夜。
適当に暖炉に薪をくべ。火を点けた。
ぱちり、と木のはぜる音と。微かに立ち昇る乾いた木の匂いが。
何の音もしない室内に響いた。
バカの真似は疲れる。

ワインを開けて適当に昨夜の残りやフル―ツを片付けていたなら、エンジン音が近づいてきた。
ああ、サンジだ。
この時間だから、出先で食事はすませているだろう、そんなことを思った。
き、と。扉が開き。
これ以上はないほどに憔悴した様子のサンジが、かろうじて、という風情で立っていた。
「お帰り」
「ただいま、ゾロ」
「御疲れさん、」
「アリガトウ」
ほわり、とそれでも笑みを浮かべていた。
ああ、そのカオは。おれが好きなヤツだな。
「飲むか?」
グラスを差し上げた。

「…ううん、イイ。それより、ちょっと食べる…パンと、チーズと、サラダ、まだあるかな?」
「ああ。あンた、外で済ませなかったのか、」
「ウン…あんまり、食べたくなくて」
通り過ぎざま、少しだけ、頭に手を置いた。
「ほら、」
「…ん」
プレートに出し。卓に置いた。

「ありがとう」
ほう、と息を吐いていた。
緊張が、わずかに肩の辺りから。解れていっていた。その様子を、見守った。
ほんのわずか、トリが突付いた程度を口にし。ごちそうさま、と言っていた。
―――酷な気がした。こいつに、告げるのは。けれど、
「サンジ、」
「…?」
こくり、と首が。かすかに傾けられた。

「おまえ、明日。どうする?」
「…特に、何も言われてないから…家にいる」
どうして?と問い掛けられた。
「じゃあ、クルマを借りていいか?シティの口座からキャッシュを取ってくる」
見詰めた。

「…うん。どうぞ。あ、そうだ。ゾロはここら辺の人じゃないでしょう?観光も、してくる?」
「―――いや、それはいい。」
ここ、何も無いからたいくつだったでしょ。サンジが言っていた。
「気付かないか?おれは相当この家できょうは遊んだぞ?」
笑った。サンジも、くる、と今更に見回して。笑い声を上げていた。

「…家具、移動したんだ!」
「アア。薪割までしたぜ」
「…ありがとう。気付かないなんて…オレ、ほんと、どうかしてる」
「疲れたんだろう?早く寝ろ」
くすん、とサンジがわらった。
「ああ、それから。」

これが肝心だ。
サンジの眼差しが、ひたりとあわされた。
「明日、おれのことは待っていなくていいから。」
「…うん、わかった」
淋しい、と。微笑がいっていた。
あンたのためなんだよ、それでも。そう、つい口を付いてでかける。
あンたを無理矢理に抱きたくないからだよ、と。

「よし。留守番できるよな?」
に、とわらってみせた。
「…オレ、アナタが来るまで、ずっと独りだったんだよ?大丈夫。勉強してるから」
「なにか、いるか?買ってくるぞ」
ふわん、と笑顔を浮かべたサンジに言った。
サンジはなにか言いかけて、口篭った。本当は、アナタが帰ってきてくれるだけでいい。
そう聞き取れた。けれど実際は。
ほんとうは―――、そして呟きに紛れた。

「何も…いらない」
言い直していた。
「了解、」
手で、頬に少しだけ触れた。
サンジの双眸が閉ざされた。感覚を追うように。
この子供は、人恋しいのだと。思った。
思うようにした。

ダメだ、と思った。
いま、この手を離さなければおれはまたコイツを抱きしめるだろう。
そうしてしまえば、また。
腕の中で、固くなる身体を無理にでも開かせかねない自分がいる。
サイアクだな、我ながら。コドモ相手に。
手を浮かせた。

空気を握り込み、身体の傍に持ってきた。腕を組んだ。
「疲れているなら、先にシャワーでも浴びてこいよ。ここは片付けておいてやるから」
「…ありがとう、ゾロ。じゃあ…入ってきます」
ゆっくりと立ち上がった姿を見て。ああいってこい、と軽く手を振った。

水音がし始めた。
それを耳で確かめ、適当に片付けていった。最後にグラスを拭きあげ、棚に戻した。
いったいおれがこういう作業をすると、果たして身内の何人が知っているかと考え。
ゼロだな、と思い至った。

最後になったマルボロのパッケージを開け、ああタバコも買ってこねぇと、とぼんやりと考えていた。
キッチンの窓を開け、煙を逃がしながら3本ほど吸い終え。ふ、と時間を思い出した。
水音がいつの間にか消えており。いいかげん出てきても良さそうな頃合じゃないか、と。
相当ふらついてたな、とも。

ああ、いつだったか。大ネコが、言ってやがったか。
大の男が10センチも水があればすぐあの世行き、と。
まあ、あのでかい手んい押し付けられたら10センチでもいいもしれねえが、普通は4インチだろう、12センチだ。
あのバカ猫どもはどうしてやがるかな、と思考が飛びかけ。
違うだろう、と戻ってきた。サンジだ。癖が出たな?おれはどうも勝手に意識からヒトを「殺しちまう」らしい。

ちらり、と部屋の奥に眼をやった。静まり帰っている。
呼んでみた。
当然のように、返事は無し。
バスルームの扉を叩いてみても、なんの応答もナシ。
―――オイ。浴槽には水は何センチ入る?
3列づつ並べても12人は殺せるんじゃねえのか?
「サンジ、」
返って来ることのない答え。

入るぞ、と声と同時にドアを開ければ。
正面、オフホワイトのシャワーカーテンが引かれていた。
湯気で温まった空気が纏わりつき。けれど内側からはなんの動きも感じ取れなかった。
コドモはよく、バスタブの中で身体を沈める。水の中に頭までぜんぶ沈めてしまって、身体の中を流れる
血の音や。大きく聞こえる水音を聞いていたりする。
コレもそのくちか?

ただ、中で眠っていれば。
ヤバイだろう。死ぬぞ?

何歩か近づき、カーテンを引けば事足りる。
「バカ、あンたなにやって―――」
シャワーカーテンを引いたなら。
おれの足元にまで沫がバスタブの縁から零れて流れてきた。

「サンジ?」
浴槽の縁に頭を引っ掛けるようにして、バカが沫に埋もれて。すーすー寝てやがった。
その頭を見つけるのに。おれは肘まで沫だらけになった。
「なにしてるンだよ、ったくてめえは!」
頭ごと引き上げるようにしても。
くったりとそれは眠ったままで。起きる兆しも見せはしなかった。

「あああああもう、」
片腕を伸ばして、さっき目に付いていたバスタオルを引き寄せる。
身体が沫だらけだろうが知った事か。浴槽から引き上げてタオルに包み込んだ。
つるり、と。肌を滑る沫が酷く煽情的だとか。
上気しちまった頬の辺りが美味そうだとか。
指先までキレイな形に出来上がってるんだなとか。
いい加減、バラバラに動く思考に嫌気がさした。
その間も、身体のほうは勝手にコイツのことを抱え上げて寝室まで「持っていって」いた。

髪が濡れたままだが。文句は言うなよ。
おれは、着せ替えの趣味はないし、第一あンたを隙あらば食っちまおうって考えてるかもしれねェんだからな。

ベッドリネンの間に意識不明の体を突っ込んで。
濡れたバスタオルを間から引っ張り出した。
まったく、お笑いだぜ。
自分が健気過ぎて涙が出るな。
それでも。
バカバカしさに追いついて、勝手に口角が上がった。
すーすー眠ってるこいつの顔が思いのほか気に入ったからかもしれない。
随分、久しぶりにこういう素のカオを見た気がする。

「あンた、泣いてばっかりだったからな、」
する、と額を指先で撫でた。
ふわ、と。寝顔が少しばかり和らいだような気がした。
ああ、サンジ。きょうはいいユメだといいな?

「では坊ちゃま。私めは浴室の始末をいたしますよ」
どこかのクソ執事の口調を真似て。ベッドの脇から離れた。
灯かりを消してドアをしめる前に、それでも。
ベッドに向かって中指は立ててやった。信じられねえ。いまから風呂掃除だぞ、このおれが。

おまけに。
笑いごとじゃねえな、と。意識した。
コイツが起きてくる前に。
出て行っちまおう、と。
ペルにでも、連絡をつければいい。銀行などそれで済む。
丸一日あれば、どうにかなるだろうと思った。
………コイツのまえに、またカオが出せるまで。




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