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 まだ早朝に着いた所為で、ピーチスプリングスの街に人影は無かった。助かった、と思いながらエリックのじーさんの
 店の裏手にそのままクルマを乗りつけ。年よりは朝が早いだろうからガラスのはめ込まれた古い木の扉をノックした。
 「じーさん、客だぞ」そんなことを呟きながら。すんなりと開けられたドアの内側には相変わらずの無表情が迎え。
 また同じように、皺に埋まった目が僅かに細められた。なにかを口に上らせていたが、生憎とおれは連中の言葉には疎い。
 亡霊じゃないさ、生憎だなと言えば。
 スキディ、とだけは聞こえた。そして入れと促がされ。ひやりとした室内の暗がりに招き入れられ。
 
 レッド・パッケージ、それを1カートンと水、フリッジにいつも入っていたようなジンジャエール、適当にフルーツ、ワイン。
 その程度をさっさと買って戻ろうとしたならば。
 朝食に誘われた。
 開店3時間前に来た客の義務だ、とぬかす。
 
 言われて初めて、そういえばもう何時間も碌に食っていないことを思い出した。
 その様子では忘れておったろう、とじーさんが自慢気に唇を吊り上げ。
 なぜか店の奥から通じる廊下を越え、どこか雷魚のじいさんの家と似たような風情の台所にいた。
 
 コーヒーの香りが立ち上り、朝食の話題は夢見のことと、祖霊のことと、あとはあの。
 ボブキャット、おれがうっかり押し付けられて抱く羽目になったあの獣。
 アレは野生に戻されたとシンギン・キャットに伝えろ、と。
 了承した。
 
 美味かった、ゴチソウサマ、と帰り際に言えば。
 『7ドル25セントだ』
 と。じじいジョークだ。
 おもわず、笑っちまった。
 
 そして、ふい、と思いつき。買い物を一つ追加した。雑貨の棚から、濃さの違うエンピツを数本。何年ぶりだよ?触るのは。
 『絵の上手い子供がおってな、おいてある』
 エリックがにやりとした。
 孫かと聞けば。頷いていた。
 
 奇妙な具合に、この街の朝の気配に馴染みかけていた自分に気付き苦笑すればじーさんは。
 『良い一日を』
 そう言って寄越した。
 そう願う、じゃあまた。そんなことを言って今度も裏口から出た。
 
 ナビシートに荷物を放り込み、思いのほか時間のかかった『買い物』を終了した。
 エンジンをかければ、いつだったか。
 サンジが歌っていた低い、けれどあまい女の歌う声が流れてきた。
 『ノラ・ジョーンズ』、いかにもこの辺りのラジオステーションがかけそうだな、蒼の空の下に流れるのに似合いだ。
 
 向きの違う標識を過ぎた。その足元に、薄く透けた何かが蹲っているのを視界の端に捕らえる。
 奇妙な土地だ、と一瞬意識を掠める思いがあった。
 時計は、いまが9時だと告げてき。サンジはとうに起きているだろうな、と思い当たる。
 傍にいて欲しいと言われていた気もするが―――?
 
 嗜好品と、至上のものとを秤にかけて目先の嗜好品を選ぶのは。ペルの言うところの『悪しき習慣』の所為で。
 余りに"クリーン"な生き方だと面白みが無い、いつだったかそう返せば。
 思ってもいないことを仰るものではありませんよ、と首を振られたこともついでに思い出した。
 商売品には手は出すなとオヤジから言われたからな、と嘯けば。
 素振りを感じただけでもアナタは6フィート下でお眠りになりますね、と。ひらひら、と長い指が空を擽っていっていた。
 
 そして、家が見え始めた。どうせもう起き出しているな、時刻は9時20分。
 少し離れてクルマを停め。かなりな分量になった荷物を片腕に、ドアをノックした。
 「起きてるか?」
 
 
 
 
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