チリン、とドアにかけられた鈴を鳴らして、エリックさんの店に入ると。
カウンターの脇のところで、げっそりとしたゾロが紙袋を抱えて椅子に座り込んでいた。
エリックさんはタバコを蒸かしながら、す、と手を挙げて挨拶をくれた。
「こんにちは、エリックさん!」
「うむ。」
日に焼けた手が、すい、とタバコを取って、すぱあ、と煙を吐いた。
それから、する、とゾロに視線を落とした。

「…オレ、待たせちゃいましたか?」
「オオカミ。喜べ。迎えが来たぞ」
「―――うるせえよ、じじい」
…ううん、結構待ってもらっちゃったんだろうか?
ゾロはずいぶんとげんなりした口調で。
…疲れてるみたいだ。

「シンギン・キャット、」
「ハイ?」
深い声で、エリックさんに呼ばれて。
視線をゾロからエリックさんに戻す。
「ケモノは女子供が苦手らしいな」
「…そうなんですか?」

…ケモノ?オンナコドモ?
真顔で言い放ったエリックさんを、じい、と見詰める。
「気付かなかったか。わしの店は今日は閉店だ」
「…!そうでしたか!」
つい、とドアにかかったプレートを見遣ると。
内側にある"IN"のサイン。
あっちゃあ、気付かなかったよ…。

「ケモノが死にかけて入ってきてな。いきなり裏返しおった」
「うるせえよ」
「…どうしたの?」
ぼそ、と言い返したゾロに、声をかける。
エリックさんは、ハハハハハ、と乾いた声で笑っている。
…ううん?なにかあったのかなぁ?
「笑い事じゃねえぞ、てめえ」
ううん、ゴキゲン斜めだ、とか思ってたら。
エリックさんがぽかりとゾロの頭を殴っていた。
「…?」

「女共を追い返した恩を忘れおったか」
追い返した?
「ってめえ…」
…ええと、一体ゾロの身に何が起こったというのでしょうか?
があっと立ち上がったゾロを、思わず見詰める。
エリックさんは、楽しげに笑っていた。
…いつのまにこんなに親しくなったんだろう?

「―――サンジ、おれはあンたと切れようかと真剣に思ったぞ、」
突然のゾロの言葉。
オレは息を呑んだ。
「え?なんで?」
オレ、なんかした???
「この町の女共といったら……」
「…?」
「女子供がよってたかってケモノの毛繕いをしようとしおってな」
…毛づくろい?
「…それって、髪をセットしたりとか、そういう…?」
笑い顔で、エリックさんがゾロの言葉尻を捕えて続けた。
オレの言葉に、小さく横に首を振る。

「おかしいと思ったんだよ、」
ゾロがサングラスを外して、それをカウンターに放り投げた。
「…どういうこと?」
「まず、ストアに行く前に。視線が飛んできていた」
…うわ。そんな早くからウワサが広まってたの?
ゾロが指を一本立てた。
エリックさんは、タバコを蒸かした。
「それも、女共からな。特に気にもしないでストアに入って、」
うんうん。
視線で先を促す。
「オマエの書いたメモを片手に。棚の前にいたなら。キャッシャーの女が叫びやがった」
キャッシャー?…誰だったんだろう?
オレの知り合いかなぁ?
「あんな時間だったからな、ストアの中は女しかいやがらねぇ」
…ああ、そうか。そうだよねえ。男性はほとんど、この時間は仕事に行ってる時間帯だもんねえ。

エリックさんは知らん顔で、タバコを美味しそうに吸っている。
「ストア中の女が、こっちを見やがった」
「…それはすごい」
「序の口だ、アホウ」
…アホウって…。
「オマエの書いたメモの中身が置いてある場所がわからねえから。仕方ナシにストアの女に聞いた」
…うんうん。なんとなく想像できます、ハイ。
「毛繕いされに行きおったか、自分から。」
ははははは、とエリックさんはゴキゲンだ。

「イキナリ、だぞ?まあ、アナタがいいヒトなのね!!!」
「…あっちゃあ…」
…うわ…うっわああ…!
すっごい…コメントし辛いなぁ、それ…!
「次の女がメモを覗いて。リジ―!!ベルペッパーをサンジのダーリンにとってきてあげてちょうだい!」
きゃああああ!!!
指名されてるの!?
「………」
「エレノア!あなたはミルクを!!」
「………うわぁ」
オレが合った目より、さらに強烈だ。
「キャシー、ねえキャシー!!今日は良いチキンブレスは入っているの?!」
…うわ、態々声色まで変えてくれて…。
よっぽど鮮烈だったンだろうなぁ…。

「……オマエの書いたメモの全部。全部だぞ??別々の女が運んできた」
「…うわぁ」
…それはすっごい…。
「それがいっせいに言いやがる。ねえダーリン、サンジをよろしくね!」
…………きゃあああ!
ホントに?
ホントに!?
「あのこはほんとうにべべだからアナタもタイヘンねえ!!」
…うわあああああ!!!
ゾロ、額を抑えてた。
オレは、といえば、頭を抱えるしかない。

「他にもなにか言ってやがったな。セーフセックスがどうとか。アナタなら仕方ないわね、とか」
…セーフセックス?
…ああ、そうか。妊娠だけが問題じゃないっけ。
思わず脳が現実逃避しかける。
「…って、はぁ?」
「ドラッグストアの場所までご丁寧に教えてくれたぜ」
…なんで、セックスしてるってわかるの?
…ううん???
ううんんんん???
「手でも引いていかれるかと思ったぞ、おれは」
…うわ。
ゾロ、苦虫を潰したみたいな顔してる。
声はどんどん低くなるし…。

「………ゾロ?」
「ストアを出てからも、事態はサイアクだったな」
…うわ、まだあるの?
「例の、非番の2人。おれを待ってやがった」
「…エミリーと、シャーロット!!」
うわ、待ってたの?
「キスの雨だ。」
「…うわぁ」
…そういえば、オレも裏で散々キスされたっけ。
「祝福、とか言いやがったが」
お祝いだって。
「…エミリー…、シャーロット…」
「それを、ストアのばーさん共が見咎めやがって」
……事態を収拾してください、お願いだから…。
「わらわら出てキヤガッタ」
神頼みにも近い心境になってるオレとは裏腹に。
ゾロは益々不機嫌になっていく。

「女子供はケモノが好きなものよ」
にやり、とエリックさんが笑った。
「…小動物じゃなくて?」
「ケモノが、牙を向けないと判っておればな、触りたがるものだ」
「…はぁ」
思わず納得。
そうか、そういうものなのか。
「めでたく珍獣は。ぐちゃぐちゃにされたさ」

「…ああ、ナルホド…」
思わず唸ったオレに。
ゾロは、オレが連中を殺さなかっただけありがたいと思え、と呟いた。
「…ありがとう」
って、オレが言うのもヘンだけど。
って、ああ、なんか。
頭の中、こんがらがってる。

「じゃあいまからリカーストアに用があるから、と。連中を置いていこうとした」
フツウ、誰かが結婚式を挙げたって、そんな大騒ぎにならないのに。
なんで今回だけ…???
「あら!私もワインが欲しいかも、とかエミリーが腕からぶら下がりやがって」
「…ほぇ」
…あ、ソレはオレもやったことないぞ?
エミリー、チャレンジャーだなぁ!
「捨てるに捨てられねえじゃねえか」
…はぁ。
一つ瞬きをする。

「シャーロットとエミリーごと、ここに逃げ込んで」
「…逃げ込んで?」
きょと、と周りを見回すけれど、カノジョたちはいない。
「匿え、と言うからな。ケモノが牙を出すから帰れと諭して店から出した」
「ああ、ナルホド」
「サンジ。てめえのガールフレンドは小学校にもいやがるんだな」
「…ええと」
ゾロはますます低音だ。

「ちょうど、スクールバスがツイテな?おれの真横に。」
…ほえ。
「迎えにきていた母親連中と、女のガキが。嫌になるくらいの笑顔で言いやがった」
「…なんて?」
「ダーリン、ベイビイをよろしくね、だとよ」
「…うわぁ」
ゾロはガタと椅子に座りなおしてた。
オレはバカになったみたいに、思考の端っこすら掴まえられずにいた。

「そいつらまで、一緒になってココに来ようとしたんだぞ?そういえばキャンディーを買いたいわ、とかいいやがってな、
ガキ共が」
…小学生?ミリーとか、レイラとか、ユージェニーたちだろうか。
「ガキだから、容赦ねえ。サンジの匂いがする〜!とか叫びやがって」
「え、ニオイ?」
思わず自分の肩口を嗅ぐ。
「オニイチャン、抱っこしたのお??」
「…はぇ」
エリックさんの笑みは、ゾロの機嫌と反比例して、どんどん深くなっていく。
「女は叫ぶ、ガキは騒ぐ、ナース共はキスしまくる、そんな中をココへ逃げてきたんだ、おれは」
「…お疲れ様でした」

…ほええ。
もしかして、町総出?
ビックリしているオレに、ゾロが更に追い討ちをかけてくる。
「―――悪いが、サンジ。おれはココを出るぞ」
「えええええ?」
ココを出るの?
どこに行くの?
「そんなのヤダ」
「ここ意外ならどこでもいい、兎に角出る」
「……ええ?」
………ええ?
「ウンザリだ、」

「………怒っちゃヤダ」
ゾロ、どこに行っちゃうの?
…そんなのヤダよぅ。
オレ、ここがスキなのに。
「あンたも来たからな、丁度良い」
「…ええ?今から行くの?」
ゾロが不機嫌な顔のまま、立ち上がった。
「いられるかよ、こんな場所に」
「…ホントに?」
じろ、と睨まれて、思わず泣きたくなった。

「アァ。―――帰るぞ、家に」
「……ゾロッ!!!!」
家に帰るのか!
うわあああん、びっくりしたよう!!!
にぃって笑ったゾロの首に、思わず齧り付く。
「ひでえ目にあわされた、てめえの所為で」
「うぇ…ッ、…ご、め…ッ」
ビックリしまくった後に、ほっとしたせいか、なぜだか勝手に涙が零れてくる。

「シンギン・キャット、コレは嘘はついておらんぞ。」
エリックさんの後押し。
思わず嗚咽を飲み込む。
「オレだって…、オレだって、びっくり…なんだよぉ…ッ」
ひくっと鳴る喉の間に言葉を綴る。
「サングラスしてたからいいようなモノの、あのなぁ、おれはカオ売るわけにいかねェんだって」
「オレ、…ホントに、マリーと…シャーロットにッ、ど、…くたの、トコでッ」
とんとん、とゾロに背中を撫でられる。
「ああ、連中から聞いたよ。あいつらだろ、タウンの女連中にふれ回ったの」

「草の葉の流れより女の口は早くに流れるからな」
「…さっき…ッ、じぇ…くのトコで…ッ」
笑ってるエリックさんの声を聞きながら、ゾロの首に顔を埋める。
「オメデト…いわ、れて…びっくり、…ったのに…ッ」

宥めるみたいに、ゆっくりとゾロの掌が背中を滑る。
その感覚に、一つ息を吐いた。
漸く引っ込んだ嗚咽。
ゾロが、ま、それだけオマエが好かれてるんだろう、そう囁きを落としてきた。
「…ゾ、ロ…ッ」
ゴメンなさい、オレのせいで。
…オレのせい、なのかな?
…だよね?

「シンギン・キャット、女はな」
「…ふぇ」
柔らかく響くエリックさんの声に、顔を上げる。
「ネコも愛でるがケモノも触りたがるものだ」
うむ、と頷いていた。
「…それって…」
それって、ゾロが特別ってことだよね…?
「大人しいオオカミが珍しいのは仕方あるまい」
「…あぅ…」
思わず、じぃっとゾロの目を覗きこんでしまう。

いい、と牙を剥いたゾロに向かって、エリックさんがフンって笑った。
…あう…仲が良いなあ…。
スン、と洟を啜り上げた。
「荷物を捨てていくなよ?オオカミ。2人してまた出かけたならわしも保証できかねる」
「…保証って…」
「捨てるかよ、命懸けで買った食料品なんざ初めてだ」
エリックさんが手渡してくれたティッシュで洟をかんで。
ついでに涙を拭いていると、ゾロがさらさらと髪を撫でてくれた。

「…車、パーキングだよね…?」
ドアに目を遣っていたゾロが、オレを捉えた。
「このじーさんにな、店の裏に回してもらった」
…エリックさん…!
「うむ、女に囲まれたな」
エリックさんに視線を向けると、はははははは、と豪快に笑った。

「恩を仇にできねェだろう。さっさと戻るか」
「…ウン」
にかり、と笑ったゾロから離れて。
エリックさんの首に抱きつく。
「エリックさん、ありがとうございました」
「先を思い悩むことはいかんぞ」
「ハイ」
感謝の念を込めて、頬に接吻を贈る。
エリックさんが、うむ、と頷いた。
する、と離れて。

「求め合うのは自然の理だ」
ワラパイ語で告げられた言葉に。
オレはしっかりと頷いた。
「ありがとうございます」
す、と視線を返すと。
ゾロはもう店の裏口に回っているようだった。
出て行き様、あーじーさん、電話もありがとうな、と手を挙げていた。

「また来ますね、エリックさん…!」
手を振って挨拶をして。
それからゾロを追っていく。
外の太陽はまだ眩しくて、思わず目を細める。
車の乗り込んでいたゾロに追いつく。

一つ息を吐いて、それからそうっとゾロと視線を絡ませた。
「ウチに、帰ろう」
オレたちの、家へ。




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