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 エスプレッソを入れ直した。
 テーブルに凭れて飲み干し、あぁ、と気付いた。
 そろそろ、時間か、と。
 クマちゃんご推薦の家政婦。
 確か、やってくるのは10時、と約束していた。
 結局当初の約束より、サンジの休暇が長引いたせいもあって何日かずらせることになったが。今日、来ることに
 なっている。週に2回なり3回なり、来てくれるならば問題ない。
 オンナだろうがオトコだろうが、特に。
 
 ただし。
 クマちゃんがぬかしたおれの信用云々、それが気に喰わねぇな。
 何を基準に言ってやがるんだ、あのクマは。
 かた、とカップをシンクに置いた頃、そろそろか、と思うより先に。窓の外から、エンジンの音が響いてきた。
 ハーレーの排気音じゃあなかったことに、くくく、と喉奥で苦笑した。
 まさかな、いまここであの魔女がでてきやがったなら。おれはNYに飛んで帰るぞ。
 
 窓の外、フォードの古いピックアップが見えた。
 フン、どうやら家政婦のお着きだ。
 ノックされる前に、扉を開けた。
 立っていたのは、丁度同じ程度の目線の男で。
 眉を、ひょい、と上げていた。
 
 陽に赤茶に焼けた肌だから、というだけではないのかもしれないが。
 伸ばした黒い髪はきちりと後ろで結ばれているらしい、それだけの印象のせいでもないだろうが。
 この若い男が不意に連想させたのは、リトルベアだった。
 顔つきもなにもかも違っているのにな。
 
 強い意思を宿す、茶色の目が見つめてきた。
 目線、受け止めて。不快感はなかった。
 「やぁ、どうぞ」
 中へ促す。
 頷いて、す、と入っていく。
 自然体、ってヤツだな。
 後姿を見て思った。おれの見飽きた卑屈さとも、尊大さとも一切無縁な。
 何物にも捕らわれず、ただ自然に在る。
 
 こういった態度はこの連中に特有なものかもうすこし観察するついでに、習慣で目が勝手に相手の身体の線を確認する、
 武器類の携帯はゼロ、クリアだ、と告げてくる。
 ああ、名前。
 クマちゃん共には偽名は通じなかったな、クソ。
 リトル・ベアの手配した男なら、本名で通されているンだろう、話は。
 そんな事を考えていたなら。
 
 「アルトゥロに言われて来た。リカルドだ。アナタが狼か?」
 精悍、といえる面構えに僅かに笑みのカケラが過ぎった。
 「―――アルトゥロ?」
 ああ、クマちゃんのことか?
 「みんな、リトル・ベアと呼ぶ。戸籍上はアルトゥロだ」
 
 おれは、いよいよ『オオカミ』呼ばわりが俗称にまでなったか、と思いながら。
 クマちゃんがおれの本名を明かしていないらしいことに気付いた。
 そして、あの会話。
 クマチャン・ジョークを抜かして思い出す。
 ―――あァ、なるほど?
 信用に足るニンゲンを寄越す、と。そう言っていたな。
 アルトゥロ、とリトル・ベアの本名を呼ぶネィティブの男。
 ならば―――。
 雷魚のじじいのひ孫にしては、顔が良すぎるしな。
 ハハハ、ざまぁみろ、じじい。
 
 「よろしく、リカルド。ところで、アナタはリトル・ベアの係累なのか?」
 右手を差し出した。
 にかり、と唇が引き上げられた。ぐ、と握手をしながら。
 「弟だ」
 弟か。
 「失礼だが、随分と年の離れた兄だな?」
 「5つしか違わない、と言ったら?」
 
 「おい、」
 目が、勝手に見開かれていた。
 「悪い冗談、を言うようには見えないな」
 「オレは23、アルトゥロは28。見てくれで判断は危険だよ」
 精悍な印象が、人懐こいソレに笑うと変わるらしい。
 「アレで28だと?!」
 「雇用主の信頼を得るには、住民票の写しが必要か?」
 「違う、クソウ、随分といいように抜かしやがってあまりおれと変わらねえじゃないか」
 「老成してることは否定しない。見てる世界が違うからな」
 「クマチャン界は厳しいのかよ、ったく」
 
 ちらり、とリカルドが苦笑を頬に刻んでいた。
 「きょうび、インディアンで有り続けるのは、難しい。本当のインディアンにはな」
 ふい、と「弟」に目を戻す。そういえば、
 「立ち入ったことでなければ、でいい。名前をもっていないのか、あんたは?」
 「…アナタは?」
 ひら、と片手を振った。
 「オーケイ、この話はナシだな」
 「ああ」
 悪かった、と付け足した。
 
 にか、とまた表情が崩れていた。
 あぁ、この笑い方は……確かに。クマチャン家伝来か?
 「で。ハウスキーパとして雇われるのか?それとも、仕事を見ないと決められないか?」
 「いや、任せた。そもそも、仕事なんかみたっておれには決められない」
 「…そういや、給料も偉い高い額を提示されてたな。アナタ、どうせだったらパリかどっかの一流スタッフを引き抜けば
 よかったのに」
 「ン?クマちゃんがおれを信用していないからな、」
 
 「おっと、失礼、あんたの兄だったな」
 わらった。
 リカルドはちらり、と部屋を見回していた。
 「…オレはアンタを信用するよ」
 「アリガトウ、身に沁みるよ」
 ひらひら、と片手を動かした。
 「上手すぎる話なんで、まさかとは思ったが、あのアルトゥロが騙されたかと思った」
 
 「クマちゃんを騙すのか。雷魚をローストするのとどっちがカンタンだろうな、」
 話しながらもキッチンへ移って棚の中身を確認してまわっているらしかった。
 「…まぁ、若い分、アルトゥロの分が悪いか?」
 「雷魚のじーさんは捕まえるまでがコトだ」
 「酒を出すと、大人しくなる。上手い酒だと更にいい」
 くくっ、と微かな声が聞こえ。「弟」の肩が揺れていた。
 知っているか、と続けられた。
 「ふうん?いい事を聞いた。アリガトウ。飲み比べだな」
 
 「この大陸にヨーロッパ人が渡ってくるまで。メソアメリカはともかく、こっちには酒がなかった。だから、遺伝的に弱い
 ヤツが多い」
 肩を竦めながら言葉を続けていた。
 「だから、アル中になっちまってインディアンでなくなっちまう連中が多い。もともと…時代の時間と合わない生活だから、
 更に酒に溺れるヤツが多くてな」
 
 「雇用契約と行こう。どうだ?週3日で事足りそうか?ここは」
 苦いものが混ざり始めた声を、遮った。
 「まぁ、じぃさんは、例外。アルトゥロは飲まない。オレは、この間まで、AA(アルコール依存症)のお仲間だった。
 だから、金が欲しい」
 世代、世界。折り合いをつけるのはどこでも難しい。
 「ベースは週3。用があったら呼んでくれ」
 
 「あァ、わかった。なぁ、あんたは」
 「なんだ?」
 皿立ての中身を手際よく片付けはじめていたその背中に声をかけた。
 「料理。得意か?」
 「ああ。アルトゥロほどじゃないけどな」
 「フン。掃除は?」
 「得意ってわけじゃないが、人並みには」
 「上等。適当に世間ズレもしているようだしな。」
 
 「クマちゃんからの提示額は?」
 笑って告げられた。時給で80ドル。
 ―――安いんじゃないのか?コレは。
 
 「2−3時間、来てくれるんだよな」
 「ああ」
 「メンドウだ。日給で500ドル。ディール?」
 ひゅうっと。口笛を吹いて。「弟」が振り返った。
 ん?なんだよ?
 「オレには文句無い」
 「オーケイ、成立だな」
 「オーケイ」
 その程度の日給なんざ、ウチの弁護士共の時給にもならねぇ。
 にかっ、とリカルドが嬉しそうに笑った。
 
 
 
 
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