ざ、と。
砂を巻き上げて一軒の酷く気合の入った家の前でクルマを停めた。
倒れる事を拒むような、木製の家屋と。その横に、「ティピ」。テントだな、連中の。
サンジを見遣った。
「ここか、」
「うん。そう!運転、お疲れ様でした」
「家まで頑固そうに出来てやがる」
「まぁ、家はヒトをあらわすっていうしねぇ?」
ぽんぽん、と。くすくすと笑うサンジの頭に手をやってから。クルマから降りた。
キィはバックポケットに落とす。

中から、でかい男が出てきた。ブッチくらいのでかさだな。
けれど、まとう風情が。まるっきり別物だ。このオトコからは静かな力強さだけが流れてくる。
ぐ、と太い指が。テントの中を指し示した。無言。
眼は、おれからじっと反らされなかったが。サンジの声がしてようやく、それが脇へ流れた。
先に行ってて、と。

「なかにじじいがいるのか、」
「うん。そうみたい」
「……なあ、サンジ」
「なぁに?」
にこにこと見上げてくるのに言った。
「もし、おれが殴り殺されていたら。墓でも作ってくれ」

「あはは!師匠はそんなこと、しないよう!」
「あンたはじじいの凶暴さをしらねえな?」
「うーん、確かに。オレは殴られたことないけど…じゃあ、ちょっと待って」
なんだ、と問えば。
でかいのに、先に師匠に声かけてくるね、と。大声で話していた。
冗談だよ、と。白状するタイミングは失した。まあ、いいか。

勝手におれの手を引いて、サンジはすっかりご機嫌でテントの中へと入っていった。
つづいて、おれも。革の幕を潜りぬけた。
中へ入ると。ぼやけた光りの中でも見間違いようのいない姿があった。
痩せた、じーさん。

サンジは静かに佇んで。じーさんから声が掛けられるのを待っているようだった。ああ、たしか。
目上の者にはむやみに話し掛けてはいけない、だったか?
サンジからここへの車中で聞きかじった知識。

「おい。じーさん。」
「あ、こら!ゾロ!!師匠だってば!!」
おいおい、サンジ?「めっ」ってナンだよ??
「このじーさんは、オマエの師匠かもしれないが。おれは弟子入りしたわけじゃねえぞ」
火花。
「…でも。年長者は敬わなきゃ―――」
くっそう!!油断したぜ!
アタマを抑えて蹲りかけたおれに、サンジが言葉の途中で眼をまん丸にしてみせた。

「愚か者が!」
「てめえあいかわらずこのクソじじいがっ」
うお、棒じゃねえぞ、何もってやがるじじい?!
「サンジ!固まってンな!じじいからあの武器取り上げろッ」
「…武器?…武器はないよ?」
「あの棒だよっ」
非武装が常識だ、とかごたく抜かしてるな頼むから。

「あ、パイプかぁ!」
「左様、パイプだ」
「だから、取り上げろって!!」
「師匠、パイプでヒトを殴ってはいけませんよう」
あっさりと、弟子の諫言を無視して。じじいがもう一発おれのアタマにクソパイプを振り落としやがった。
いてえじゃねえかよっ、じじい!

「座りなさい、シンギン・キャット」
「わかりました」
サンジがあっさりと膝をついていた。
雷魚のじじいは小憎らしいほどの緩慢な動作で、自分も座り。パイプを手に戻した。
「じじい。次に殴ったら殺す、っておれは言ってたよな?」
「ゾロ、そんなこと言っちゃダメだってバ!」
だから!め、ってのは何だっていってるんだよ、こいつも!

そのとき。テントの中の空気がぜんぶ揺れたかと。
大笑いをしてやがった、じじいが。
小さい身体のどこから、それだけの肺活量がでるかね?
サンジも、ビックリ、と全身で言っていた。
「クソうるせえ、あんた」
「天からの愚か者だな、おまえは」
まだわらってやがる。
おれの隣では、妙に緊張した面持ちでサンジがおれとじじいを交互に見遣っていた。
なにがそんなにシンパイなんだ?あンたも。

「山へ帰ろうにもコヨーテはいねえぞ。ネコだけだな、おれの連れはいまのところ」
「…山に帰るの?」
「シンギン・キャット。言葉を鵜呑みにしてはいけない」
「師匠は、ゾロと知り合いだったのですか?」
「このじじいがコヨーテと山へ帰れ、っておれに言ったんだよ、この間」

「…コヨーテ、ですか」
「はぐれオオカミが山道を迷っていたまでのこと。水を与えて道へ返した」
「それはゾロのことですねぇ」
「おい、だれがはぐれオオカミだよ、」
何2人して頷いていやがる?
それから。サンジが。
師匠、ゾロを助けてくれてありがとうございました、と告げて。ゆっくりと頭を下げていた。

「シンギン・キャット、」
「なんでしょう?」
「それはおまえの本心か」
「はい」
「ならばそれはおまえ自身のためか、それともこの愚か者のためか」
「オレ自身のため、と思います」
サンジの表情が、すう、と真摯なものに変わっていった。ゼン・フィロソフィーかよ。

「サン…」
「おまえは黙っておれ」
クソ。パイプ向けるなよ、くそじじい。
「これは、いずれ去るぞ」
「それは、避けられないことなれば、必要なことかと」
「シンギン・キャット、」
「はい」
「運命は、小枝の一つにしか過ぎん。真に必要なものは己の中に聞くが良い」
「心得ました」
す、と頭をサンジが下げた。

その頭上に、じじいが手をかざすようにしていた。
その両眼が。イキナリおれに合わせられた。
けれど、口調はサンジにむけれれたものだった。
「みだりに己を投げ出すでない、シンギン・キャット」
「…はい」
伏せられていたサンジの顔に。ぱああと朱がはかれた。
「アレは。オオカミではあるが、ヒトでもあるのだぞ」
「…はい。胆に命じておきます」
まだ、目が逸らされネエのか。上等だな。

「フザケルな。いつか絶対、骨まで喰ってやる」
じじいに言った、つもりが。
「……師匠」
「うむ。」
キラキラと藍が。思い切り光を取り込んでおれを見上げてきた。
嫌な予感がするんだが……。
「オレは、食われるのを厭うことができません。オレは、オオカミのものですから」

サン……なんだって??
じじいが。にやり、と唇を引き上げた。
だからそこで何故あんたも笑うんだよ、大事な弟子じゃないのか、ソイツは!
イカレテルぞ、あんたら全員!!

「ロロノア、」
突然の呼びかけに意識がどうにか追いついた。
「ア?なんだよじーさん。」
「黄金の鳥はオマエで良いと言っている」
「わけわからねえぞ、あんた」
蹴るなっ!!
じじいが立ち上がったままで言いやがった。
「運命とは、稀に甘美なものだ。祝着」

「腐れジャンキーが」
ああしまった、と思ったときには時既に遅きに失したか。
じじいの裸足がおれの頭上に閃いたらしい。避けたら肩にあたりやがった。
サンジが場違いにくすくすと笑ってやがる。

「あのなあ、じーさん」
どうやらサンジの傍が安全地帯と踏んで、身体の前にサンジを置いてみた。
「おれは。あんたに礼を言いに来たんだ。随分な扱いじゃねえか」
「それが礼を述べる者の態度か愚か者が」
……口の減らねえ、シャーマンだぜ。
「じゃあ、コレはおれのなのか?」
サンジの頭に手を置いた。

きょとん、とした顔で。サンジが無理矢理に振り向いた。そして、問い掛けられた。
ゾロ?と。
「あンたの言ったことだろう?」
問いかけに応えた。
返事を待たずに、じーさんに告げた。
「ならば、あんたの予言の礼も言っておく。確かにな、おれは"馬"に跳ねられて死にかけてコレに会ったわけだ。
あんたの言葉を借りれば。それから後は自分次第だな?遠慮なく好きにさせてもらう」

テントを出ようと幕を引き上げた時、背後からまたじじいの声がした。
「おまえほどの愚か者は見たことがないぞ」
「ああ、結構。何事も一番がおれの趣味だ」
喉の奥で、じーさんが。咳とも渇ともとれる音を出しやがった。
命の危険に晒される前に、テントをさっさと出た方が良さそうだ。あのでかいオトコは、いまのじじいほど
殺気をだしちゃあいねえ。やべえ。

「ではのちほど、グレート・サンダー・フィッシュ。我がコイビトよ」
「…みゃ?ゾロ???」
ちゅ、と驚き顔のサンジの唇に自分のそれを押し当て。
テントを飛び出た。

陽射しが、目に飛び込んできた。
母屋、か?そのドアに向かって行った。



光のあまり届かないティピの中。
皺が深く刻み込まれた師匠の顔、更に皺が深くなっているのが見える。
…ゾロ。
オレのこと、コイビトって言った。
オレがゾロのコイビトでいいのかなぁ?
オレ、本気にしちゃうよ?
だって、オレ、嬉しいもの。
すごくすごく嬉しいもの。
理由はよくわかんないけど。
髪の先から、爪先までの細胞全部が、喜んでいる気がする。

コイビト。
うあ
照れるぞぅ。
きっと真っ赤になっちゃってるオレを、師匠がじろりと見た。
…なんで師匠、不機嫌なんだろう?
「シンギン・キャット」
はい、と言って、師匠を見上げた。師匠はゾロが、嫌いなのかなぁ?
ぽん、と長いパイプの先を、掌で一度打った。
姿勢を正した。

「アレは狩る者だぞ」
狩る者。それは、ゾロが狼であれば、当然のこと。
「ハイ」
頷いた。
「ヒトを。」
「…ヒトを、ですか?」
…ええと…どういうことだろう?ヒトを狩る…存在を、ってことかなぁ?

「アレの手を。オマエは好きか、」
ゾロの手。大きくて、少し寝起きは冷たいけれど。
「はい」
頬に触れてくれる時、なぜか泣きたくなる。
もっといつも触れてくれればいいのに、と願っている。
ゾロの手は、スキ。

「オマエを抱くその同じ腕でアレは凶つものを抱くぞ」
凶つもの。
それはなんなのだろう。それは、ゾロに災いを齎すものなのだろうか?
もしそうであったとしても…オレは。
「それでも、構わないのです」

あの腕の中は、とても温かい事を知っているから。
あの腕に抱かれていると、とても安心することを知っているから。

「それでも、オレはあの腕を乞うのです」
もっと抱いていてほしい、と。
オレを包んでいてほしい、と。

「オマエを映す同じ眼で、アレは嘲ってヒトを殺める者だ。それでもか」
ああ、そうなのか。
やっぱり。
視線を伏せた。師匠は、きちんとゾロを観ている。

「オオカミではない、ヒトだと。言ったであろうが。アレが濡れるのは獣の血ではない」
ゾロ。
ゾロの過去。
エース。殺された、ダイスキなヒト。
…そういうことを請け負ったヒトなのか、ゾロは。
そういうものを、背負ったヒトなのか。
哀しいね。
愛することだけでは、成り立たない世界。
師匠がまた、トン、とパイプを掌に打ちつけた。

「シンギン・キャット」
「…それが、彼の負う宿命なのであれば、オレは目を逸らさず、受け止めたいと思います」
師匠を見上げた。
そう、オレは、ゾロを嫌いにならない。

「オマエが知ったとあらば。アレはオマエを受け入れまい。そういう愚か者だ、アレは」
「ならば、隠します」
そうだね。ゾロは、きっとオレを遠ざけるだろう。
オレを置いていくだろう。
もしかしたら、オレを殺していくだろうか?

でも、それでも。
それがゾロのためだというのなら、構わないと思う。
オレは、ゾロに、この身を捧げても、いいと思う。
師匠がすぅ、と目を細めた。
真意を測られている。

「愚か者が」
「はい」
そうだね。まだ、出合って1週間ほどにしかなっていない。
ゾロ自身と出会ったのは、もっと短い時間だ。
だけど。
オレは…オレは、ゾロになら。
喉を曝して、噛んでいいよ、と。
言ってあげたいのだ。

「アレのことをオマエは知らぬな。」
「はい。存じ上げておりません」
確かに、オレはゾロのことをよくは知らないけど。
本能が、それでも構わないと告げる。細胞が、それでもいいと喚く。
オレは、ゾロがどんなヒトであっても。受け入れてあげたい、と。
そう切に思う。

「獣がたとえ仮初にも情をかけた相手を屠るはずがなかろう」
「そうですね」
ゾロは、多分、オレを殺しはしないだろう。
だけど。

「あの者達は。己の牙の強さを知らぬだけだ」
ゾロの…後ろにいる人たちは、解らない。
「はい」
ゾロは、強い。
きっと、本人が思っているよりも。
そして、それと同じくらい、弱いのだろう、本当は。
強いだけの存在なんて、いないのだから。

「その牙に己を晒すというならば、好きにするが良かろう」
「ありがとうございます、師匠」
オレはきっと、傷つけられるのだろう。
ゾロに。
ゾロの牙に。
ゾロを取り巻く運命に。
だけど…オレは受け入れるだろう。
何があっても。

下げていた頭を、パイプでぱかんと叩かれた。
愚か者めが。そんな声が聴こえた。
見上げると、とても哀しそうな目をしていた。
師匠。きっと、とてもオレを思ってくれているのだろう。
だけど。

オレはゾロの…やさしさになりたいと思うから。
ゾロがジョーンの持っていたものを、持ち続けるための鍵となりたいから。
オレは、ゾロが「もういい」と言うまで。
カレと共に在りたいのだ。
たとえ、この夏が終わっても。
それがたとえ、この夏のことだけだとしても。

オレはずっと、ジョーンを想う。
そしてオレは、ずっと、ゾロを想う。
I have pledged so.オレの信じる聖霊に、誓ったから。

「シンギン・キャット、」
「はい」
「オマエのモノは。亡霊に追いつかれる」
「…はい」
亡霊…エースが、カレに戻る。
く、と目を細めて師匠を見た。

「その先は、わしにも精霊は語らん」
「…はい」
運命は、枝分かれしたいくつかの道から成る。
ジャックおじさんが教えてくれたこと。

「亡者は、善きものと悪しきものがあるとオマエは知っているな。」
精霊が語らないということは、道が均等の可能性を持っているという事。
「存じてます」
「語りかけてはならぬぞ」
善き霊、悪しき霊。簡単に転ぶものもある。
属性はいつも一緒とは限らず、対象に応じる事もある。

「肝に命じます」
頭を垂れた。
エースに語りかけてはダメだということなのだろう。
ゾロは、独りで対峙しなければならない。
オレは、遠くから見守るだけ。

じゃら、と師匠のターコイズの首飾りが音を立てた。
いつもの場所に、戻ったのだろう。
「シンギン・キャット、ところで」
「はい」
頭を上げた。もういつもの師匠の顔をしていた。
「オマエはメイトをわしに見せにきただけなのか」
メイト。
伴侶。
うわ、そういうことになるのかなぁ?
ああ、今はそういうことに拘ってる場合じゃなくて!!

「今日は、解熱剤の配合について、教わりに参りました」
うむ、と師匠が頷いた。
すぐに薬草の名前や、必要な材料についての説明が始まる。
配合や、作る儀式の作法など、事細かに言葉にして。
意識を集中して、記憶に刻み込んでいく。
師匠は歌うように言葉を伝えて。そのトーンごと、忘れないように、しっかりと聴いていく。
ゾロのことは、この時ばかりは、意識から追い出した。




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