まだ早い午後、家へ着いた。
明らかに、すっかりしょげかえった様子のサンジは見ているだけで痛々しかった。
家へ戻るなり沈鬱な表情のまま、早々にベッドルームへと消えていった。
行き過ぎた冗談、ですませてやるから。次にあンたがあの扉からでてきたなら。
だから、そんなに塞ぎ込むな。
そんなことを思っていた。窓から、拡がるキャニオンの景色を眺めながら。
耳に残る、漏れ聞こえた甘い声を、追い出した。
タバコに火を点け、あと1-2時間したら夕食でも作るか、と決めた。
フリーザーにあったものの在り合せで。まあ、適当になんとかなるだろう。
ポーチへと出た。
木のイスに座り、からからに乾いた草と砂の流れるのを見ていた。
サバンナでも思ったことだが。おれはこういう景色が嫌いじゃない。
2時間くらいはすぐに過ごせそうだった。
亡者の呪いが、ちらりと頭を掠めた。
フン。
アレだな、おれも死ぬとしたら。パパ・ヘミングウェイの言う所の。
頭を最後まで山頂に向けて死ぬ連中の類だ。ああ。だれが、後ろなんざ見るかよ。
陽が落下していく予兆を見せ始めるまで。そこにいた。
き、と乾いた音を立てて。外へと通じる扉を閉じた。
さて?夕食でも作ってみるか。
寝室のドアが開けられた気配はない。
ああ、もっと寝とけ。そしたらあンたも夜中に起き出さないかもしれないしな。
ケミカルグリーン抜きのガスパチョ、シザリアン・サラダ、それと一番手のかからないパスタ、といえばカルボナーラだろう。
玉子をみたときには、一瞬あの駆けずり回った鶏どもを思い出しハラが立ったが、押しやった。
パスタ以外を総て作り上げ。冷ますべき物は冷やし。卵黄を溶き、パスタを熱湯に放り込み、ダイスに切ったベーコンを炒め
オイルを捨て。パルメジャーノ、生クリーム、粒コショウ。ソースの材料を一通りあわせ。
まだおきだしてこないやつを起こすかと。寝室のドアをノックした。
「サンジ?いい加減起きろよあンた」
トン、ともう一度。
低く抑えた声が、聞こえた。
「おい?」
ドアを開けた。
うなされてやがるのか?
ぼんやりと暗い室内。すぐに目が慣れる。
「…ん…んァ…」
ベッド、サンジがいた。
「おい、」
肩に手を掛ける。
「サンジ?」
「…んー…」
サンジ、ともう一度呼び。
汗に濡れた額にはりつくようだった前髪を梳き上げた。
「…うぇ…ンン」
「起きろ、大丈夫だから」
ぽろぽろと。閉じられたままの瞼から涙が零れてきた。
指先で拭う。
「…ふ…」
「起きろ、」
頬を線を掌で包み込んだ。
「…ァ…ぞ、ろ…?」
ふ、と。剥き出しの脚が目に付いた。
「ああ。よく寝てたんだな。オハヨウ」
気分は、と付け足した。
「…ヤな…夢、見た」
「どんな、」
「わか…ない…」
ゆっくりと、頬から手を浮かせた。
きゅう、と。両腕がおれの首に巻きついてきた。
「もう、大丈夫だろう?」
「んん…」
背中に腕を回して。ベッドに座りなおした。頷いたのが。頬に触れた髪が動いてわかった。
けれど、しっとりと体温の高い体が。一層寄せられた。
リトルベアから貰ってきたのを後でつるそう、と話し掛けた。悪い夢を取り込んでくれるんだろう、あれは、と。
背中を鼓動と重ねてゆっくりと。慰撫するだけの目的で撫でた。浅い呼吸を繰り返しているのが伝わった。
「あンたがうなされるなんてな」
髪を撫でた。
「…久し振り…小さい頃は、毎日…だったみたい」
「そうか、」
ちいさな声。
なあ、あンたがへこむとおれはどうやら辛いらしいな。
サンジ、ともう一度声に出した。
「…甘えて、ゴメンナサイ」
「なぜ謝る?」
「…だって。オレはもう、大きいし…」
「関係ないだろう、第一。迷惑じゃない」
とん、と。肩に手で触れた。
「…マミィが…」
子供が悪い夢をみたなら、誰かが抱いてやって当然だろう?
「おれは、あンたのマミィじゃないし、甘やかしたいからこうしているんだ」
一人で眠れるようにならなきゃダメだ、って言った。そう、微かな声が言っていた。
「…独りで寝るのって…ホントは、キライ」
「そうか、」
「世界に…呑まれる…」
頬に口付けた。軽く。
―――世界に、呑まれる、か。
「起こせよ、いつでも」
ハナサキ、口付けた。
「ウン」
ぐい、と。涙を拭ってようやくサンジが笑った。
まだ、かすかに痛みがのこるようなそれ。ひきずってもいられない、と。
割り切りでもしたようなコレにしては妙に大人びた表情だった。
「オーケイ。じゃあ、さっさとジーンズはいて出て来い。夕飯にしよう」
「ウン」
立ち上がり、放り出してあったデニムをぽん、と顔めがて放った。
「んあ」
「オハヨウ、サンジ。」
「オハヨウ…って、うわ、すごい時間だ!」
笑って受け止めていた。
それを眼の端で確認してから、ドアを抜けた。
何か言っていたが。はやくしろよ、とだけ答えた。
……ああ、しまった。予想外に時間くっちまったか。
パスタ茹で直そう。
久し振りに、イヤな夢を見た。
最後にうなされたのは…いつだったかなぁ?
夢の内容は、覚えていない。
ただ、身を切られるような痛みだけ、残っていた。
辺りはすっかりと暗くなり始めていて。
ゾロが早くしろと言っていたことを思い出した。
慌てて、ジーンズを穿いて、キッチンに行くと。
…びっくり。
晩御飯が出来ていた。
ゾロがキッチンで、茹でたパスタにソースを絡めていた。
…カルボナーラ。
優しい匂い。ベーコンの香ばしい匂いも、空気に混じってる。
そして、ほんの微かに、ゾロのタバコのにおい。
顔洗ってくるね、って言って。ダッシュで風呂場に行った。
戻ってくると、ローテーブルの上に、カルボナーラの乗ったプレートが置かれていた。
「美味しそう」
ゾロが、料理できるなんて、知らなかった。…包丁、使えたんだ。
「美味いに決まってる」
スープボウルにガスパチョを入れて、渡してくれた。
…もちろん、セロリは入っていない。
「アリガトウ」
「ドウイタシマシテ。」
イロイロなことを、ありがとう、ゾロ。
抱きついて、キスしたかったけど。
…もしかしたら、そういう行為は、迷惑かもしれないと思うと。
…そうすることが急に怖くなって。
ゾロが立ち上がって、フリーザーからサラダボウルを出してくるのを、見てることしかできなくなった。
いつものように、お祈りをして。
「シザリアン・サラダでゴザイマス」
サラダを受け取った。
ゾロにそういうことをしてもらえるのは、嬉しいから。
自然に笑みは出てきた。
「アリガトウ」
「ああ、食えよ?」
「…ゾロも、ワインばっかり飲んじゃダメ」
赤ワイン、この間買ったヤツ。ボトルを開けて、飲んでいた。
「昼間食いすぎたな、」
…まだ数えるぐらいの時間しか経っていないのに、オレはもう、あの時のオレじゃない。
「ウッソだぁ!」
に、って笑ったゾロに、クスクスと笑いを返して。
ゾロが作ってくれたゴハンを、口に運んだ。
「…美味しい」
胸が一杯だけど。ゾロが作ってくれたゴハンは美味しくて。
「ボナペティト、マ・シェリ」
「グラーツェ」
からかうような、ゾロの笑顔に励まされて。
ゆっくりと、プレートに乗ったゴハンを、食べて行った。
ゾロも、少し食べて。
…少し、しんみりとしたディナーだった。
結構な量が、残ってしまった。
全部、キレイにラップして、冷蔵庫に仕舞って。
それから、お皿を片付けた。ゾロも手伝ってくれた。
静かな、静かな、夜。
星の瞬きすら、聴こえそうな。
…そうだ。
特に夜、することもないし。
今日みたいな日は、星空を見ると、気分が落ち着くかもしれない。
電気を全部消して。この世界に溶け込んでみる。
…呑まれるのではなく、一部であることを、思い出す儀式。
「ゾロ、外で寝転がって、星を見よう!!」
そうと来たら、シーツを用意しなきゃ。
「―――ホシ?」
「そう。すごいよー!地面に寝転がって、家から少し離れたトコから、星を見るの!」
ゾロがきょとん、ってしてた。
…なんか、カワイイ。
「すごいね、降ってきそうに感じるよ?」
「おもしろそうだな」
ゾロが言って。
「よっし!じゃあ、行こう!」
洗いたてのシーツを持って、ゾロを誘って家の外に出た。
電気を全部消して。
一歩出た途端、キンと冷えた空気。
上着を着て出てきたから、そうそう寒くは無いけれど。
…煮詰まった頭、少しはクリアになりそうな気はした。
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