泥沼に浸かったような眠りから、ふつ、と目が醒めるのは。
もう、何度か経験してきたこと。

ただ、思う。
なんて嬉しい泥沼なんだろう、と。
いま、このまま呼吸が止まっても。
きっと、笑ったままでいられるね。
もちろん―――死ぬつもりはないけれど。もう。

意識が浮上し、目を開ける前から感じる温もり。
毛皮はないけれど、オレを暖めて、熱くしてくれるヒト。
回された腕が嬉しい―――ずっと、ずっと望んできたモノ。

目を開ける。
薄暗闇が満ちた部屋を照らす眩しいランプ。
きら、と底光りする翠の双眸が、優しく穏やかな色を浮かべて、そこにあった。
ああ―――ドウシヨウ。
嬉しい、泣きたくなる、胸が甘く疼くように痛む。

ゾロの口端が、くう、っと吊り上っていった。
「愛してる、ゾロ」
吐息に乗せるように、ささやきにしかならない声を出す。
朝からずっとしたかったこと。
意識が戻って一番に、言いたかったこと。

さら、と指先が頬を撫でていく感触に瞬く。
暖かい皮膚、柔らかなタッチ。
どうしよう、ドウシヨウ。胸がキュウキュウ言ってる、嬉しくて。

何度かそうっと滑るように、優しく撫でられる―――返答。
「ゾロ、」
微笑む。
泣きたいくらいに胸が痛いけど、涙は零れなかった。
出し尽くしたみたいだ。

方眉が引きあがっていった。
する、と指先で唇が撫でられていく。
目を閉じて、僅かに開く。
下唇で、その指先に触れて返す。

ゆっくりと影が落ちてくる。
とん、と軽く啄ばまれて、口端が勝手に引きあがる。
アナタに愛されて、オレは嬉しい。
アナタが愛してくれて、オレは幸せなんだ。

「幸せそうなカオだな、」
目を開けて、ゾロの翠を覗き込む。
「幸せ、だもん」
「漸く」
からかうみたいな色を乗せた翠に、苦笑する。
「不安、って。底なし沼なんだね、」
初めて知ったコト。

そうっと額に口付けられた。
また目を閉じる。
「オレ…ラッキーなコドモだったんだね、」
いままでソレを知らずに在れたコト。
空腹は知っているけれど、餓えることは知らないし。
独りであることをしっているけれど、独りぼっちであることは知らなかった。
ゾロに出会うまでは。

重たく気だるい腕を引き上げて、ゾロの背中に回す。
抱き寄せられて、素直にゾロの胸に顔を埋める。
「恐いもの知らずのガキだから、オマエは」
「―――うん、」
そうっと柔らかい声に、ただ静かに唇を触れる肌に押し当てる。
「―――前にね、」
「―――おれみたいなモノにとっ捕まるんだ」
髪に口付けが落ちてきたのを感じながら、目を閉じる。

「―――前にね、兄貴が言ったんだ、」
アレは何年前だろう―――ああ、セトが卒業する直前だ。
今から11年も前のこと。
「"ただ在るだけで、誰かを傷つける存在になってしまっていることも少なくないけど。自分で在り続けなければ世界は
存在しないのと同じだから、負けるな"って」

アレは、セトが自分に言い聞かせていた言葉なんだろう。
フランス系アメリカ人が、女王の前で踊ること。
セトがセトで在り続けるために。どれくらいの傷を負ったのか、オレは知らない。
ヒトの世界で生き続けることが、どれくらい傷つきやすいことなのか、オレはほとんど知らないと思う。

「…オレ、またアナタに酷いことをするかもしれないけど…したら、噛み付いてくれていいから」
そうっとゾロの肌に顔を埋める。
ぽす、とアタマを軽く叩かれる。
うん、ごめん、でも最後まで言わせて。

「オレはゾロとじゃないと、ヒトの世界にいるのは嫌だ。だから、全部、ゾロを通さないと、オレはヒトになれない」
それはきっと。
アナタを傷つける。
オレは、幸せで怖いもの知らずのガキだから。
だから、気付かないままに、平気で。酷いことをしてしまえる。

「あのな、」
柔らかい、少し呆れたような声。
ダイスキなゾロの声が響く。
「それを見越して逃げたのに、喚いたのはどこの誰だ?」
顔を上げれば、からかうトーンのゾロにキスをされた。

それから、すう、とトーンが変わる。
煌く翠に虜になる。
「オマエの一人くらい、抱えていけずにどうする」
指先が、目許を撫でていく。
「オマエはシンパイするなよ、―――ヒトの世界はおれの場所でも無い」

「……二度と、逃げない」
二度目は絶対にない。
腕を回して縋る。
「"サンジ"?」
……ジョーンみたいな呼びかけ方だ…。

間近で見下ろしてくる翠を見詰める。
「Yes, Zoro?」
「戻ってきただろう?オマエのところに。"迷わずに、離れていても"」
―――ゾロ、ジョーンの記憶と混ざって……?
「―――Yes,」
戻ってきてくれた―――オレの側に。

甘い柔らかなトーン。
ただゾロの真意だと解る声が。
「あいしているよ、アナタを」
そう、告げて。
ジョーンみたいに、告げて。

トン、と口端にくちづけられた。
「だから、あとで今の顔。描かせろ」
にこ、と。
ゾロが笑った。
得意げな表情は―――ディア・ジョーンのもの。
「約束、だろう……?」

息を、吐く。
喉が痛む。
頬を伝う―――涙。
抱きしめる、ゾロの熱い体を。
そして、内に混じったジョーンの想いを。
「うん、"約束"」

ゾロの両腕が回される。
抱きしめられる。
涙の落ちた先に触れる唇。
柔らかなタッチ、生きている身体。
覚えた仕種は―――。
「泣くなよ、泣いてもきれいだけどな。」
ゾロ、ジョーン。
「―――な、いてても、いいよ。アナタに、全部あげるって…決めた」
笑って、返す。
嗚咽交じり。

「サンジ、」
「う、ん?」
ゾロの声、ジョーンのトーン。
二人で一人、オレの愛したヒト。
見上げ、見詰める。
柔らかな翠。

「オマエだから、愛しているよ。どんな表情をしていても」
「―――うん」
心臓が、とくりとくりと音を立てている。
温かい身体、抱きしめられる。
縋る、広い胸。
オレの―――オレの、愛しているヒト。

「―――イイ匂いもするし。」
首筋に顔を埋められた。
甘くて優しい、ちょっと軽めの口調。
ゾロのトーン、ジョーンの仕種。

オレ、は。
ゾロ、アナタになら。
全部を許す、なにもかも。
虚空に身を投げるように。
大地にひれ伏すように。
大雨に打たれるように。
ただ、オレを。全部、あげるから。
「ゾロ、」
一つだけ、きいてほしいワガママがある。

「Yes?」
柔らかい声。
肌に唇がつけられる。
肌は震えない、ただそこから甘く痺れるだけ。
吐息を一つ挟んで希う。
「オレと、一緒に在ることで…オレと幸せになって」

くうう、と強く抱きしめられた。
「"誓う"よ、オマエに」
翠の双眸が真っ直ぐに見詰めてくる。
微笑みかける。
「"Promise"?」
「No、」
にぃ、とゾロが笑った。
「Destiny,」
"運命"。
――――――ゾロ。

「I will forever be yours, Zoro」
オレは永遠に、アナタのものだよ。
抱きしめる。
ジョーンも、ゾロも。

アナタの家業を知っている。
アナタの"業"を知っている。
でも。
例え、どうなろうと。
オレは、アナタを諦めない。
側にいる。
どうなっても。どうあっても。

傷つくことは覚えた。
でも。
もう、二度と。
アナタから目を逸らさない。
自分から、手を離そうとしたりはしない。

"運命"が望むのならば。
アナタと一緒に死ぬのは全然構わない。
アナタにこの鼓動を停めてもらうのは、きっと―――至福。

だけど。
アナタが生きることを、選び続けるのならば。
オレも、アナタの側にいるよ。
必要とあらば、側で戦うよ。

愛してる。
あいしてる。
世界中の誰よりも。
何よりも―――アナタだけを。

「ゾロ…、オレの愛してるただ一人のヒト。ダイスキだよ」






Epilogue
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