抱きしめた身体は、ひどく納まりが良かった。
腕に抱いてしまえば、答えなどとうにそこにあった気がしてくる。
おれはオマエがすきなんだろう、それも手におえないほど。
感情の残滓なり記憶の名残なり、そういったものは別にしても。
膝に抱き上げ、抱きしめて確信した。
幸か不幸か、おれにとってこの重さは快意以外の何物でもなく。溜め息が零れた。
言葉はカタチに残らないが、何かを確実に残していく。

あンたの目が「おれ」を映し始めたのは、よろこばしいことなのか、それとも。
子供じみたキスと、真摯な眼差し。
あンたの背骨の折れるまで抱きしめたいと思うおれの衝動はひどくあンたに不似合いだ。
ネコならば喉を鳴らしているにちがいないほどの幸福そうな様子は、おれを困惑させる。

首元、口付けを落としてから、身体に沿うようだった柔らかな重みを手放した。
氷を取りに立つ振りをした。
オレ、風呂入ってくるね、と。声が届いた。
横を通り過ぎる。

アレはほんの子供だ。寂しくて隣にもぐりこみ、スキだからといって身体を寄せる、
ソレに付き合うほどの酔狂はおれは勿論、もちあわせてはいないが。
記憶なり過去なりさぐってソレを無理にでも引きずり出してくるだろう自分が、簡単に予想がつく。
水音が聞こえてきた、砂漠ではなにもかもが酷くクリアだ。



お風呂に入っている間。勝手に鼻歌が零れていた。
知らず知らず、自分の気分がとてもイイことに気付いて。
なんだろう、この昂揚感?ドキドキが止まらなくて。
でも、ちっとも不快じゃない。
なにか、とてもステキな宝物を得た気分。
一緒にいてくれるだけで、とても嬉しい。
そして、ゾロも一緒にいることを楽しんでくれているみたいで。
それはもっと嬉しい。

ジョーンから窺い知ったゾロは、とても余裕のない人のように思えた。
だけれど。今は少し違うと思う。
ゾロは、隙が無い人なのだと思う。何かを成し遂げようとする意志が、とても強い人。
オレが側にいる時くらい、少しはゆっくりできるといいのに。目を瞑って、身体の力を抜いて。
髪を撫でてあげている間くらい、寄りかかって欲しい。
今自分の中にある、そんな気持ち。
暖かくて、どこか甘い。カスタードみたいな気持ち。

…おかしくないよね、こういうの?
セトは、「とんだベベに育ったなぁ」って笑う。
ハハも、「サンジは本当にベベね」ってキスをくれる。ダディは、「サンジはそのまんまで居てください」って。
オレはオレ以外の何者にも成り得ないんだけど…でも、どこか、今までのオレと違うような気がしなくもない。
明確にどこが、とか、なにが、とか指摘できないから。よくわかんないけど。

ざぱり、と湯船から出て。
タオルで拭いてから、Tシャツと半ズボンを着こんだ。
布団が温かい分、朝、ちゃんと寝巻きを着ていると暑くて。
うーん…まぁ、いいよね?ちゃんと寝巻きじゃないけど。
歯を磨いて、うがいして。すっきり寝る準備を整えた。

ダイニングに戻るとゾロは。
グラスを片手に、ソファに寝そべって、本の続きを読んでいた。
テーブルの上、きちんと片付いてて。にゃあ。嬉しいなぁ。
ヒタヒタと歩いてゾロの方に近づくと。ゾロは気付いて半身を起こした。
ソファ、ゾロの横。少し空いたスペースに、腰を降ろす。
「…まだ起きてるの?」
ああ、って返事が来た。
「…ねぇ、本は向こうでも読める。一緒に寝よう?」
「後で適当にシャワーでも浴びてから寝る」
ゾロがそう言った。だけど。

「…オレ、アナタと一緒に寝たい」
「おれはフロに入りたい」
「じゃあ、入ってきてよ。一緒に寝よ???」
その間、起きて待って…る、努力するし。
うあ、いや。ここで待ってれば、寝ないよね、いくらオレでも。
「読むレポートあるから、アナタが出てくるの、待ってられるし。ダメ?」
じっと顔を覗き込んでくるゾロを、見つめた。
オレ、…欲張りなのかなぁ?

「無理するな、どうせすぐ眠るだろう?」
ぴったりとくっ付いて寝られたら。とても幸せになれるのに。
「あう。一緒に寝たいからガンバル」
にぃ、ってゾロが笑って。そして、ソファから立ち上がった。
「じゃあ、ドアの外で読んどけ」
「わかった!…読み上げて欲しい?」
笑ったゾロ。着替えを持って、さっさと御風呂場に行っちゃった。
うーん…足、速いぞ?
読みかけの資料を持って、パタンと閉まった御風呂場のドアの側に座った。

水の流れる音がしてくる。
資料の中身は、野生動物の治療後、野生に戻す時の注意点のことについてだった。
スタティスティックスのグラフもある。
水音と共に、ゾロが歌っている声が聴こえてきた。ほんの微かに、だけど。
聴こえてくるのは、ジョーンも歌ってくれた歌で。チェット・ベイカーの曲だ。
甘いスタンダード・ナンヴァ。
うん、ジョーンが歌ってた時より…少し、言葉に重みがあるかな?ああ、と。
違うなぁ…リズムを甘くしてるんだ。とても、慣れた口調で歌を歌っているみたいだ。
いい声なのは、変わらず、だけど。
声に聞き惚れすぎないよう、ページの中の文字を追った。

水音が不意に止んで。
Tシャツにスウェットを着たゾロが扉を開けた。
ポタポタ、と髪から雫が垂れる音が響いた。
ゾロを見上げると。
「ナンだ、おきてたか」
にぃ、って牙が見えた。どうやら、からかわれているみたいだよ。
立ち上がって、資料を脇の下に挟んだ。
「ゾロ、髪、拭かないと。風邪引いちゃうよ」
「あー、あとでする、」
わしわし、って音がして。タオルを被ったゾロ。

「貸して。今、してあげる」
手を伸ばした。すると、嫌がるみたいに、少しだけ、身体を引いた。
「ダイジョウブ、髪を拭くだけだから」
にこり、って笑いかけてみた。怖いことなんか、なにもしないよ?
「だから、自分でするから、いい」
「オレがアナタにしてあげたいんだってば」
自分でガシガシと拭き始めたゾロの手に、触れてみた。
…だめ、なのかなぁ?

「なぜ?」
「…よく、わかんない。けど。…アナタに触れているのはスキ。だから、かなぁ?」
すこしビックリしつつも、どこか不機嫌そうなゾロ。
「ダメ?」
「あンたのカンジャじゃないぞ、おれは」
「患者?…ああ!それはそう!だけど…うん、してあげたいんだ」
「もうカワイタ。」
「んんー…」
ふいに、冷たくて、重くなったタオル、頭に乗せられた。
「…みゃあ!」
タオルごと、拭かれてるんだか撫ぜられているんだか解らない強さで、掻き混ぜられて。
チュ、って鼻先の天辺、口付けが落とされた。

…むう。怒るに怒れないじゃないか!
なんだか幸せにさせられるなんて、ちょっとズルいぞ!
…ちぇー。そんなカンタンには懐いてくれないかぁ、なんて。
そんなことを思っていたら、ゾロは手をひらりと振って。スタスタと寝室に消えていった。
…うっわ!なんかー…意地悪だぞ?むむう。これは、おもいっきり引っ付いて寝てやらなきゃ!
訳のわからない義務感に駆られて。
タオルをランドリーバッグに突っ込んでから、ゾロを追いかけていった。

寝室のドアを開けると。ゾロはベッドにもぐりこんでいて。
本はすでに片手にスタンバイ・オーケイ。
むう。オレは本に負けたか?
「ベイビイ、寝ないのか?」
サイドのスタンド、電気を点けて。メインの方のライトを消した。
「寝る」
もぞもぞと、ゾロの横にもぐりこんだ。

…あ、足。ちょっと冷たくなっちゃったかなぁ?
いいや、さっきのタオルのお返し。ピッタリくっついちゃえ。
ゾロの懐の中にモゾモゾと身を落ち着かせた。
「おやすみなさい、ゾロ」
本を読んでいたゾロの唇。
「つめたいな、あンた」
勝手にうちゅう、ってキスをして。囁いたゾロに、小さく笑ってみせた。
「じゃあ、暖めてよ?」
少しびっくりしたみたいに言ったゾロ。

うん、なんだろう…そういうアナタを見るのはとてもスキ。とてもアナタらしい気がする。
「ああ、悪いな。お子ちゃまの暖め方はオニイサンは知らないんだよ」
に、って笑ったゾロ。
「うん、ダイジョウブ。アナタの腕にいれば、オレは熱をもらえるから」
鼻先を、ゾロのしっかりとした胸のところに押し込んで。
目を閉じた。うん、暖かいぞ。にゃはは。
片腕で、抱き寄せられた。うん、もっと幸せ。

吐息を吐いて。抱き寄せられるままに、体重を預けた。
そうっと背中を撫でられたり。
ときどきそれが脇腹辺りまで降りてくると、勝手に身体がハネるんだけど。
だけど、とても幸せなきもち、それだけがで胸がいっぱいになって。
身体の表面、宥めるようにやさしく撫でられる。
それでも、場所に寄っては身体が勝手に跳ねて。
ゾロが小さくくっくっとノドで笑う。でも、その声すら気持ちよくて。
ゆっくりと意識を手放した。するり、と眠りに落ちる。
…うん、オヤスミナサイ、ゾロ。
ダイスキ…。



あっさりと。
少し冷えてしまった身体が熱を取り戻す頃には、サンジはすっかり寝付いていた。
ぴたりと腕に納まって。
眠ってしまったのを確認してから、頬に口付けた。
オヤスミ。そう呟いてから、ライトを消した。
我ながら、何をやっているんだと半ば自嘲と諦念が混ざり合ったような気分で眼を閉じた。
触れなば落ちん、ってやつか?そうかもしれないが、どうだろうな?
抱きごこちの良い身体を一層引き寄せてみれば、ふにゃん、とわらったような気配が届いた。

まるっきり、アレだ。ネコ。髪を撫でてみる。手触りが良い。
まいったな、もう寝るか。

回していた腕を解いて背中を向けようとしたならば、まるっきり、
赤ん坊がむずがるみたいになにか呟くと、もっとぴったりと身体を寄せてきた。
深呼吸をしてから、ちっさいアタマを抱き込んだ。
朝になったら仕返ししてやろう、なんとなくそんな思いを持ったまま。眠った。





next
back