蛇口を捻り、砂漠の真ん中にある割には勢いよく流れ出てきた水に、アタマを突っ込んだ。
ミイラとりがミイラになる、古典的な慣用句がまさにいまのおれか?
少しばかり揶揄うつもりが、全く別の方向に流れかけた。
コドモだとばかり思っていた相手が、実は。不慣れで拙くはあっても。
愛撫に応えてくるだけの素地がある、要はおれが。
うっかり本気で欲情して、抱きたいとまで思う相手だとは思ってもいなかった。
小奇麗なガキ、ただそう思っていたのが。
性別を取っ払ってまで抱きたいと思うなど?
アタマ冷やすしかネエだろ。
ぎりぎりのところで留まったのは、他でもない。意地か?それともプライドに近いのか、よくわからない。
必要以上に触れないでおこう、と。ふと思った。
ゆうべも、それに今朝も。アレが笑うのを眼にするとしらずと引き寄せようとする腕がある。
溶け始めたのか、戻り始めたのか、記憶の所為なのかそれとも身体が覚えていたものか。
抱きしめて口付けたい衝動が稀に起こる。何の脈絡も無く。
偶々、サンジがわらった、目があった、なにか言えば膨れっ面になった、そんな一々に。
意識と感情がすべて流れかける。
水の流れを止めた。
窓からの景色、陽がまだ高くは上っていない。
今日一日、おれは何回衝動を抑えて、何回それに失敗するのか。
バカバカしいことこの上ない。
いっそ、ヤツの真似でもして眼でも隠してみるか。勝手に思考がバカげた方向へと流れ始める。
ロロノア・ゾロ。いい加減にしやがれよ?
呪詛を吐いてから浴室を出た。
鏡に映った自分のカオは、当然の如く不機嫌極まりない。エスプレッソでも気分転換に淹れよう。
着替えを終えて、ベーコンの焼ける匂いがし始めているキッチンへと向かった。
キッチンへと出てみれば。着替えを済ませていないサンジが朝食を作っている最中だった。
棚から、コーヒー豆を取り出した。ああ、これも。おれの身体が勝手にしでかしたことだ。
一心にサニーサイドアップを作っている背中に。声を掛けた。
「エスプレッソを淹れる、」
「…もう出たの?」
さら、と頬に。唇が触れて離れ際、あっちのポット使って、と言った。
盛大に吐きかけた溜め息を押しとめた。いま溜め息でも洩らしたら、サンジがくっついてくるに決まっている。
「ああ。あと、おれがみててやるから、あンたも着替えてこいよ」
く、とフライパンを頤で示した。
「そう?でもすぐできるし」
「いや、着替えて来い」
「…わかった。じゃあ、お願いするね」
手足を晒すなよ、イイコだから。
「ああ、」
寝室へと消えていった姿を確認してから初めて、盛大な溜め息をついた。
アレは、おれの洩らした言葉の意味を理解していないとみた。ある意味好都合か。
あのネコが、ヒトの言葉に疎くて助かった。
とん、とサニーサイドアップをフリップさせた。成功。
ベーコンが丁度良い具合に乾き始めた頃、サンジが戻ってきた。
だから、走るな。あンたは。
おれは、逃げネエから。
抱く。
Hug.
Embrace.
うーん。抱く?抱く。抱くのかぁ。
抱くことに対して、どうしてそんなに迷うんだろう、ゾロは?
まぁ、いいけど。オレがいっぱい、すればいいんだし。
けど。さっきみたいなキスは。
迷ってしまう。
考える事ができなくなって。感覚だけが、台頭してくる。
朝ごはん、支度しながら。
じんじんと熱くなった唇に、半分意識を持っていかれてた。
ああいうキスは、コイビト同士のものじゃないっけ?
うーん?あ、でも。
コイビトじゃなくても、してるか。
エミリーとも、フェリシアとも、スージーともした。
ゾロ…と、が、一番気持ちよかったけど。
ああ、レッドともしたなぁ!エマともしたっけ?
でも。あれは挨拶だったし。
だったら、ゾロのはなんなんだろう?
そんなことを思っている間に、ゾロはお風呂から出てきて。
少し、不機嫌そうだったけど、どうしてだろう?
やっぱりお腹、空いてたんだろうなぁ。夜、アンマリ食べなかったし。
サンドウィッチ。
ああ、そうだ。アレも、ブレックファーストに出そう。
そんなことを、服に着替えながら、考えていた。
感謝をしてから、ゴハンを食べて。
後片付けをしながら、今日はレジデンスの方に行くよ、ってゾロに言った。
「一人で行けよ、」
「師匠に会いに行くけど。すごい美味しいメスカルを、飲ませてくれるんだよ?」
「ひ・と・り・で・い・け。」
「オレ、車で行っちゃうから、残っててもどこにも行けないけど。それでもイイ?」
「ああ、どうぞ」
「そうかぁ。残念」
「サンダー・フィッシュ師匠。きっと、ゾロも好きになると思ったのに」
ぎゅ、とゾロの眉根が寄った。うわ…クレバスくらいに深いよ。
「……ターコイズの飾りだま、じゃらじゃら首につけてるか?」
「うん。メディスン・マンだし」
「クソみてえにすばしっこいじじいか?」
頷く。
「跳びやがるか?」
もう一度、頷いて。
「手がクソ早いか?」
「小さいけれど、とてもパワフル。御歳120とは、とても思えない人だよ」
ゾロの問に、頷いて答えた。
「化け物かよ、あのじじい、」
「あの人は、メディスン・マンだよ」
「おれが山の中で会ったのは。そのフザケタシャーマンだ」
ああ、その可能性もあるなぁ。あそこは、師匠のホームグラウンドだし。
「ぼかすかヒトのこと殴りやがって」
「…うわぁ。オレ、まだ殴られたことないよ?」
すごいなぁ、ゾロ。そんなに親しいんだ?
「予言は。あンたは予言をされたか?」
「予言?されないよ。自分で見れるもの」
「・・・ああ、クソ。」
師匠、予言までしたんだ?
びっくり。特別な人じゃないと、しないのに。
「雷魚のじじいかよ、」
「サンダー・フィッシュだよ」
「雷魚じゃねぇか。」
「…うん、そうだねぇ」
ああ、ゾロの眉間の皺、更に深くなってるよ!
…会いたくないのかなぁ?
「やっぱり、ここにいる?」
「……おれは。あのじじいに借りがあるんだよ。」
「借り?ふーん?」
オレなんか、借りてばっかりだけどなぁ?知恵とか。
「ああ、---っと。」
「…どしたの?」
あれれ。寝室の方に行っちゃった。
…あ、そうか。水の袋、持ってたよね、ゾロ。
どっかで見たことがあるかと思ってたら、師匠のだったのか!
ゾロが戻ってきた。
なんだか…とても複雑怪奇な表情を浮べている。どうしたんだろう?
「ゾロ?」
「あのじじいに会っていなかったら、おれは死んでたと思う」
「…ほぇ」
命の恩人、師匠だったのかぁ。
「道なんか、わからないしな。丸2日水ナシじゃあ、死ぬだろう、砂漠だと」
「日陰が無ければ、1日保つか保たないか、だね」
「ハ!じゃあおれはリミットぎりぎりで運が良かったわけだな」
水の在り処がわかれば、もっと生きられるけど。都会のヒトには、ムリだよねぇ。
「うん。夜は冷え込むしね」
炎天下、じっと太陽の下にいると、意識が朦朧としていく。
「わかったよ。あンたがあのじーさんに会いに行くっていうなら。おれもつきあうさ。」
夜は、気温がぐっと下がって。身体がついていけないと、すぐに弱ってしまう。
「オレも師匠に感謝しないと」
師匠がゾロを助けなければ。
「殴られた礼もしないといけないしな」
オレはゾロに会えなかった。
漸く、ゾロがにかりと笑って。
「クソふざけた予言の解説でもしてもらうか」
「…どんな予言をされたの?」
師匠の予言。どんなだろう?
「酒のサカナに―――って、ああ。知りたいのか?」
「ウン」
どんな言葉だったのか、知りたい。
「2パターンある、じじいの直訳と。韻を踏みそこねた詩のようなものと」
師匠は何を、見たんだろう?
「…直訳と、詩のようなもの?…ええと、じゃあ、直訳で」
詩のようなものは、師匠にワラパイ語で教えてもらおう。
「アホ臭いぜ?よくきいとけよ。"おまえは死にかけて、運命と出会う"」
「…ええと。ゾロは死にかけたよねぇ。…運命、出会えたのかな?」
すい、と片眉跳ね上げたゾロの顔、覗き込んでみた。
「さあ?あンたかもな。」
運命。
オレ?
「…だと嬉しいかも」
にって笑ったゾロ。…からかわれてたのかなぁ?
でも、本当にそれがオレだと嬉しいのに。
「・・・やめとけ、」
「どうして?」
なんでだろう?
ゾロは問には答えずに、シャツを取りに行ってしまった。
オレは、本当に、そうであれば嬉しいって、思うのに。ゾロは…イヤ、なのかなぁ?
…もしかして、オレのこと、キライだったり?
…だったら、くっついて一緒には寝てくれないよねぇ。
ぐるぐる回る思考に、ストップをかけるみたいに。ゾロが戻ってきて、頭の上に手を置いた。
ゾロは、オレをスキだって言ってくれた。
今は、それで十分じゃないか。ふう、と一つ息をして。
「よっし!それじゃあ、師匠のトコまで行こう!」
気持ちを切り替えた。
「ゾロ、運転する?」
「ナビはあンたがしろよ」
「もちろん!」
「ならば、我が運命の君。いざ行かん」
「あははははは!」
ちょん、って頬に口付けられた。
うあ、それだけで、すごく幸せ。
にゃあ。ゴロゴロ言いたくなるよ。
ふわん、って。ゾロがとても優しい微笑みを浮べた。
…にゃあ。幸せだなぁ。
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