食事が終わって、後を片付けると。この家では、殆どすることがない。
一人の夜は、専門書を読んでいたり。ネットでニュースを読んでいたりするのだけれど。
今夜は、ジョーンがいるから。ジョーンが起きていてくれるから。
とても賑やかな夜になりそうだった。
ダイニングのソファに座って、ロッキーズで出会ったオオカミの話とか、ヒグマの話などをしていたら。
何時の間にか、時間が過ぎていった。時間が、跳ぶように過ぎていった。
気付いたら、9時も過ぎていて。

オレは風呂に入るから、先に寝てていいよっていったのに。
ジョーンは首を振って、待っている、と言った。なので、オレがアタマを洗っている間も。
ジョーンは、低く穏やかに、今日見たこと、思ったことなどを語りかけていてくれた。
ドアの外に座って、喋っているみたいだった。
軽くシャワーで石鹸を流して。湯船に浸かっていると。
ジョーンが歌を歌ってあげようか、と言ってきた。

「うん、歌って?」
きっとあの低い声で歌ってくれると、気持ちいいだろうから。とても嬉しくなった。
「どんな曲でもスキだよ。カントリーも、クラシックも、ヒップホップも聴くしね」
どういうのがスキ、と問われて。そんな返事を返した。
わかったぁ、って。とても元気な声が返ってきて。
お湯の中に浸かったまま、なんだか笑ってしまった。
一緒に入ればよかったかなぁ?

"If they asked me I could write a book"
"About the way you walk and whisper and look"
"I could write a preface on how we met,"
"So the world would never forget"
"And the simple secret of the plot"
"Is just to tell them that I love you a lot"
"Then the world discovers as my book ends"
"How to make two lovers of friends"

思いがけず、スタンダード・ナンバー。シナトラの。
低く、甘い声。柔らかく響く。
気持ちよく歌っているジョーン。
誰がカレに教えたのだろう。
柔らかなラブ・ソング。
思いがけず、オトナの声で。ジョーンがびっくりしている。
ああ、そうか。びっくりすることなんだね?
アナタの声、もう覚えてしまったから。
とても心地よく、聞かせてもらったけれど。
そうか、まだアナタは、小さいんだよね。

「ありがとう、とてもステキだった」
ドアの外のジョーンに伝えた。本当に、ステキな声だったから。
「どういたしまして。ねぇ、サンジはこの声すき?」
ジョーンが応えて。
「うん、とっても。一度聴いたら、きっと。忘れられない」
「ふうん?じゃあ、あしたは別なの歌ってあげるよ!エースにたくさんならったんだ」
エース?ふうん、初めて聴く名前だ。家族の人かなぁ?

「うん。楽しみにしてるね」
楽しげだったジョーンの声が聴こえなくなって。
変わりに遠ざかる足音が聴こえた。
…あ、もしかして。
記憶が、戻り始めているのかなぁ?
そんなときは…ああ、頭痛が起こりやすいって、テキストで読んだ。
…タイレノルじゃあ、効かないかなぁ?
急いで身体を洗って。お風呂を出た。
もう外の空気は寒いから、ちゃんと身体を拭いたけれど。
一度Tシャツを前後ろ反対に着た。焦っちゃだめだ、と自分に言い聞かせた。
心配してるって、ジョーンにバレたら。きっとカレはまた、平気な顔をするだろうから。

大急ぎで御風呂場を片して、ダイニングに戻った。
ソファの上、クッションの下に頭を入れて。ジョーンが横たわっていた。
そうっと近寄る。

「…ホットミルク、淹れようか?それともココアがいい?」
背中を撫でる。大きな背中。
たくさんの不安を背負い込んでいる、背中。
ジョーンがクッションの下で、首を横に振った。
「ねぇ、ジョーン。アナタがクッションの下に埋まっていたら、オレがハグできない」
何度も繰り返し、背中を撫でる。
ごめんね、そんなことしか、してあげられなくて。
「て、」
「んん?」
「手、あったかいね」
「…御風呂で暖まってきたからね」
「―――うん。ほわほわしてる」
ねぇ、ジョーン、出てきて。そうして、オレにハグさせて。
「そうだねぇ」
「―――もうちょっと、」
早く、痛いの、飛んでいけ。ジョーンのために。
「…うん」
「もうちょっとしたら、出るから。」
「…焦らなくていいからね?」
背中、広い背中。
「……はい、」
何度も手で辿る。Tシャツの下の熱。いとおしむ。
ジョーンが、ゆっくりと。深呼吸を繰り返した。三回。
クッションから、頭を上げて。きゅう、と抱きついてきた。
抱き返す。
こめかみに、口付ける。耳の上と。

「ボサノヴァとかね、昔の歌とか、」
「うん」
「たくさん、教えてくれたんだ」
ジョーンが語り出す。低い声で。
「…エース?」
「馬に乗ったり、」
抱きしめたまま、口付けを更に落とす。
「うん」
それで痛みが紛れるといいなぁ。
「…そう」
「ベイでディンギーに乗ったり、ヨットとか。」
「…ステキだね」
「夏休み、たのしかった。」
どんな人なのだろう?きっと、ジョーンを、とても愛している人。
「…うん」
本当に楽しかったのだろう。いっしゅん、声が弾んだ。
「それでね、また来年も遊ぼうって。クリスマスホリディには、ぼくが」
髪に口付ける。
思い出せるのなら、思い出したほうがいい。
「ロスに行く約束して、こんどはメキシコとかに行こうって」
「うん」

「でもね、だめだった」
沈んだ、ジョーンの声。
どうして?何がダメだったの?言葉の替わりに、また口付けを落とす。
「ヤラレチャッタンダ、」
声が色を無くした。頬に、濡れた感触。
ああ、そうか。その人は、亡くなってしまったんだね。
「…そう」
頬を合わせ、抱きしめる。
辛い事を先に、思い出してしまったんだね。
「飛行機、落っことされたんだ」
「…落っことされ…?」
…落っこちた、じゃないんだ?
「アイツラに。落とされたんだ」
「…なんて酷いことを」
なんてことだろう。
ジョーンの大切なエース。殺されてしまった?

「ねえ、痛かったかな?エース。…こわかったかな?」
涙が、次から次へと伝っては零れていく。声が揺れていた。
「…オレには、わからないよ。それは。だけど」
ジョーンの瞼の上。口付けを落とす。
もう片方にも。
「…神様が、ちゃんと。その人を、受け止めてくれた筈だよ」
アナタにこんなに想われているのだから。
とてもステキな人だったに違いない。
カミサマ。偉大なる霊魂。特別な何か。
この世界をくれたその存在が、きっと。
「…いつだって、見守ってくれているヒトがいるもの。ちゃんと、エースのことも。受け止めて、受け入れてくださったよ」
じぃっと見詰められて。目を閉じた。

「守ってくれないなら、そんなものいらない。」
それでも、染みこんでくる翠の瞳。
「…そうだね。見守ってくれるけど、守ってはくれない。そういう存在だからね」
それでも。
アナタがずっと、エースを想っていたように、カミサマもアナタを想ってくれている。
オレがこれから、ずっとアナタのことを想うように。
「大事な者を、守ってくれないなら、いらない。だからぼく―――」

目を開けた。
眉根が寄っていた。混乱、しているみたいだ。
寄ってしまった眉根の上。
「ぼく―――?」
口付けた。
「…急がないで、いいよ」
鼻先。触れた。
「サンジ―――?」
魔法にかかったみたいに、ジョーンの緊張が解けていった。

「…なぁに?」
頬を撫でた。涙の跡、拭う。
「ぼく、お葬式でも泣かなかったんだ、」
ジョーンの声。すこし、溜め息交じりの。
「負けると思った。あいつらに。だから、泣かなかった」
「…うん」
頬に口付ける。
「なんでだろうね?」
涙がすこし、辛かった。
「いまは、ぜんぜん、そんな気、しないよ?」
「…そうなんだ」
ぎゅう、と抱きしめられた。ありがとう、って声が落ちてきた。
不意に体重がかかってきて。

「ねむい…」
落とされた、ささやき。
「…こっちにおいで、ジョーン?眠るのなら、ベッドに行こう?」
「ここで、いいです・・・」
「カゼ、引いちゃうから」
「へいき、毛布あるし」
「ここ、狭いよ?」
「ぼくひとりくらい、へいき」
「…そう」
「・・・ぅやすみなさい、」
ジョーンが。唐突に記憶を回復したことで、疲れてしまったのだろう。
スウィッチが切られたみたいに、こてん、と横になって。丸まるように、眠ってしまった。
足が飛び出ていて。やはり、彼は大きいヒトなのだと感じた。

…夜は、寒いから。
一緒に寝た方が、暖かいけれど。
ソファじゃ、カレの痣に、思い切り寄りかかって寝てしまいそうだし。
あーあ…せめて、ベッドで寝てくれれば、いいのに。
勝手に溜め息が零れていった。
足元、落ちていたブランケットを広げて。ジョーンの身体にかけた。
「…オヤスミナサイ、ジョーン」
横顔に、口付けと落とした。オヤスミナサイの挨拶。
そうっと立ち上がる。隣のベッドルームに入る。
ドアは開け放しておく。
ベッドサイドのランプを点けてから、奥の部屋へ行った。
デスクの上のラップトップ。携帯電話に繋いだ。
ネットを開いて、今日のニュースを調べる。
観光客行方不明問題。それはなかったけれど。
アーロンのランチで、車が大破する事故があったらしい。
アーロンは、今、アラスカのネィティヴを尋ねていって、留守だから。爆発した車が、アーロンを狙ったわけではない、と
書いてあった。現在、警察が調査中、ということだけ載っていて。それ以外のニュースはなかった。

アーロンのランチ。
車でドライヴしても、1時間半くらいはかかる場所だし。
…ジョーン、じゃない、よね…?
メールをチェックする。ダディから、一通、入っていただけだ。
今週末、フロリダに行くとのこと。
ベイビィ、会えなくて寂しいよ。元気で過ごしてください。
そんなメッセージ。キス・マークが3つ、名前の後に付いていた。
ダディ、元気みたいだ。安心した。

接続を切って、少しの間、ネットで前に拾った研究のレポートを読んだ。
だけど、ちっとも頭に入ってこなくて。だめだ、今日はとてもそんな気分になれない。
あっさりと白旗を揚げて、終了させた。携帯電話を、充電器にかけて。
部屋の電気を消して、ベッドルームに戻った。
ドアからソファの方を覗いても、なんの動きも無く。
なんとなく、自分だけベッドで寝るのも悪い気がしながら、布団に潜った。
本当は、星を見ながら眠りたいけど。朝の日差しが強すぎるので、カーテンを開けっ放しにはできない。

枕を抱えて、ジョーンのことを考える。
今更だけど、やっぱり警察に届け出た方がいいのかなぁ…?
ああ、電気。点けっぱなしだ、切らないと…。
そう思いながら、うとうと意識が跳び始め。睡魔がやってくるのを感じていた。




夢だ、って思った。これは、夢だ。
「あー、おれな?アレだけはカンベンだな、ほら。ジェットコースター!」
笑いながら、手をひらひらさせていた。
「なンだよチビ、おまえアレ平気なの?」
くしゃくしゃのわらい顔で。エースが芝生の真ん中で3ポイントシュートを入れていた。
うんと遠くのゴールポストに見立てた木に向かって。
「へいきだよ?」
「うはぁ、マイッタね」
走ってリバウンドを取りに行って、またのんびりドリブルして戻ってきた。
「胃がココまで出てくるじゃネエかよ」
言いながら、喉のあたりを手でとんとん、と叩いて。にこにこしていた。
「うし。チビっこ。ダンクしろとは言わねえ。ゴール決めてみな?」
飛んで来たボールを受け止めて、できっこないとか、アシストは任せろとか、
そんなことを言い合っていた。

ジェットコースターが、嫌いだったんだ。
そう言っていたんだ。
ほかの事はぜんぶ、なんでも出来たのに。
言っていた。弁護士??か警察の人たち。
空の上を、飛行機は何百メートルも落ちて行った、って。

だめだ、これは夢なんだ。
まっさおな、真っ青な海に。
ばらばらになった飛行機の翼が浮いてる。
見たはずがないのに。
なんでわかるんだろう、あの飛行機の破片だって。
夢だからだ。

眼、覚まさないと。
だって、エースは。笑ってるじゃないか。
「生涯サイアクのスリルだぜ、チビ!」って。

夢でもなんでも、いいから。
ぼくだけになっても、きちんと。きっと―――

いやだな、飛行機のエンジンの音がする。
頭のなか。うるさい。
「チビ、……ロ」
呼ばれて。イキナリ。
目が覚めた。

ここ、は。まっくら、だけど。
ソファ、貸してもらって。
毛布を握った。
そうだ、ここ。サンジの部屋だ。
心臓がどきどきしてる。
ソファから起き上がったら、ベッドルームのドアの方から明かりが漏れてた。
ほっとした。やっと、息ができた。
あっちに、サンジがいるんだ。
サンジ。
もう、寝てるよね?
でも、じゃあ。寝てる顔だけでもみてこよう。
そうしたら安心できる気がする。

床が、裸足にびっくりするくらい冷たかった。またどきっとした。
散らばった機械の羽の浮いた海の話。
サンジにしたかった。だいじょうぶって言って欲しかった。
サンジ?
ドアからベッドル―ムを覗いてみた。広いベッドの端っこのほうで、眠ってるみたいだった。
ここからじゃあ、ぜんぜんみえない。サンジの顔がみえなきゃだめなのに。

「しつれいします、」
ノックしたくても、ドアが開いちゃってるし。
ベッドの傍まで行った。
ブランケットに包まって、なんだかプレゼントみたいだなあ、って思った。
クリスマスにもらえたらどんなにいいかな。
顔をみてたら、ちょっと肩の辺りの痛いのがなくなった。
電気、なんで着けっ放しにしてたのかな。
わすれちゃったのかな?消すの。
消して帰ってあげようかな、って思ったけど。やっぱり、戻りたくなくなった。

また、夢をみたらいやだ。
キラキラ光って落っこちてくる欠片が。
さっき、ちらって見えたんだ。いやだ。
だから、呼んだ。
「サンジ…?」
もういちど。
「サンジ?いっしょにねても、いいですか・・・?」
「…ン…じょぉん…?」
「・・・うん、」

「いっしょにねて、いい?」
「…うん…寒かったでしょ?」
ぱかり、って。まっさおな色が。
ちょっと眠そうだけど、ぼくのことみてくれた。
それで、とろぉって。キャラメル・ファッジみたいにとろけて。

「…おいで」
笑い顔をつくってくれた。
持ち上げてくれたブランケットの端っこから、もぐりこんだ。
あったかくて、ためいきが出た。
「…電気…消して…ゴメン」
「消していいの?」
「ウン…オネガイ…」
うで、のばして。ああ、ぼくの身体おっきいとこういうとき便利かな。届いた。
「消すね?」
「…ウン」

まっくら。
まっくらだなあ、って思ってたら。
もぞもぞってブランケットが動いて。サンジがくっついてきてくれた。腕もぼくの周りにあって。
はあ、ってさっきぼくがしたみたいに、溜め息ついてた。
寒かったんだ、いっしょだね?ぼくも真似してもっとくっついてみた。
「…じょぉん…おや…すみ…」
なんだか、サンジの方がちっさいのかな?
ぼくの胸のトコに、ぴったりはいちゃったよ。びっくりした。
髪の毛、さらさらあたって気持ち良いなあ。
ぐるぐるって頤でかきまわしてみた。

「…ン…」
あ、おきちゃう?
そおっとキスしてみた。ごめんなさい、しずかにします。
わらいがお。眠ってるのに。楽しそう。
きゅうって腕に力をいれてみた。
「…んん…」
サンジも、するん、って身体寄せてくれて。ぺったりくっついた。
ぜんぜん、寒くないね。あったかいや。
こわくないし。

いい匂いがして、さらんさらんの髪に。顔をうめるみたいにしたら。
ちょうど良かった。ねられそう。
「おやすみなさい、」

ぼくは、もう怖い夢は見ないと思います。
ありがとう、だいすきです。
寝る前のお祈りだ。
これを、きょうから言おう。毎日。
それで、あさ目が覚めたら。おはようの挨拶をするんだ。
それで、楽しかった夢の話をしよう。
ホットケーキ食べて。またお皿洗おう。
うん、サンジ、おやすみなさい。
もう一度、キスして。
目を閉じて。
おやすみなさい、って言った。





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