ゾロが帰ってきた。
もう鼻に慣れてしまったマルボロの匂い。
外の冷たい、砂漠の匂い。
そんなものを、身に纏って。
なんだか、昨日まであった焦りみたいなものが。
どこかに置いてきたみたいに、ストンと落ちたような雰囲気だった。
柔らかな、物腰。

不意に嗅ぎなれないソープの匂いを嗅いだ。
外でバスを使ってきたのだと知った。…そうか、オンナのヒトを、抱いてきたんだ。

胸が痛んだ。
ゾロはオトコだし。オスがメスを要求するのは、アタリマエのことだし。
ゾロは、いいオトコだから、オンナノヒトは、ゾロを放っておかないだろうし。
…どうしようもないこと。責めることも、できないこと。
…一体何の権利で、ゾロを責めることが出来るのだろう。
ナッシング。

オレとゾロの関係は…事故の加害者と被害者で。
今は、家主とゲスト。
…友達とも、他人とも言えない、微妙な位置関係。
ダメだ、オレ。
ダメだ。
酷く胸が痛んで。
どうしようもなく、身が切られるような思いがする。
だけど、それをどうすることもできない。
…痛い。
泣きそうだ。
だけど。

今、ここで泣いたらゾロは、やさしいから、オレをきっと抱きしめてしまう。
その大きな手を、背中に当てて。
柔らかく、背中を撫で下ろし。
…ダメ。
泣く事なんて、できない。
絶対に、オレ、すがり付いてしまう。
抱きついて、泣きついて。
…それからどうしようというのだろう。
…はぁ。

ゾロの腕から、そうっと離されて。
やっとの思いで、オヤスミナサイとだけ告げて。ベッドルームに戻った。
背後で、オヤスミ、と言っている声が聴こえたけれど、振り返ることすら、できなかった。
ベッドにもぐりこんで、枕を抱き込んで。
溢れてくる涙はそのままに、洩れそうな嗚咽だけ、どうにか頑張って押し殺した。

ゾロ、オンナノヒトといた。
オンナノヒトと、関係してきた。
発情期が特に無い人間なんだから、身体が欲求すれば、あたりまえの行動。
…ゾロ、どうしてここに残っているのか、わからないけれど。
ステディなカノジョとか、いるだろうし。
きっと、オレなんかより、カノジョのほうがいいだろうに。

ふ。
理屈では、気持ちは推し測れるのに。
キモチは納得してくれない。
どうして?

「…っ」
アナタの腕の中…ずっといたかったよ。
だけど、もうダメだよね?
…額をなぞっていった指。
優しくて…優しくて。
もっと、触ってほしい、と言ってしまいそうだった。
夢、オレのフェミニティ。オレのアニムス、みたいに。
もっと欲しいの、もっと頂戴。
オレをアナタで満たして、と。
オレをアナタで包んで、と。

ぎり、と唇を噛んだ。
ふわ。と血の味が、舌先に滲んだ。
涙、止まらない。
だから、枕に全部、吸い込ませた。
声も、雫も、何もかも。
そうして何時の間にか、眠りに落ちるまで。



暖炉に薪を足した。
そのまま、横になって眠ろうかとも思ったが。多分、無駄だろうと諦めた。
手に残る感触は、蕩けるかと思えた肌でも、汗ばんだ肉の重みでもなく。
頼りないほど、さらりと指の間を抜けていった髪の質感だった。
触らなけりゃ良かったな、と今更ながら失態に苦笑した。半日以上かけて忘れようとしたのに、それがこの様だ。
木のイスを暖炉際に引き寄せて、眠りを放棄した。

窓の外には何もうつらず、灯かりを落とした中は暗い。時折火のはぜる音だけが届き。
手持ち無沙汰で灰皿代わりの皿に吸殻をただ積み上げていっていた。
何を考えているかといえば、見事なまでに頭はブランクで。いっそ、可笑しかった。
熱の引いた体と、空っぽの頭はちょうどいいのかもしれない。
人畜無害な男の出来上がりだ、―――お笑いだな。

窓の外の暗がり、拡がる砂。
アリ塚の底からソラを見上げればこういう心境になるのか、メキシコの連中のように生きたまま墓穴で目が覚めれば
この気分に近いのか、よくわからないが。思考を放棄するのも悪くないかもしれない。
あと何時間かで夜が明ける。それから何時間かすればアレはまた半日でていくだろう。
翌日またおれは姿をくらませて、アレは泣くのか?
眼を閉じた。
やめちまおう、と思った。
泣き顔が見たいわけじゃあ、ないんだ。レジデンスにでも戻って。じじいとあのクマにでも殺される覚悟で、「ナシだ、」と告げて。
フェニックスでおれの面が割れているなら、どこでだって同じだろう。サウスハンプトンのあの家に戻ったっていい。
明日、サンジのいないうちにここから出て行っちまおう、そう決めた。

ごとり、と薪が崩れて。もう火を足さなかった。
組んだ手に顔を埋めて。何も視界に残すまいと決めた。窓の外を渡る風の音が、少し遠ざかった。
やってこないと思っていた眠りが、どうやら近くにいた。


「…んぁ…は…あ…ァ…ぁァ…んゥ」
かち、と。音がしたかと思った。それほど唐突に意識がクリアになった。
「…あ…は…ァんッ…ふ…ぅ…ッ」
けれど聞こえたのは撃鉄の押し上げられた音などではなく、融けた―――
ざわり、と肌が粟立った。
魘されているのか、また。悪夢、の一種なのかやはりこれも。苦しげに抑えられた声、
それでも滲みでるのは明らかな……
古い銅版画。眠る女の胸の上に蹲る小鬼、あるいは、淫夢。サキュバスが枕もとに侍る。
ぞくり、とまた漏れ聞こえた音に神経が逆立つ。それといっしょに、苛立ちに似た何かが、ゆらりと掠めた。
ああ、これは多分―――嫉妬だ。
夢の中の、手に。唇に、舌に。おれは、どうやら嫉妬しているらしい。
自嘲、に似た気持ちを抱えて立ち上がった。

扉を開ける前に、過ぎったのはひどく冷めた笑い。
ああ、おれはとんだ大バカだな。愚か者、まさにそれだ。じーさん、あたってるじゃネエか。
ノブを回した。
ああ、自分から結局なくすように仕向けるわけか。―――まあ、いい。

「…ふ…んン…ッ」
カーテンを引いた暗がり、ベッド。ぼんやりと色味の薄い枕もと。ゆっくりと、サンジの傍らにすわる。
寄せられた眉根に、指先を這わせた。
起きるか?
「―――サンジ、」
名前を落とす。
「…ァ…ん…ッ」
次いで唇を瞼に。
「…ふ…ぁ…」
頬を撫であげ、顔を上向ける。そ、と苦しげに開かれた唇に押し当てた。
「…ッ…ン…」
握り込むようにあわせられていた手が、シャツの裾に縋るようにした。
あンたは夢の中でも甘ったれかよ、と少しばかりわらった。
感傷に流されかける、それでも。少しづつ口付けを深くしていった。

「…ん…ン…ぁ…」
おれは、あンたに起きてもらいたいのかもしれないな、と思いながら。
喉から漏れる喘ぎを、ぜんぶ。取り上げちまいたい。
舌を絡め、撫で上げ奥まで。味わう。

「…ッ…ん」
頬を撫でていた手に、伝わる流れ。
閉ざされたままの眦から、涙が溢れ、珠になりそれが弾けて流れ落ちるさまを、見詰めていた。
口付けを解かずに。
眠りにあるはずなのに、熱いすこしばかり薄いあンたの舌が動き、応える。
誤解しかける、求められているのかと。

「…ンん…ッ」
あまく歯を立て、そして食い千切ってやろうかと。衝動。
起きろよ、
く、と服が思いがけず強く引かれた。浮かせていた半身をあわせ、頭を抱きこんだ。
濡れた音、耳につく。
「…んゥ…」
唇が薄く離れても、濡れた肉は触れ合う。それほどにまで深く変わっても。漏れる声はどこまでも甘い。
「サンジ、」
耳朶を口に含み、呼ぶ。
起きろよ、さもないと
「…ン…」
息づくものを感じる、熱と。切なげな溜め息が応える。
薄く開いた口もとが浅い呼吸を繰り返し。
おれはその瞼が開けられるのを待つ、けれども。
手が、いっそう。腕が、縋りつく。
眼を閉じた。

おれは、あンたが欲しいんだ、わかってるのか。血がふつり、と温度を上げる。
首筋、牙を埋める。あンたを、汚しちまうぞ。おれは。
「んぁ…ゃ…ァ…」
声。
背骨を伝う。
ふわり、と上がる抱いた体の熱。微かに浮いた汗。
「…は…ァ…ぁ…」
ぎ、と。きつく噛んだ。なあ、起きてくれ。
頼むから。

いつの間に、肌蹴られたリネンから。剥き出しの、長い脚が露わになる、
「…ッ…」
僅かに強張る線、なだらかなライン。
明らかな兆し。
直に肌に触れる、撫で下ろし。びくり、と胸の下の身体が反った。
「…あ…ァ…ぁン」
は、と。溜め息、にしてはひどく熱いソレがおれの口から漏れる。あンたの声を聞くだけで。
滑らかな線、腰骨のくぼみに沿って掌を下ろしていく。
「…は…あ…ン」
く、と掌に押し付けられるように腰が揺らいだ。
口付けた。
「…んぅ…ン」
そのまま布地の中に差し入れ。おれはひどく絶望的な気分だった。
「…ッん…ぁ…」
やんわりと握り込み。
その熱を喜びながら。サンジのカオが、苦しげに眉根を寄せるさまを見た。

ああ、おれは。
あンたが。
あンたのカオが、蕩けるのが見たいんだよ。

上向いてしまった頤に唇を落とし。
「ふぁ…ぁ…ィ…ッ」
指、ずくり、と疼く熱を確かめるように撫で上げる。
「ん…ンん…ッ」
「サンジ、」
「…あァ…ン」
シャツの背が、握り締められたのだとわかる。
ふ、と。
自棄めいた感情が湧いた。
ああ、そうか。
あンたを抱いてるのはおれじゃないかもしれないんだよな……?
淫夢に乗じて、いっそのこと。そう思った自分が。
バカバカしい、すう、と熱が引きかけた。
重ねていた身体を起こし、手をひらいた。からかうように軽く、息づくものに触れてから掌から逃がす。

「…ヤ…ャだ…ッ、…もぉ…っと…ンン…」
殴られたかと思った。
視覚、こいつのぽろぽろと零す涙に。
聴覚、蕩けきった強請る声に。

「…ぁ…ね…ェ…や…ァ…」
掌にのこる、じんわりと濡れた感触。そのどこまでも―――
縋りつく、胸元。
熱で熱った身体が、全身で。いくな、と鳴いていた。
飢え、がすべてを満たし。
「…ね…もぉ…と…」
声。
乾き、欲した。
気付けばおれの手は。
コレの下肢を露わにし、口に含み言い様に声を上げさせてた。

「…ふ…んぁ…は…あぁ…ん」
何度も跳ね上がろうとする身体を押さえ込み、追い上げ。
「は…あ…ァ…ッ…は、ァ…」
熔かし、追い詰め。貪る、オマエを。
哀願の声さえあげさせたいと
仰け反らせた喉を、喰い破る代わりに。

「…あ…ァ…ヤ…ぁう…んゥ」
口腔と舌先、零れる雫と震え拡がる熱と蹂躙する、
ゆらゆらと温度の低い快意が自分の内に篭もる。
柔らかいだけの愛撫から、やんわりと噛む。
やがて荒い呼吸が、切れ切れになり。
弄ぶ舌の上、限界を悟る。

「ぁあ…ゃ…あ、あ、あ…は…ッ」
片手、膝を折らせ抱え上げていた腿が。きくり、と痙攣した。
口に拡がる熱は。何のためらいもなく喉を降りていった。

残らず舌で舐めあげる。僅かな動きも逃がすまいと探り、
絡め取り。引き出し。
ひくり、と。脚が揺れ絶えない震えを伝えていた。
きつく抑えた指、跳ね返し取り込むように。

腿の内側、深いところに。
吸い付いた。
「あァ…んぁあ…」
指に、脚の更に強張ったのが伝わり。
声に煽られ。

零れたもので濡れたそのもっと奥、触れようとする衝動を押さえつけ。
内腿から膝裏まで、口付け、歯を立て舌でなぞり。離れた。
腰、腹、胸、肩。ゆっくりと撫で上げる。
「…ッ…ふ、…は…は…ァ…」
ふつ、と粟立った肌。唇を落とした。

「…ん…」
そっと、宥めるように。
剥がした下衣を半ば苦笑して戻し。
髪を撫でた。
頬、指を添わせて。
わずかに、悦楽の名残の残る、朱のを乗せた眦に親指でふれ。
息の整うのを待った。

なにか、おれの口が言っていたが。よくわからなかった。
歌?そんなモノかもしれない。
ふ、と吐息が。穏やかなものに変わった。
頬に添えた手に。カオを押し付けるようにして。
口もとに、微かに笑みの影を上らせて。

こく、と自分の喉が動いたのがわかった。
引いていく己の熱、それよりも増す渇望、
―――絶望的だ。
ああ、これは。そうだな、地獄の喜劇か?ひでえ呪いだ。
勝手に浮かぶ笑いを殺して。
寝室を後にした。

ブランケットを持って。またおれは外へ直行だな、きょうも。
明け方まで。





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