結局夕食前にはクマちゃんは捕まらず、カンタンに夕食を終えた後、結局2度捕まえそこねたリトル・ベアに連絡を漸くつけた。
そうしたなら、クマちゃんは。ケータイの向こう側で、笑った。
そして、冗談じゃない、と言った。
夕方、車で飛ばして来て3―4時間ハウスキーピングをするオンナを知らないか、と言ったらならば。
サイアクなことに、クマチャンの後ろで、じーさんが。げらげらとこれまた笑ってやがるのが聞こえた。
わしが行ってやろうか!だと…??通話を切ってやろうかと瞬間思った。
孫娘たちがいれば、手を貸してやらんこともないが、と一頻り笑い飛ばしていやがった。
クマチャンが溜め息をついたのが聞こえた。
おれと同じタイミングだった。

溜め息の終わりかけ。クマチャンがひどく真剣な声で言っていた。
『オオカミ。環境と状況を再確認しなさい』
―――ア?
「あンたなに言って―――」
ぷつ。
一方的に電波が途切れた。
……ナマイキじゃねえか。あのクマ。

環境。
ここは砂漠の一軒家だ。おれがここにいる事を、ペル以外は誰も知らない。
メイドが、刺客なんてことはありえない話だろう?
…違うな。リトルベアは組織とは何の関係もない男だ。ヤツの言う所の環境ってヤツは。
――――ざあざあと。シンクにはった水を流す音に紛れて、まだ弱ってはいるがハナウタが出る程度には食事を終えて
「元気」になったらしい歌いネコが、何かを歌っている声が。届いた。
―――アレのいる環境、ってことか。
ふにゃふにゃと上機嫌で。
ヒトに触れているのが基本的に好きなコドモ。
素直な身体。
―――あァ、そういうことかよ。

状況。
そんな歌いネコを喰っちまったおれとしては。
2人きりの場所に他人をいれさせるほど、なんだ……?図々しい、っていうのかこういうのは。
まあ、いい。
要は、配慮に欠けるやつなのか?と。クマチャン語で言ったんだろう。

メイドなんざ、いても構わねえが。家具と一緒だと思えば。ただ、アレは嫌がるだろう、と思った。
フン。……ハウスキーピングはハウスキーパーに任せればいいと心底思うが。
ああ、しまった。
おれはここじゃあ、することがねえのか。

リダイアル。
「よお、クマチャン」
『なんだ?』
「2時間でいい」
『…ハウスキーパーか?』
「そう。おれは家事なんざ、できねえし。する気もないんだよ」
『…アレは、懐くぞ?』
「――――ン?」
なつく?
『いいんだな?』
にこにこと笑みに崩れてメイドにあれこれと話し掛けるサンジが浮かんだ。
「構わねぇよ。ヤツがレジデンスに出ている間に来させればいいだろうが」
『エリックさんでさえ、あの調子だ。本当に、いいんだな?』
「だから。会わないだろうが。メイドに会うのはどうせおれだぜ?カノジョも丁度いい臨時収入じゃねえか」
『…狼。どこに砂漠の一軒家まで、1時間半もかけてドライヴしていくようなレディがいるかね?』
「―――あァ?ヤロウが来るのか?メイドにか?」
『…アタリマエだろうが。狼が居る場所に、羊が送れるか』
「おい、クマちゃん。おれは手なんかだせねえぞ」
『ふふん。そこまでの信用は、オマエにないぞ?』
「―――オイ、クマちゃん。」
からかい混じりの声だぞ、あれは。
『なにか問題でも?』
「あんたの知り合いなら、5時間でも平気で砂漠を走るばーさんくらいいるんじゃねえのか?」
『冗談は休み休み言え』
「ああ、悪ィ。8時間か?」
『昔、ハーレーをぶっ飛ばす女医に会ったことはあるがな。ここらでは知らんな』

ふい、と。
リトルベアの言葉に。
ひっかかるばーさんが、おれの記憶にも一人いた。ただの偶然だろうが。

「クマちゃん。」
声を落とした。
『なんだ、仔犬?』
「おれの手は、家のことには使わねえ」
『灰被り姫にはなれない、と?』
「アタリマエだろうが。呪いとやらを擦りつけて歩きたくねえからな」
あンたにも、見えンだろうが、と続けた。
『失礼。どうもオマエがオレを親切な魔法使いと間違えているような気がしてならなくてな』
「メディスンマンなら似たようなモンじゃねえのか?」
わらった。
『…フン。いいだろう、探してやる。時給と給料の支払い方法を言え』
「あー。言い値でいい。相場なんざしらねえよ。支払いはキャッシュがいいのか?それとも振り込ませるのか?
それもソイツの自由でいい」
『…いいだろう。いつからがいい?』
「4日後からで、いかがかな?魔法使い殿。生きた人間なら誰でもいいぜ」
『当たり前だろう』
クマちゃんが抑えた声で小さく笑っていた。
『細かい話しは、本人にしなさい』
「ありがとう。このあたりには、ずいぶんそうじゃねえのもうろついてるからな」
『――そうだな、では』
「4日後の午前10時に、この場所で」
『…良い蜜月を』

―――ア?
おい、クマチャン。あンたなに言いやがって……
ケラケラとクマチャン・ジョークに一人で笑って。リトルベアのヤツはまた通話を切りやがった。

――――蜜月だと?
ハニイ・ムーン。
語源は。
古代北ヨーロッパの、…………おい、カンベンしろ。
おれはあのクマちゃんどもに、30日後にミード(蜂蜜から作られたワインの一種)でも飲まされるのか?
種の起源が違うだろうがよ、あんたたちは。

しまった!!
おれとしたことが。チクショウ、すげえ嫌な予感がするぞおれは。
たしか、アメリカ・インディアンからじゃなかったか?ウェディング・ケーキ食うのは……
ぐるぐるとどうでもいい、世界史の家庭教師が詰め込んだ雑学が次から次へと出てきた。
そうだ、イロコイ族だ、たしか。この辺りにいねえだろうな。
ナバホは、トウモロコシプリンを食うんだよな、たしか。…おい、おれの脳。頼むから止まれ。
そんなことをいまは考えている場合などではなく。
―――おれはなにを考えていたんだ?ああチクショウ。

サンジの歌う声が止んでいたのに気が付かなかった。
とさり、と。
背中。
額がぶつかった。
「ゾォロ、お話、終わった?」
首に、腕が回された。
手の甲で、とんとん、と触れれば。
ふんわりと目許に笑みをはいて。表情で言ってくる。
くるりと身体の横を抜けるようにして正面に立ち、心持頤を持ち上げて。

「クマチャンからジョークを聞かされた」
「ふぅん?」
さらり、と瞳が隠された方の長い前髪を指で梳き。
「わらえねえヤツを」
「なんて?」
「あぁ、べつに面白くもないから。知る必要ないだろう、」
「そうなの?」

眼がキラキラと光を吸い込んでいた。空より蒼のソレ。
「あンた、クマチャンのジョークでわらえるか?」
前髪を梳き上げ、隠された方の目許、口付けた。
「…あんまりリトル・ベアのジョークって、聴いたことないよ、オレ?」
驚いた。そうなのか?
サンジの声が、間延びするほど穏やかになっていた。
「おれ相手だとあの男の言う事は半分は冗談だな」
頬、口付けて。

「ふーん、そうなんだ…」
「残りの半分が皮肉で、そのやっと残りが。フツウの話だ」
ふんわりとわらったサンジにそのまま話した。
「おれのことを灰被りだとか。砂漠をハーレーで走るばあさんだとか。ま、そういったどうでもいい話だ」
「オレは、教わってばかりだなあ…」
「あンたとは立場が違うだろう?」
くすん、と小さくわらった口許、キスを落とした。
「おれは死んでも連中に弟子入りはしねぇぞ?」
僅かに、寂しそうだった口調に。気付かない風を装った。

「…ゾロは」
なんだ、と答え。唇を重ねた。
言葉を飲み込むようだった、ソレ。
「…王様だもんね」
選ばれた、言葉だ。
サンジの中から出てきた。
「誰だって、自分の主人は自分しかいないだろう?」
もう一度口付けた。
「…そう言い切るアナタが好き」
「ムカシの歌がある、」
「どんなの?」
「ああ、知ってるか?」
旧い歌だ、誰かが歌っていたのか、どこかで流れていたのか。
サビの部分、小さくメロディだけを声に乗せた。
「知らないか、あンたはどうせ生まれてないくらいだからな」
サンジが首をフル、と小さく横に振っていた。ソレを言うならおれもだが。記憶をたどった。

僕が王になれば、君は横で女王然としていればいい。
僕らを結びつけるものが何一つないのだとしても、
共にいる事を選ぶだろう、それでも。
彼らを遠ざける事などできないのはわかっている、
一日だけならば、誰だって英雄になることができる、そしてぼくらは
「ぼくら」でいることができるのだろう、一日だけならば。
たとえ、壁を背に立たされて頭上を銃弾が掠めても。
僕らは口付けを交わそう、ただの一日のために。

(David Bowie 「HEROES」)

そんな歌だった。
「以上、」
ふい、と音を留めた。
「旧い、旧い歌だ。オマエがそういことを言いやがるから。思い出した」
「…オレがもし王様になったなら」
「ウン?」
みつめた。

たった一日でもいい、もしオレが王様になったなら 
オレは総てを差し出すだろう
総てと引き換えるだろう、アナタと共にあるために

(Thompson Twins 「King For A Day」)

どこか記憶に残る歌詞。
にこり、とサンジが笑った。
「ヴァイス・ヴァーサだな、おれは、あンたを何かに引きずり込むくらいならば、」
その先は―――。閉じ込めた。

「…ねぇゾロ?」
なんだ、と答え。ほんのわずか抱き寄せた。
「Love me」

Baby, you really don't know what love is,

言葉が。勝手に零れ落ちた。
始末に負えない衝動だ。
一語一語受け止めながら。サンジが、柔らかな微笑を浮かべていた。

「Then teach me」
囁きにまで落とされた声、忍び込み。
どこか、酷く遠くで。
それは自分の意識の最奥なのか、窓の外に暗く続く砂の果てにあるのか、かすかな。羽音。
聞こえた、と思った。




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