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 冴えた夜気の中に出た。
 明かりが総て落とされ。自然の暗さだけになる。
 まっすぐに歩き出す背中をしばらく見ていた。
 ようやく、歌いネコがいつもの調子に戻ってきつつある。
 どこか安堵する自分が可笑しかった。
 それでも、感じ取っていたのは、そこはかとなく届いてきていた戸惑いのようなもの。
 きょうの午後からずっと。
 
 しばらく進み、ばさりと布が拡がる音が届いた。
 平らな大地。
 星明りと月。
 ああ、思い出した。
 雷魚のじーさんに会ったのもこんな宵だった。
 ひどくムカシのことのように感じる。
 横になってしまったサンジの傍らに立った。
 頭上には、夜空の地が見えないほどの、一面の星。
 サンジはまっすぐに、夜空を見ている。
 
 おれも、シーツに足を伸ばして座った。同じように見上げてみる。
 「横たわると、もっとスゴいよ?」
 「おれはな?」
 「うん?」
 思い出していた。
 「山の中で死にかけて。日陰で休んでいたんだ。次に気が付いたときは地面にブッ倒れて、こういうホシを見上げていた」
 「…いつのこと?」
 「6月6日。」
 「…あ、それって…」
 あンたに逢う直前だよ。そう告げた。
 
 「…アナタに出会った日だ」
 声のする方へ手だけを伸ばして、触れた。
 夜気に冷えた髪。
 「…オレはね、ゾロ」
 「ああ、」
 幸福そうな声だと思った。
 「その日、鳥を見た。この場所で。…日中、暑い最中」
 鳥。
 
 「新しい何かの訪れを、示された」
 サンジがおれのほうを見ていた。微笑みが浮かんでいた。
 眼を逸らせなかった。
 「ゾロ、だったんだね」
 「そうかもしれないな、」
 「オレは…出会えたのが、ゾロで、嬉しい」
 再び夜空に視線を戻していた。
 並んで、見上げていた。
 身体を崩して、サンジから離れて横になった。
 
 一面が。
 覆われた、白い光るもので。
 「偶然でも、必然でも。ゾロと出会えた事を、感謝してる」
 肩、身体の下に感じる砂。線にそって形を変える。
 穏やかな声が聞こえた。
 「ああ、」
 悪くないな、と。続けた。
 しん、と冷えた空気が。周りを充たしていく。
 
 世界に、生きているものの気配は他になく。
 それでも、濃すぎるほどの暗さの中に満ちているのはイノチの他はなく。
 なぜ、そうしたのか。
 自分でもわからなかったが。
 離れた所に、所在無げに投げ出されていた手を取った。
 自分のより僅かに体温のたかいそれ。
 そっと、握り返された。
 
 思った。
 なあ、エース。
 きょうみたいな日に死ねたらいい気分だろうな。
 「バァカ、」
 懐かしい声だ。
 確かに聞こえた。
 
 やがて、静かな寝息が聞こえてきても。
 そのままでいた。
 せめて、もう少しは。
 世界は寛容なのだ、といった男の言葉を。
 信じていたかった。
 
 
 せめて、おれに。
 この時間を与えてくれたことには、どこかのだれかに感謝してやってもいい。
 半身を起こし。
 眠り込んだサンジを眼にした。
 穏やかな寝顔。
 悪夢などとは縁の無い、まるっきり平和な子供の顔だ。
 起こさないように、頬に口付けた。
 「オヤスミ。」
 世界が、あンたには優しくあるように。
 
 身体が冷え切る前に、そっと抱き上げた。
 熱に、身体を寄せてきた。
 頬の摺り寄せられた感触が。鮮明に伝わった。肩に。
 連れ戻し。シーツに包み、寝室の扉を閉めた。
 扉の背後で、穏やかなままの気配を確かめると。
 ブランケットをソファに放り投げた。
 オヤスミ、よい夜を。
 
 
 
 夜中、寒くて、眼が覚めた。
 シンとしていた星空は、もう無く。
 見慣れた木の天上が、目に飛び込んできた。
 横を見る。
 空っぽ。
 誰も、いない。
 …溜め息。
 確か、ゾロの手を握って、寝たと思ってたのに。
 …ゾロは、いない。
 
 …ゾロ。
 …もしかして、ジョーンも、ゾロも。
 存在、しないのかなぁ?
 オレ、独りでいるのが寂しくて。…夢、見てただけなのかなぁ?
 …ぽたり、と涙が零れた。
 そんなことはない。
 そんなことはないことを、自分が一番よく知っている。
 
 昨日オレを裏切った身体。舌先や、唇が、今度はオレに教えてくれる。
 ジョーンをスキになったこと。
 ゾロをスキになったこと。
 全部、嘘なんかじゃ在り得ない。
 身体が、覚えている。
 頭、だけじゃなくて。
 
 空っぽのベッドのスペース。
 …やっぱり、ゾロは、オレがキライになったのかなぁ?
 もう、オレをスキだって、いってくれないのかなぁ?
 寂しくて。
 哀しくて。
 涙が零れる。
 
 オレが、アマッタレなのかなぁ?
 もっと…オレがびしいってしてないと、ゾロはオレをスキでいてはくれないのかなぁ?
 ゾロは、オレが甘えても構わないって言ってた。
 だけど、もうキスはくれない。
 もう触れては、くれない。
 
 「…ふ」
 
 嗚咽が込み上げてきた。
 オレは、勝手なのかなぁ?
 ゾロに感じてしまった。
 これがいけなかったのかなぁ?
 
 「…ッ…」
 
 ゾロ。
 側にいて欲しいよ。
 抱きしめて、欲しいよ。
 オレ…おかしくなっちゃっても、イイから。
 溶けていなくなっても…構わないから。
 アナタに、側にいて欲しい。
 アナタの熱に、包まれていたい。
 
 「…ッ…」
 
 だけど…ダメ、かなぁ?
 やっぱり…ダメなことなのかなぁ…?
 
 「…ェッ…く」
 
 嗚咽、洩れないように、手の甲を噛んだ。小さい頃からのクセ。
 …オレが、コドモだから?
 オレじゃ、アナタに、愛してもらえないのかなぁ?
 …ゾロに、問いただせばいいこと。
 
 それは、わかっているのに。
 "そうだ"って言われるのが、怖い。
 "オマエなんか、いらない"って言われるのが、怖い。
 独りでいるのは、怖いよ。
 
 怖い。
 
 ゾロぉ…助けて。
 オレを、助けて。
 寂しくて、淋しくて。
 このまま、闇に沈んでしまいそうだ。
 
 オレは、アナタがスキ。
 その気持ちは、変わらないのに。
 …オレは、どこが変わってしまったんだろう?
 オレのどこが、変わってしまったんだろう?
 
 「…ふ…ゥ」
 喉。
 絞められる。
 哀しみに。
 身体、動かなくなる。
 何かに、押し付けられるように。
 動けない。
 
 息、苦しい。
 哀しみに、溺れる。…溺れる。
 …ゾロ。
 …たす…けて…。
 
 
 
 
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