっと。
 く、とグラスを傾けた。ふわ、と濃いアロマときつめのアルコールが喉を滑り落ちた。
 呑んだ先から、熱くなる気がする。
 ゾロは横で、やけに真剣な顔でチーズ・オン・クラコットを食べていた。
 
 気に入ったのかな?
 少しだったけど、ゾロがにこりとして。
 空いた方の手が伸ばされて、髪をぐるぐると掻き混ぜられた。
 「辛いのが、クセになるんだよねぇ」
 笑って、一個摘み上げた。さくん、と齧り付く。
 ガーリック・ハーブのチーズは甘く。ハラペーニョも、甘くって。
 でもその後から火がついたみたいに、カーッと辛味が湧き上がってくる。
 「んん、辛ッ…けど、おいしー…」
 うん、幸せ。
 テキーラをもう少し飲む。
 甘いフレーバと、辛いアルコール。
 やっぱり、幸せ。
 
 同じ様にテキーラを飲みかけていたゾロが。くくって笑った。
 うん、やっぱりオレ。
 「実況中継かよ、あンたは」
 笑ってるアナタがスキ。
 「うん。折角いっしょにいるし」
 肩口に、少し寄りかかってみた。邪魔をしない程度に、軽く。
 ゾロは、オレと一緒にいることに慣れてきたのかなぁ?
 不用意に触っても、怒らなくなってきた。
 それはオレとしては、とても嬉しい。警戒されなくなったっていう証拠。
 『焦ることはない。ゆっくりいけばいい。人生は思ったより短いが、一瞬一瞬は意外と長いものだ』
 ジャックおじさんに教わった、人生についての一考。
 
 うん。オレはゆっくり、ゾロを好きになっていく。
 幸せな、こと。
 ゾロがとんとん、って頭を叩いている。
 とても軽く、あやすように。
 うん、幸せ。
 とても、幸せ。
 
 からかい混じりの声が。寝るなよ?あんたすぐ寝ちまうんだから、って言ってた。
 ダイジョウブ。オレが寝るのは眠いからであって。
 お酒はあっても無くても、寝る時は寝るから。…そしてそれは、まだ先の時間。
 ……んん?
 少し、思い出しかけてるのかな?…オレが寝るの早いの、どうして知ってるんだろう?
 ゾロを横目で見上げた。
 穏やかな風情。柔らかな視線。ん?って訊ねるように、目が合わされた。
 
 「…ゾロは……思い出している?」
 吐息と同じ声の低さで、そっと訊ねてみた。
 「昨日よりは、おれの近くに在る気がする。あンたを見ていると触れたくなるしな」
 「…そうなんだ?」
 うあ、幸せ。ごろごろ、喉が鳴りそうだ。
 「ああ、」
 目を閉じて、肩口に頬を摺り寄せた。
 
 「オレも、アナタに触れるのはスキ」
 とても幸せな気分になるから。
 「ゾロ、お願いがあるんだけど?」
 なんだ、って。優しい声が応えてくれた。
 身体を起こして、ゾロを間近で見上げる。
 「キス、してもイイ?」
 「なぜ訊く?」
 「…確かめたいから」
 さらさら、と髪が耳元で鳴る。ゾロの指が、鳴らしている。触れられると、うっとりしてくる。
 不思議だなぁ。
 
 ゆっくりと、引き寄せられた。とてもとても優しく。
 それだけで、嬉しくて。微笑みが浮かんでくる。
 目を閉じて。
 ゾロの唇に、自分のそれを押し当てた。
 薄い唇。
 アルコールで少し熱ってる。
 気持ちよくて、また押し当ててみる。うっとりとしてしまうのは、なぜなんだろう?
 腰のところ、掌がなぞって。きゅ、と抱き込まれた。
 触れられたところから、じわじわとなにかが広がって。
 そこから熱が上がっていくみたいだ。
 
 「…んん」
 笑って、唇を離した。
 ゾロの頬に手を伸ばし、触れてみた。
 しっとりとした手触り。すこし熱いみたいだ。
 ねぇ、もっと笑って?オレは、アナタの笑顔がスキ。
 「…ゾ、ロ」
 名前。
 呼んでみた。口に乗せる音。
 それもスキ。
 
 ゾロの口元、とても柔らかい笑みが浮かんで。
 心のどこか、とても温かくなっていった。
 ふいにす、と唇が寄せられて。さらり、と触れられていった。
 ゾロからの、口付け。
 そこに気持ちの欠片を見つけた。
 やっぱりとても幸せな気分。
 
 「オレ、アナタがスキ」
 抱きついて、首筋に顔を埋めてみた。
 
 とくりとくりと鳴っている頚動脈。心地よいリズムを刻んでいる。
 背中をゆっくりと撫でられている。暖かな熱が、そこから広がっていく。
 気持ちがいいなぁ。うん。やっぱり。
 ゴロゴロと喉が鳴ってしまうよ。
 なんだか、幸せだなぁ。
 項から、手を差し入れられた。擽るみたいに。
 その感覚に、ぞくりとどこかが反応して。
 
 「すきだよ、」
 耳元に、声が落としこまれた。
 ぞくぞくぞく。
 低い声、身体のどこかに落ちていく。
 ぴくり、と勝手に指が跳ねた。
 耳朶を甘く噛まれて。
 
 「…ッ…」
 かかる吐息にすら、身体が跳ねる。
 なんだろう?
 「オマエのことが。」
 オレがとてもゾロのくれるものを欲しているからかなぁ?
 甘い言葉。
 ジンワリと広がっていく。身体を通って、心の中へ。
 きゅう、ときつく抱き寄せられた。
 
 「…すごい、嬉しい」
 ゾロにまわした腕。
 「―――そうか、」
 
 力を入れてみた。
 こういう気持ちって、どうやったらもっと上手く伝わるんだろう?
 よくわからない。
 だから。
 抱きしめる腕に、力を込めてみる。
 伝わってる…かなぁ?
 
 「ありがとう」
 「…オレこそ、ありがとう、だよ」
 みゃあ。
 嬉しいなぁ。
 頬、首筋に、摺り寄せちゃえ。
 
 
 
 
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