言葉は、発せられなかった。なにも。おれが、このコドモをそもそも、気にいった理由の一つは。
場の空気を読み取ることのできるアタマのよさだったのだろうと思う。
くう、と背に回された腕と。そう、と押しとめたような静かな呼吸が。
言葉以上に伝えてきた。
おれが「何に」苛立っているのかは知らなくても、足元にうずくまる苛付いた感情の影は感じ取ったのかもしれない。
波が引くように。
僅かづつ、感情が凪いでいった。
抱きしめ返した。
きつく。
自然と、溜め息が零れた。
腕の中の存在は。ひどく細く頼りなく、それでいて。
すう、と頬が寄せられた。
する、とそれは滑らかな質感を押し当てて。もう一度腕に力を込めた。
柔らかく頬を押しあてるようにし。サンジの髪を近くに感じた。さらさらと、滑るようなそれ。
腕の中で。身体がくたりと力を抜いて全身を預けるようにしてきたことが伝わり。
名前をサンジの耳もとに落とし込んだ。謝意の言葉の代わりに。
項、手を滑らせて。髪を撫で上げ。
く、と耳もと。一層引き寄せてから口付けた。
ふわふわとした笑いの気配が、伝わった。目にする事はできないけれど、確かにサンジに笑みが浮かんでいるのだろう。
そうして、抱き上げ。リヴィングへと連れて入った。
ソファに、身体をそっと降ろし、見上げてきた額に唇で触れた。
「ここで大人しくしてろ、」
モノ問いた気に瞬いた目許、口付けた。
「あンたが向こうで寝ていると、おれが寂しいから」
「…ゾォロ」
「―――ん?」
「…大好き」
フワフワの笑顔を浮かべた唇の横、口付けた。
そのまま、唇を柔らかに食んで。
触れているのを楽しんでいるだけのような感覚を味わいながら。同じように穏やかに啄ばみ返された。
また、自然と口角が上がった。
「おれも、あンたのことを好きだと思うよ」
からかうような口調で返せば。
「思うだけぇ?残念。オレ、アナタのこと、本気で愛してるのに」
クスクスとサンジがわらった。
「そうか、」
「ウン」
額におちかかる前髪を指先で掬いそのまま梳き上げた。
ふわりと。ゆっくりとサンジが瞬きをし。纏っていた空気が、またいっそうあまくなった。
隣りに座るようにして、引き寄せた。
ぐるぐるぐる、とネコならば喉奥を鳴らしているに違いない従順さで、寄りかかられた。
細い絹糸の束よりももっと指に馴染み絡む髪をかき混ぜて。胸の前にアタマを落ち着かせた。
キスを落としてみれば、またクスクスとわらっていた。
なるほどな、確かにあンたは上機嫌な歌いネコだ、そんなことを言った。
「でも、オレは狼たちとの方が、仲がいいんだよ?」
する、と頭を摺り寄せながら、言ってきた。
「だからおれとも相性がいいんじゃねえのか?じじい連中の言っている通りだとしたらな」
「んん、そうかもしれない」
「おい、笑ってるなよ」
髪を撫でた。
「ねぇ…ゾロ?」
さらり、と指で髪を滑らせて、返事の代わりに先を促した。
「オレは美味しい?」
「……あァ。美味いな、」
髪にキスを落とした。
「よかった。オレ、この間、劇的に不味そう、って言われちゃったから。ちょっと心配だったんだ」
「ハ。喰い足りねェくらいだぞ……?」
からかい混じりに言って返してから、頬を撫でた。
「…ふふ。オレも喰われたいなあ…ちょっとまだ、ムリだけど」
頤を掴まえて上向かせ、口付けた。唇。
「ん…」
啄ばむようなモノなのではなく。舌先で、柔らかく微笑んでいる線をゆっくりと辿る。
「んん…」
柔らかに唇が綻び。そのまま内へと舌先を潜り込ませる。
サンジが小さく吐息を漏らしたのを感じた。応えるように迎え入れられ。
ゆっくりと髪を撫で、口付けを深くしていった。
「ん…」
甘い声、耳につく。
やんわりと食み、時間を掛けて追い上げようと思うよりは。サンジに快楽だけをやりたいと思っていたなら。
少しばかり竦んだように、それでも応えてこようとしてくる。
愛しさ、なのか……?背骨を這い上がって喉元を競りあがり、それでも身内を充たして抜けていこうとはしない。
ただ、抱きしめた。
ポーチからは、抱きかかえられて帰ってきた。
数日前に移動されたソファの上まで、運ばれて。
す、と引き寄せられて、そのまま身体を預けた。
ゾロを悩ませていたこと、ひとまずは奥に消えたみたいだ。
もしかしたら、本当は。じっくりと考えなきゃいけないことなのかもしれないけど。
…一緒にいるのに、寂しいのはイヤだから。
ごろごろ、と甘えてみた。
ゾロはオレが上機嫌な歌い猫だと言った。
うん、オレは猫だけれども。本当は狼たちと仲がいいんだ。
不意に、夢の中、訪れてくれたレッドのことを思い出した。
コロラドのオレの家の近くの森に住んでいた、前の狼の群れのリーダー。
今は、オレの守護動物になってくれている、やさしいカレ。
オレが劇的に不味そうだ、って言った。
ちょっと心配になった。オレって美味しいのかな、って。
だから、ゾロに訊いてみたら。
甘やかすようなキスが、答えとともに帰ってきた。
ふふ、嬉しいなあ。
あれだけ愛してくれたのに、まだ足りないってサ。
ううん、誰かに自慢したいくらい嬉しいなあ。
口付け。潜り込んできた舌を。ゾロがするみたいに、してみた。
根元から柔らかく舐め上げて、軽く吸い上げる。
ゾロの気配が、もっと柔らかくなった。
そしてもっと甘く。
ふふん、幸せ。
今ならジョーンに胸張って言えるね。
キスって、すっごい、気持ちよくなるよね、ってサ。
ああ、ジョーンはあの時。
ゾロのキスの仕方とかを、覚えていたのかな?
キスは深くなっても。切羽詰って激しくなることはなく。
やがて緩やかに触れるだけのキスになって。
柔らかな溜め息と共に、そうっと離れていった。
気付けば、太陽は随分と傾いていて。
明かりの必要な時間帯になっていた。
「ゾロ、お昼食べた?」
「いや、」
「お腹、空かない…?」
あやや。…オレが起きてこなかったから、食べなかったのかなぁ?
オレは…ちょっと空いてきたんだけどな?
どうしよ…なんか作るのも、なあ。
作ってる間、離れるのも…サミシイし。
…ん?オレってば、アマッタレ???
…冷蔵庫、何か入ってたっけ?
あ、そうだ。
冷凍庫にチキンブロスがストックしてあったっけ。
アレにジャガイモとニンジンと…グリンピースかなんか入れて、スープにしようかな?
あ、タマネギも入れたいよねえ。
考え事をしていたら。
ゾロが首筋に柔らかく唇を押し当ててきた。
きゅ、と吸い上げられて、思わず笑った。
「ねえ、オレを食べても、お腹は溜まらないでショ?…一緒にチキンスープ、作って食べよう?」
「起きられるのか、」
「うん。薬、効いてるし。休んだから、大分…楽になった」
柔らかいトーンで訊ねられた。首筋に顔埋めたままだから。柔らかな唇の振動がくすぐったい。
くすくす、と勝手に笑いが零れていく。
「チキンスープ、キライじゃないよね?」
「好きでも嫌いでもない、」
「ふふ。じゃあ、早く作って、ゴハン食べて。一緒にベッドでゴロゴロしよ?」
「あぁ、後半は却下」
「ええ?なんでええ??」
にぃ、と笑ったゾロに、膨れて答える。
「オトナには事情があるンだよ」
片眉が、ピンと跳ね上がった。
…にゃあ、じゃあさ?
「…じゃあ、しよ…?」
「―――フザケロ、」
呆れ果てたような、ゾロの声。
「…だってさ…うずうず、するんだもん…」
頭、ぐっしゃぐしゃに掻き混ぜられて、目を瞑る。
だってさ?まだ…アレなんだもん。
ゾロの…受け入れてたトコ…なんだか…なんだもん。
うあ!なんか…顔が赤くなってきた。
じゃあ、舐めてやろうか、って。ゾロがに、と笑った。
「……あ、それよりも」
そうだそうだ、大事なことを忘れてたぞ?
「―――ン?」
「オレが、ゾロのこと、舐めたり噛んだりあむあむしたり、したいんだけど?」
ダメかな?
…うにゃ?ダメかな…?
ゾロが、喉奥で低く笑ってた。
みゅー…おかしなこと、言ったかな、オレ???
「ダメ…?」
「オマエが。もうすこし元気になったらな……?」
柔らかな口付けが、ちゅ、と唇に降ってきた。
「…わかった。じゃあ、早く元気になる」
ゆっくりと立ち上がって。
「アァ、せいぜい期待してる」
「…じゃあ、元気の素、作るの、手伝ってね?」
手を差し出した。
それを、ゾロの手が握って。
ぐい、とまた、胸の中に引き戻された。
「にゃ?ゾロ?」
ぎゅ、と抱きしめられて。ぽんぽん、とあやすように背中が撫でられた。
そしてそのままヒョイと抱き上げられて。
キッチンまで連れて行かれた。
到着したのはシンクの端。トン、と座らされて。
「で?何を出すって?」
…わぁお!積極的だなあ!
にかり、と笑ったゾロに、思わずにこにこと笑みを返す。
「気が向いたら、手伝ってやる」
「ええとね?ニンジンでしょ?タマネギでしょ?ジャガイモでしょ?…あとはグリンピース」
それだけ、かな?
香辛料の類は、出てるし。クルトンは、まだ箱、あったよねえ?
「お野菜は、みんな冷蔵庫の中だよ。下の段。出してくれれば、皮むきするし」
そうだ、肝心なチキン・ブロス。
「メイド雇え、メイド」
「あとは冷凍庫の右端に、チキンブロスがタッパーに入ってるから。箱出して、鍋にゴトンと落とし入れてね」
…メイド?
「…オレ、一人暮らしだったから、そんなこと考えたことも無かった。この辺りで雇うなら…リトル・ベアに訊くのが確実だよね」
「わかった。後でまた電話させろ、昼にかけたら捕まらなかった」
冷蔵庫までゾロが渋々取りに言った。
戻ってきて、ブロスをナベに落とした。
「いいよ〜。あと、ニンジン2本、タマネギ1個、ジャガイモ5つ、グリンピースが一袋!オネガイします」
ナベに蓋をして弱火にかけている間に、ゾロが溜め息を吐きながら、取りに行ってくれた。
…料理、嫌いなのかな?
ありがとう、と受け取った野菜を洗いながら。
「そうだ、今のうちに電話しちゃって?ピンコード、3025だから」
放り出しっぱなしだった携帯電話、まだキッチンのテーブルに置いてあるし。
ゾロがあァ、と応えて。それを持ってリヴィングへと消えた。
ゆっくりとシンクから降りて。
ブラシでジャガイモとニンジンの泥を落としていく。
背後からはゾロの声。
ピーラーで野菜の皮を剥き始めながら、それを遠くに聴く。
…んん、なんだか。
幸せだなあ。
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