胸の内側。
肉をそのまま、食われている気がする。
心臓の辺り、熱を持ったみたいに。
ズキズキと痛みが走っていた。
砂漠の砂は熱いはずなのに、その熱を感じるヒマもなく。
熱された空気を、吸い込んでは吐き出し。
胸の痛みに拍車がかかる。
ゾロに背を向けた。
抱きしめる変わりに、逃げ出した。
オレより先にヒナと会って。
オレの知らないところで、なにかを決め。
オレを抱きしめるより先に―――ああ。
だからどうしたっていうの。
オレが愛するように、ゾロはオレを愛さないなんて。
そんなことは解っていたはずなのに。
湧き上がるのは、嫉妬。
ゾロが"婚約"したのは、きっと、なにか理由があるんだろう。
それがヒナだったのにも。
だけど。
オレはソレに笑顔で、そう、って言えない。
ヒナのことも、好きだけど。
並んでいる二人を見るなんて、想像したくもない。
胸が痛い。
ズキズキとする。
涙が絶えず目から零れて、視界がファジィなまま砂漠を駆け抜ける。
持てる力の総てを持って、オレは"逃げ出した"。
宛てなどあるわけもなく。
ただ―――こんな自分を。
大好きなゾロの前で晒すのが、嫌だった。
ぐちゃぐちゃで、真っ黒で。
泣くしかできないなんて―――サイアク。
ゾロが、どんな風にハントを乗り切ったかとか。
ゾロがどんな想いでハントを終えたとか。
それを想うこともできず―――"オレ"のことだけで、精一杯で。
―――強く在りたいと願ったのに。
ゾロの為に、強くありたいと願ったのにも拘らず。
オレは、こんなにちっぽけなコドモ、だ。
―――あぁ、オレは。
自分が。
嫌い、だ。
ハ、ハ、と息を吐く。
喉が焼け付く。
胸に痛み。
喉に痛み。
全身が軋む。筋力が衰えていたから。
涙を止めることができずに、ただひたすら走る。
どこか、いなくなってしまえればいいのに、と願う。
なのに。
ザ、と巻き上がる砂音を耳が拾い上げる。
目の前。
砂のカーテン。
煙みたいな砂埃に、腕で顔を隠す―――本能。
車、急停止して。
ドアが開く音。
不意に立ち止まっていた足を砂に埋めて、後ろ足を蹴り出し。
重い音がすぐ傍でした。
ドアの閉まる音。
見えない視界の中、右に流れる。
車を回っていこうとして―――ぐい、と背中を捕まえられた。
「っぐ、」
喉が鳴る。
ぐい、と腕が掴まれ、引き寄せられた。
「なぜ逃げる?」
「―――ァ、」
低い声に、荒く喘ぐ。
「サンジ、」
ハ、ハ、と肺から、空気が押し出される音。
砂のスモークが段々と静まっていく。
オレは湧き上がる地熱を吸い込んで、吐き出す以外にできることがない。
胸が焼けるようだ。
喉が埃に渇き、さらにざらつく。
腕を捕まえている手指に力が篭っていた。
そのまま引き摺るようにして、車の中に放り込まれた。
シートに投げ出され、水のボトルを放られた。
「飲め、声もでないじゃないか、バカネコ」
反射で受け止めようとし、落とす。
そのまま、ゾロの声を聞きながら。
ぼたぼた、と馬鹿みたいに泣きながら、優しいような声を聞く。
手の中、拾われたボトルを押し込まれた。
きゅう、と目を瞑れば、さらりと髪を一度撫でられた。
砂塗れ。
くう、と熱が喉を競りあがる。
「おれから逃げるか、」
苦笑する声に、首を横に振る。
「うー、」
首を振りながら、違うんだ、と声に出来ずに唸る。
「まえと、逆だなサンジ、」
って。優しい声が聴こえる。
優しすぎて、それが作り物だと知る。
怒ってる。
怒ってるね。
―――当たり前だ、いきなり逃げられたら…オレだって怒ったじゃないか。
すい、とゾロが車に乗り込んで来て。
ガン、とアクセルを踏んでいた。
重力にうしろに引っ張られる。
「飛び降りてもいいぞ、医者には連れて行かない」
「ぃっく、」
優しい声に、首を横に振る。
「ご、め、」
―――ゴメンナサイ。
ぐい、と伸ばされた腕に引き寄せられた。
「ご、め、な、さ、――ぞ、ろ」
「ストップ、」
ぴし、とした声に止められた。
「おまえに謝られる理由がわからない、黙れ」
「―――うーっ、」
胸が痛い。
涙が止まらない。
「サンジ、」
ゾロの腕が痛い。
―――でも。
でも。
―――ゾロの腕、だ。
少し和らいだ声に、しゃくりをあげる。
「ひぁっ、」
ああ、言葉を喋りたいのに―――形作れない。
「おかえり、って言えよ」
「うぁああああっ、」
「おまえを迎えに来たんだから、」
「うぁあああああっ、」
前を見たままのゾロに、泣いたまま、声を上げた。
「ああああっ、」
結局。
オレはヒトにはなりきれないのかな。
「サンジ、」
「―――うぁあっ、」
低く宥めているようなゾロの声。
本物の、ゾロの声。
「なぁ、おまえをあいしているよ、」
フロント・ガラスを見据えたままのゾロが言った。
―――疑ってない。
ゾロがオレを愛してくれていることを。
オレは、疑ってないんだ。
ただ―――
「こ、な…ォレは、ィヤダ」
こんなオレは嫌だ。
こんなオレは、大嫌いだ。
「そうか、」
声がひやっと冴えた。
狼の唸りに似た。
醒めた、冷えた声。
ぐうう、と胸が痛む。
「ぞ、ろ、に、」
ゾロに。
「ゾ、ロに、あ…ぃされ、るのに、」
ゾロに愛されるのに。
「こ、んな、オレは、や…っ、」
―――こんな情け無いオレは、嫌だよ。
すう、とゾロの翠が温度をなくしてオレを見ていた。
す、と車が止まって。
いつの間にか、見慣れた木造の建築物。
「着いたぞ、」
そうゾロが言い捨てるようにしていた。
ぴく、と肩が強張る。
「―――うーっ、」
どうしていいのか、ワカラナイ。
ゾロに抱きつきたいのに、抱きつけない。
す、とゾロが降りていき。
ドアが開いた。
「行けよ、」
笑っていない目がオレを見て。
すい、と細まっていっていた。
「―――っ、」
ぼたぼた、とまた勝手に涙が目から零れる。
イタイ、イタイ、イタイ。
死んでしまいそうだ。
ぴ、とアラームの音がしていた。
先に立ったゾロが、家の鍵を開けていた。
「Welcome back, my darling」
ひや、とした声で呼ばれる。
首を横に振る。
だって、オレはもう――――、
「お、れ、…こ、われて…る、」
「あぁ、それが?」
心臓が痛い。
優しさを欠片も滲ませない声が、心臓をさらに切るみたいだ。
―――それも当たり前のことなのかもしれないけど。
「お、かし、くな…てる、」
「そうかもな、」
ゾロが言ってた。
「だ、か、ら、」
―――オレを、
「だが、それでも。―――放してなんざ、やらねぇよ」
低い声が、言い切っていた。
「入れ、」
のろのろと見慣れた室内に入る。
記憶が覚えている場所と同じなのに。
―――まるっきり、ベツの場所。
ゆっくりとドアが閉められた。
数歩よろめいて、ウッドのフロアに蹲る。
「わ、か…んな、」
―――わかんないよ、ゾロ。
すい、と腕の下に手を差し入れられた。
起こされ、ソファに落とされる。
「―――っく、」
泣いたまま、ああ、だからもう涙が止まらないんだ―――ゾロを見上げる。
くしゃくしゃ、と髪を掻き混ぜられた。
すい、とゾロが離れて、じぃ、と見詰められる。
翠色の目をした、オレの狼。
―――オレの。
「―――、」
紡ぐべき言葉を失った。
オレの捕食者がオレを見ている。
ごめんね。
ごめんね、ゾロ。
いま、オレを食べないで。
劇的に、不味いから。
きっと多分、どこも苦くて。
とても、とても―――不味いから。
ああ。
オレは、アナタを。
満足に満たしてあげることなんて、とてもできない。
ごめんね、ゾロ。
でも。
―――――どうしても、アナタを。
あいしてるんだ。
こんな状態でも、それだけが、オレにわかる真実。
する、と唇にキス。
目を瞑る、きつく。
縋りたいけれど、縋れずに。
手が躊躇する。
「縺れてるな、」
声が冴えていた。
「っぅ、」
しゃくりで返す。
「いっそ、切り落とすか?」
くい、と頤を掴まれた。
「ぁ、」
上を向かされる。
目が覗き込んでくる。
―――ハンタァの目。
ゾロの、翠の、双眸。
「おれから?それともお前からがいいか?」
「―――?」
底光りしている眼差しを、見詰める。
「話せよ、それとも言葉も忘れたか」
「―――ゾ、ロ」
声を押し出す。
喉が焼け付く。
笑う。
「ゾ、ロ」
する、と指だけが頬を撫でていった。
「オ、レ、まずそ、で、ご、め――」
ひく、っと喉が勝手に鳴った。
すう、と。
ゾロの目が冴えていった。
―――怒ってる。
そうだよね、
オレは"ゾロの"だもん。
勝手に不味くなってたら―――ごめんね、ゾロ。
「ど、し、ても、」
どうしても。
「さ、みし、…って、」
寂しくて。
「む、ね、が、ぃたく、って、」
胸が痛くて。
「わ、らえな、」
笑えないよ。
「わ、ら、って、―――ぉかえり、って、」
笑っておかえりなさい、って。
「い、たか、った、のに、」
言いたかったのに。
ぐうう、と。
力強く抱きしめられて。
そうっと、ゾロの背中に腕を回す。
充分だよ、と。
呟きが、耳に届いた。
「―――ぞ、ろっ、」
抱きしめる。
腕で縋る。
「ゾォロッ、」
悲鳴みたいな鳴き声だ。
く、とからかうみたいに、ゾロが笑った。
「―――っく」
「なァんだよ、おまえ。抱きしめてくるのそんなモンか?」
ゾロの首に鼻先を埋めて。
力いっぱい、ゾロに抱きついた。
ゾロの匂い。
ゾロの鼓動。
ゾロの―――ゾロ。
「ぁあいたか、ったよぉっ、」
うああ、と。
喉から声が落ちていった。
コドモみたいに、泣き縋る。
「あぁ、タダイマ」
僅かにからかっているようなゾロの声が届いた。
「―――っく、」
きゅう、と縋る。
「ゾ、ロっ、」
ゾロ。
オレの大事な、大事なヒト。
オカエリナサイ。
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