師匠から、口頭で講義を受けた。
コロラドにいるジャックおじさんから、いろいろなことを学んでいたときから口頭で物を教えられる
事には慣れていたから。だから、すんなりと受け止めた。ワラパイ族に昔から伝わる、解熱剤の作り方。
師匠は、まだ精霊と語らうようで。ティピの中に、残った。
師匠に礼を述べてから、母屋に戻った。

温かい木の家の中。コーヒーが漂う。
だけれど。
異質な匂いが、まだ残っていて。エースの亡霊が、居たことを知った。
リトル・ベアが、テーブルについていた。ゾロの背中は、振向かない。
ゆっくりと近寄っていった。リトル・ベアが、横に首を振った。

そうっとゾロの肩に、手を伸ばした。
ダイジョウブには思えなくて、声はかけない。
ゆっくりと、ゾロの髪を撫でた。
短めの髪。やさしい手触り。
やわらかく漉いて。

リトル・ベアが、テーブルを離れた。
きい、とドアの音が聴こえて、師匠の様子を見に行ったようだ。

ゾロが、同じ、と呟いた。
ゾロの頭を、そうっと引き寄せた。
「何が…?」
「同じカオをしていやがった、」
「そう」
髪に口付けた。二度、三度。
ゾロが噛み締めるように呟くのを聞きながら。
背中を撫で下ろす。ゾロの頭を抱く。
少しでも痛みが和らぐように。

「思い出した」
「…エースさん?」
ゾロが頷いた。
「…話して、くれる?」
ゾロが首を横に振った。うん、オレは、それでも構わないよ。
額に口付けた。柔らかく。

「辛い…?」
ゾロが、喉の奥で笑っている。
「わからないな、」
ぎゅ、とゾロを抱きしめた。
「…そういうことも、あるね」
こめかみに、口付ける。

「迷っている…?」
「いままでに、感じたことがない。いまの・・・・・・」
「うん…?」
ゾロの言葉を待つ。
広い背中に、手を滑らせた。繰り返し、何度も。

「失くした気がする、」
「なにを…?」
頬に口付ける。
「---タマシイ?わからないな」
ぐい、と身体を引き離された。一歩下がって、ゾロを見る。
オレはアナタを、安らげることはできないのかな。
ゾロは椅子から立ち上がって、リヴィングにある肘掛け椅子の方に行った。
ぎゅう、とオレのことを抱きしめてから。

…ゾロは。
独りで考える時間が必要なのだろう。
ゾロが座っていた椅子に、座り込んだ。眼を閉じて、その場を探る。
ヒトだったものが、居た痕跡を感じる。語り合うな、と師匠はオレに言った。
だから、すぐにその存在を消した。
混沌に帰りなさい。そう、それに告げて。

エースの亡霊。
本物は。
オレには時々見えていた。
眠るジョーンを見下ろしてたり。
煙草を吸いながら本を読む、ゾロを見ていたり。
時々オレの視線に気付いて、にやり、と笑いかけられた。
悪い気配はしない。

こいつ、しょーもないよなぁ。
そんな視線で、ゾロを愛しそうに見下ろしていた。
ジョーンも、ゾロも、ダイスキだったエース。
いつだって、ゾロの側にいるのに。

はぁ、と溜め息を吐いた。
ゾロが残していったコーヒーを、少し貰う。
リトル・ベアが戻ってきた音がした。
まっすぐとこちらに来る。
「シンギン・キャット」

「リトル・ベア、この間は、馬を貸してくださいまして、ありがとうございました」
「気にするな」
「はい」
テーブルの向こう、亡霊がいた場所に。どかり、と音を立てて座った。
リトル・ベア。亡霊のことなんか、ちっとも気にしていないみたいだ。
生きることを知っている者に対して、亡霊は影響を及ぼす事が出来ない、と。
昔ジャックおじさんに聴いた。必要なのは、いつも自分を保つことだよ、と。

「狼は大丈夫だ」
「…はい」
リトル・ベアの言葉に、頷いた。
ゾロは、大丈夫。哀しみに呑まれたりはしない。
ただ今は、時が必要なのだろう。
失った何かを知り、それを抱えて生きる術を見出すまでは。
「シンギン・キャットは、決めたのか?」
「…はい」
「そうか」

「無理はするな」
「ありがとうございます、リトル・ベア」
「助けが欲しければ、言え。言わねば伝わらぬこともある」
「はい」
リトル・ベアは、必要以上に言葉を使わない。
すごい人だなぁ、と会うたびに思う。師匠の息子ではないけれど、遠縁だと聞いていた。
まだ若いけれど、師匠の後を告ぐことを決めた、メディスン・マンだ。見習うべきところは多いなぁ。
そうっと息を吐きながら、微笑みかけた。リトル・ベアが、大きな手を伸ばして。
ぽんぽん、と頭を叩いてくれた。

そして、ゾロの方へ行ってこい、とジェスチャーで示す。
振向くと、ゾロは組んだ手に、顔を埋めていた。
オレは、邪魔じゃないかなぁ?
それ、でも。
せめて、ゾロの側に居たいと思う。
そうっとゾロの側に近づいて、ゾロが座っている椅子の足元に、座り込んだ。
触れるか触れないかの位置。熱だけが届く位置。
大丈夫、アナタは独りじゃない。
そういう気持ちだけを込めて、ゾロに思いを飛ばした。
眼を閉じると、雀斑の散った顔のオトコが。
オレに向かって苦笑した。

エース。
ゾロは何を失ったんだろうねぇ。
それはオレが、どうにかしてあげられることなのかなぁ?
小さく息を吐いて。ゾロが早く、それを乗り越えられるといいなと願った。

不意に、ゾロの両腕が伸びてきて。
膝の上に、引き上げられた。
にゃあ。
ゾロに小さく、微笑みかけた。エースの変わりに。
少しばかり、眉根を寄せたゾロ。
でも、笑い顔になった。すこし困ったような。
頬に手を滑らせた。
「胸貸せ」
「うん」
ゾロの頭を引き寄せた。

頬を寄せて、体温を分け合う。髪をゆっくりと撫でた。
ゾロがはぁ、と息を吐いて。すこしだけ、体重がかけられた。
緊張が、ほんの少しだけ、緩んだようだ。
泣いてもいいのに。泣くことは、恥ずかしいことじゃないのに。
きっと、そう言っても、泣けないのだろう。
耳に口付けて、髪を慰撫した。
きっと今ゾロは、泣いている。心の中で、独りで。
オレは、聴こえない振りをしよう。

だけど、オレはずっと受け止めるよ。
ゾロの悲しみも、なにもかも。
だから、安心して泣いてください。
アナタがもう一度、立っていけるまで。
それまでは、オレがアナタを守ってあげるから。
ダイスキだよ、ゾロ。



おれが、唯一ずっと大事に、捨てることさえ出来ずに忘れるということでしか守れなかった、
おれが確かに持っていた愛情の。その形を取って現れた亡霊は。
同じカオと同じ声と同じ仕種で、酷く似通ってはいてもなにかが根底から違う、そんな言葉を繰り、紡ぎ。
消えていった。
アレは違う、眼にしたものは偽りだと気付いてから。自分の内に在る空ろにもまた、気付いた。
失ったものの、重さ。

いつの間に戻っていたのか、サンジの指が。慰撫するように髪を滑るのを感じていた。
そのゆっくりとしたリズムに、思考が停止しかける。卓を離れた。
宥めるような慰撫は、いまは。いらない。
部屋の奥に場所を見つけ、座した。焦ることはないと、あの男は言った。
けれど、耐えがたいほどの虚を抱えて、そのまま。
気付いてしまった虚を晒して生きていける場所には、おれの居場所は無い。

考えろ。バランス、
亡者は偽りも真実も語らない、と言っていたか。記憶と無意識と。
だけど、いまはおそらく。
もう一度、失ってしまったものの意味を僅かでも見出すことが先かもしれない。
いままで、なぜ忘れていられたのか。コドモが書き残した以上のことが一々鮮明すぎるほどに思い出された。
笑い声、話していたユメ、歩き方の癖。組んだ手に顔を埋めても、消えずに。
耐えがたいと音を上げかけたとき、ふわりと空気が動いた。

足元、ほんのわずか距離を介して、サンジがいた。
考えるより先に、腕を伸ばし抱き寄せていた。
生きているもの、熱を放ち、鼓動し。抱きとめる腕と、擦る寄せる頬と。
自在にその色を変えるように思える瞳と。名を呼ぶ声と。
子供じみた奔放さと、おなじほどまっすぐな愛情とを惜しげもなく与えようとしている。
そんなモノがおれの手の届く場所にあった。

その胸に額を預け、息を吐いた。
じんわりと拡がる穏やかな熱が、同じだけの緩やかさで。何かを引き出していった。
どこか、深いところから。押し込めていた冷えた固まりがせり上がるように感じ。
まるで、頭ごと抱きかかえられているのだと、離れた所で自覚していた。

ナミダ。
かなしみ。
淋しさ。
遺棄。
その先。
手にした鋼の冷たさがやがて掌に馴染んでくるように表層に浮かび上がる感情と言葉。
掌に拡る、感じる。生きているものの熱を、いっそう抱き込んだ。
ダイスキダヨ、と。
流れ落ちる。
言葉より先に衝動、やがてそれが溜め息に変わっていった。
なあ、オマエが。なぜここに在るんだろう。
サンジ。




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