水泡の幕が弾ける、意識が徐々に覚醒する。
眠りと覚醒の間。その中間に自分は珍しくいるのだと、言葉を象るよりは何か別の感覚が告げてきていた。
視界が無いのは、目を閉じたままだからなのだろう。
「なにか」を抱いている。形作ることの出来ないほどの柔らかな意識のかたまり。
胸に添う。
ああ、……これは。
思い出した。
水泡の膜がぱつりと弾けた。
言葉に乗せた。
滑らかに糸よりもたおやかなものが。頬に触れ、流れ。わらいたくなった。
流れる先、顔を潜り込ませた。
まどろむことなど稀だ、輪郭のない意識。
何かを告げる。
小さな手が、持ち出していった。なにかを、どこか深くから。
重ねた肌、体温に混ざり。
腕、…そうだ、腕だ。回した腕に力を戻す。
抱いたものは容を変えないが。
動いた線に沿う。
眠りと混ざり合う意識が、その境界を彩り始めた。
穏かさが、わずかに揺らぐ。
ぐいぐいとなにかに押し上げられでもするように意識が表層に向けられた。
コドモじみた焦燥に似たなにかが、押し上げようとする。
細い声。
こどもの声か―――かきりと。意識と視界が唐突に突きつけられた。
イキナリの目覚めの反動に、思わず眼を見開いた。
金色。
視界が、金色だった。
首元にカオを突っ込んでいたらしい。
茫、としばらくその色を見ていた。
項、唇で触れた。
覚醒した腕から、時おり不規則に詰まる呼吸が伝わった、漸く。
「サンジ……?」
名を呼んだ。
吐く息が揺れている。ごく僅かに。
剥き出しの肩口。動かない。
あァ……嫌な予感がしやがる。
あぁ、てめえ。またどうせ。
くだらねェことでも思いついたか、考えついたか。
ちり、と酷く温度の低い不快感、とも違う。苛立ちとも違う。
おれのおえらい「子守り」なら、さしずめ「嫌気」とでも言いやがるかもしれない、何かが。乾いた手で、ヒトのことを
捕まえやがった。
オマエは、わらっていればいいんだ。陽射しの真ん中で。本当ならば。
置いていこうとしたのに、キヤガッタ。
―――なぁ、サンジ。
おれは、あンたをどうしてやればいいんだろうな。
身体が動いた。
腕、目許を拭ったらしい。
その答えをどこかの誰かが声高に叫べば、あンたは聞く耳をもつか?
……ダメだろうな。
もし仮に。9回どこかに置いていったとしても。10回戻って来かねねェんだろうが。
「―――オマエは底なしのバカだぞ、」
呆れ声が音になった。
「…ゾロ、起きたの…?」
「とっくに起きてる。こっち向けよ」
「…うん」
抱きしめた腕のなかで、無理矢理に身体を動かして向き直ろうとしていた。
―――だから、ムリだろうが。
肩口、軽く唇で食んでから、腕を緩めた。どうせ、おれが見るのは―――
泣いた跡。潤んで光を映しこんだ目と。
やわらかな微笑み。
「なぜ、泣く?―――不愉快だ」
「…あのね?」
目を見据えて言った。
すう、と自分のソレが勝手に細まったのがわかる。あわせて、サンジがのせていた微笑がゆっくりと翳った。
「オレ…どうしていいか、わかんなくて…」
なにがだ、と。ともすれば温度を下げそうな自分の声を常に保った。
「アナタがスキで、スキで、その気持ちだけで、イッパイになっちゃって…」
耳に、切々とした声が流れてきた。
「どうやって…これ以上、アナタに…あいしてるって、伝えたらいいか、わかんなくて…」
―――コレは、バカだ。
「そしたら、…胸がいたくなって…」
きゅう、とカオがくしゃくしゃになっていた。
わ、と口を開けて、みゃあみゃあ泣き出す直前の子ネコと一緒だ。
そんなことを思っていたら。
睫の際に辛うじて引っかかっていた涙の粒が盛り上がって転がっていった。
「オレ、…こんなキモチになるの、初めてで…、こんなに…スキになるのも、ハジメテで…ッ」
呆れ果てていたならば。
ひく、とサンジがしゃくりあげた。喉が鳴っていた。
「こんな、ふうに…、あい、されたいって…おもったのも、は、じめて、で…ッ」
「サンジ、覚えておけ」
胸に、額をくっつけるようにされた。
「ア、ナタが、ハジメ、テ、で…」
後ろ頭に、手を差し入れた。
「勝手に混乱しようが騒ごうが構わえェけど。朝っぱらから泣いたカオ見せるな」
「…も、しない…から」
「ン?夜だけにしとけ、」
からかい混じりの声に乗せて。
目許に口付けた。
きゅう、とサンジが目を閉じていた。
零れた痕を唇で辿って。頬から頤のラインまで。
泣き止もうとでもしているのか、深く息を吸っていた。
唇、を軽く塞いでジャマをした。
「ふ、ゥ…ッ」
握りこんでいた拳がじんわり開かれ、腕を伸ばして抱きついてきていたのが少し苦しいのか押しやるような動きになり。
薄く唇を浮かせて、頬を掌で包んだ。
「バカサンジ、眼ェあけろ」
「…ッ」
ゆら、と瞼が引き上げられ。
天蓋が覗いた。
「オマエ、それは。"初恋"だぞ……?」
答えを言ってやった。
「…にゃ、あ…?」
柔らかに、物問いだけに動きかけた唇を舌先でたどった。
見詰めたままでいたから、ぱちぱちと繰り返された瞬きが間近にあった。
「オマエ、お子様なうえにおォばかだったンだな」
きゅう、ともう一度口付けた。
「トンでもねェモン選んじまった、」
よりによってバカなガキかよ、そう言ってやった。
案の定、18か?には一応なっているらしいサンジは。複雑な、とでも心外な、とでもいえる表情を浮かべていた。
「オレ、家族とジャックおじさん以外で、こんなに一緒に過ごすの、はじめてだもん…」
「フウン?」
さらり、と赤くなっちまった目許へ落ちかかる前髪を梳き上げてやった。
「…オレ、…やっぱり、バカ?」
「あァ。オオバカだろうな。」
哀しげに曇る。
「"家族とジャックおじさん"は、あンたを喰わないしな、」
頤、やんわりと食んだ。
「ウ、ン…」
「おれなんかに喰われてやがるンだ。オオバカだろうが」
「…でも、オレ、アナタ以外の人とは、ヤだ…」
「バカだな、オマエ。」
頭を両手で挟みこんだ。
「文脈を考えやがれよ……?」
「…ぶん、みゃく…?」
額をあわせてやった。
「あァ、そう。させるわけ、無いだろが」
「…アナタだけが、イイ」
ぽつり、と零された言葉。
空気に拡がっていった。
「バカでガキで頑固でどうしようもねぇ歌いネコだな、オマエ」
あんまりバカで怒る気も失せる、そう続けた。
捕まえたままだった頭を固定した。
抱きつかれて、身体が近づいた。
「バカ猫。」
ハナサキ、口付けた。
「…にゃう」
「いい声だけどな、」
耳もと、口付けた。
「…オレ、アナタに夢中で…」
あまく擦れた声で言葉を紡ぎ始めた、サンジを。
その唇をまた塞いで黙らせた。
つるり、と滑りこませてあまい舌を絡み取った。
「…んん」
もれ聞こえる吐息が、あまくきれぎれになった頃、口付けを解いた。
「あいしてるよ、サンジ。オマエを」
どうしようもねえ、バカだけどな、そう付け足してわらった。
「けどな?朝からへたれたカオみせるんじゃねえぞ、」
フワフワと笑みを浮かべたサンジに言った。
「ウン」
「"イイコ"だな」
こく、と頷いた頭を片手で引っ掻き回した。
「にゃあ!」
「でもって、ペナルティ」
「んにゃ?ペナルティ?」
「あァ、そう」
するり、と脇腹、手を滑らせた。
「あン…」
ひくん、と跳ねていた。身体の下で。
「キちまったおれとしては。エンリョしねえで喰わせて貰う」
伸ばされた喉元、舐め下ろした。
「ふぁ、で、も、ゾロ…ッ」
鎖骨まであまく歯を立てて道を作りながら声の方を見上げた。
「―――ん?」
「も、なにもでない…か、も」
笑いをどうにか押さえていたなら、自分の言にようやく思考が追いついたバカ猫が、かああ、と赤くなっていた。
「あー、気にするな」
わらった。
ほんとうにコイツはバカだ。
「…いいの…?」
つ、と腰骨をたどりその奥へと指を滑らせた。
「…ぅンッ」
ひくん、と腰が揺らいだ。
「あァ。ジュウブン」
わざと音を立てて、軽くキスを落とした。口許。
「ん、ッ」
「朝飯前のほんの腹ゴナシだからな、」
眼、みつめて。にかりとわらってやった。
「軽い気もちで付き合っとけ」
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