信じられねぇ、このクマ。
一度ならずも二度までも、かよ、クソウ。ひょいひょいひょいひょい……担ぎやがって、
「てめえの熊力はわかったから降ろしやがれ、ってんだよ!」
このクソ熊が。
「皿洗い、オマエの分担だ」
「は?フザケロ」
床に足がやっと着いた。
どこの誰が客に皿洗わせるンだよ、と無視していたなら。
シンクを指し示したクマちゃんが言いやがった。
「そのかわり、シーヴァの説明をしてやる、」
「エンリョしとく。あンたが洗え」
「そうか。いらないのか」
「フン、しるかよ」
「シンギン・キャットのためには、あった方がいいと思うが…そうか」
あっさりとクマチャンは言った割には、顔に笑みを浮かべていた。
「ネコの餌がか、」
はは、クマチャン。ジョークが上手くなったな、と返した。
「そう。まさしくネコのための極上の一品だ。まぁ、アレはペットとして飼うには、少々…向かないがな」
ペット……?ジュウブンすぎるくらい適性あるんじゃないか?
「アレは本当に意に添わないことには、決して頷かんよ」
どうやらこの「魔法使い」は、おれの懸念が御見通しだったとみえる。
「頷いてばかりいやがるぜ?」
ふわふわと上機嫌で。
「それは、あの子が本当にいいと思ってるからだろう。愛されてるな、狼」
ふ、と違う方向へ流れかける思考を引き止める。
「従順なコネコには、褒美をちゃんとやれよ?」
口を開けかけていた、ほの暗い縁へ沈みかけた意識を引き戻す。
「子ネコ、ね……」
に、と笑い返した。
「まぁ…確かに艶っぽくはなったけどな」
苦笑する「兄弟子」に、まあな、と肩を竦めた。
「だからあのとき返す、と一度は言っただろうが」
「返されたって、追いかけていっただろう。どのみち同じ、だ」
「あのネコは趣味が悪い、」
「それは否定しない」
ちらり、と扉に目をやった。
「フン、初めて意見があったじゃねえか、クマチャン」
「ふふん」
にっこり、とわらったリトル・ベアに目を戻した。
「記念に、皿なら拭いてやる」
シンクを指差した。
「…なんだ、手荒れが怖いか?まぁいい。取引成立といこう」
アホ抜かせ、とクマチャンジョークに返事した。
シンクに置かれた皿の量はそれほど多くなかった。
「早くしようぜ。じじいを潰さなきゃいけないんでね」
皿を洗い始めたリトルベアに言った。
「その仕事なら、あの子が始めてるだろう」
「フン、」
けろり、と笑うのを、クロスをひらひらさせながら聞いた。
「シーヴァは、簡単にいえば、アフロディジアックのことだ」
クマチャンが声のトーンを変えやがって、と思っていたならいきなり単語が飛び出てきた。
「―――アフロディジ……」
おい、ネコの餌どころか。
そういった単語は、ああ、まあ確かにクマチャンの守備範囲かよ?
マジマジ、とクマチャンの顔をみていたならば。
西洋の魔女が作る催淫剤だな、と続けていた。
「……や、あンたさ、」
「オマエがあの子を美味しくいただくためのエサだな、」
クマチャンがまた、にこやかに笑いやがった。
「いや、ちがうか…あの子がより楽に、オマエを美味しく頂くためのものか」
おいおいおい。
まさかそれを作るはめになるとはな、と自分に向って言う口調が続いた。
いくつか浮かぶ。タブレット、アンプル、ジェル、ペーパー、パウダー、その他諸々。どこかのイカレタガキがワンショットで
死にかけたことがあったか、確か。チンケなディーラー志望の。
あンたたちのことだから、ケミカルじゃねぇな?と問えば。
ちょうど同じタイミングでクマチャンが視線で「ちゃんとそういうケアをしてやってるのか」とでも言いた気に問い掛けてきていた。
「当たり前だろう?ワラパイのリトル・ベアが作る薬だ。ナチュラル素材、依存性ナシの、安全なものだよ」
「じゃあ、あンたの疑問にも同様に。"アタリマエだろう?"」
「ふむ。余計な世話だったか」
すい、と肩を竦めた。
「舅と小舅か。すげえ組み合わせだ」
また、けろりと笑ってクマチャンが最後の皿を押し付けて寄越した。
「大切な弟子だ。きょうびメディスンマンの後継者になろうという者は貴重だ」
「ちなみに、クマチャン。その神秘なる成分は?」
じゃあその大事な者をおれなんかに寄越すなよ、と付け足した。
「ソゥパルメット、セント・ジョーンズ・ワート、ウォータークレスが少々と、まぁあとは色々をほんの少しずつ。
ベースはコーンオイルだが、さらっとした液状だ」
「その色々ってのが曲者だな、で。経口なのか、塗布するのかそれとも……」
おれの言葉の途中で、シンギン・キャットは後継者にはならない、とクマちゃんが断言していた。
「随分熱心に学んでるように見えるがな?」
リトル・ベアはかちり、と視線をおれにあわせていた。
「ああ、熱心だがな。オレのトーテムが告げた、アレはそうはならない、と。グレート・サンダーフィッシュも同じ意見だ」
「なら、何になるんだ」
「鎖。掛け橋。あれは、繋ぐ者、だよ」
ふ、と窓の外。また何かが動いた気がした。
「鎖、ね。」
「…薬は、入り口に塗布すればいい。まぁ、別の口に入れたところで害になるものは入っておらんよ。10本ほど一度に
飲み干したのなら、また話もかわってくるが」
話をあっさり切り替え、すい、と眼差しが柔らかになっていた。
お心遣い、感謝するよ。クマチャン。
「目にはいれないこと、を追加すれば市販できるんじゃねえの?」
口調を軽く戻した。
「それで、噂の効能は」
ぱさ、と湿ったクロスをそれをかけておくらしい木の棒に引っ掛けた。
「気に入ったらコーヒーでも特別サービスで淹れてやるよ」
「僅かな麻痺作用と、飛び過ぎない程度の催淫作用、感覚が敏感になって精神を向上させる。強精作用もあるな」
「売る気になったら販売ルートは提供してやる」
に、と笑いかけた。
「冗談を。これでも、一族の秘密の伝統知識ってヤツでな」
「偉大なる部族に感謝、」
コーヒーメーカーをセットした。
「愛する弟弟子のため、だからな」
「いいや、あンたたちのことだ。おれが腹上死でもしたらいいと思ってやがるだろ、どうせ」
「そうなった時には、笑って葬式に参列してやろう」
他意の無い笑みに、軽口で返し。キッチンにコーヒーの匂いが漂い始め。
「弔慰のスピーチでも頼む、」
そんなタマじゃあるまい?と。目でモノも言うクマチャンが抜かしたな、アレは。
「引き受けよう。狼はネコに食われました、とな」
「あー、身内が号泣するぜ」
「それも一見の価値がありそうだ」
「末代までの語り草だ」
クマチャンが笑って差し出してきたタバコを取った。
「弟もいいヤツだが、あンたも面白ェクマだな」
火を点け煙を吸い込んだ。ほいよ、と火を差し出す。
ヒョイ、と眉をリトル・ベアは跳ね上げて、ちり、と紙の焼ける音がした。
真意を問う眼差しを向けられても、言ったままの意味しかねぇよ。
扉の向こうから、いままで気にならなかった笑い声がおきているのに気がついた。
「なあ、クマちゃん」
「ふむ?」
「いままでずっとあれだけ賑やかだったか?」
頤で扉を示した。
「あぁ」
「フン、そろそろ回ってキヤガッタか」
タバコをふかすクマちゃんの御見送りつきでドアを抜けた。
ダイニングには変わらずサンジと雷魚のじーさんがいたが。どうやらもう2本ばかり中身が空になったビンがテーブルにあった。
けらけらとわらっていたサンジが音に気付いたのか振り向き、いつもと特に変わった様子は…ナシ。
少し頬が上気している程度、だ。
じじいの方は、――――色が元から茶褐色だからわからねえな。
「お疲れ様、ありがとう」
にっこりと笑って言ってきていた。
「あぁ、ありがたい知識を伝授されちまった」
「ふぅん?」
くしゃくしゃと手触りの良い髪を引っ掻き回した。
「なぁ、"グレート・サンダー・フィッシュ"?」
にゃあ、と呟いて機嫌よさ気に目を細めたサンジを半分程度視界に残して話し掛けた。
がり、と。
じじいの口許から氷を割ったらしい音がした。にや、とまた笑いがかすめる。なあ、おい、じじい。だからよ、
それはシャーマンのするカオじゃねえんじゃねぇか?
「なんだ、」
じじいが頤を持ち上げやがった。
「例のエサ。もっとイイ効能はないのかよ・・・?」
サンジは、まったくわけがわからない、という顔でおれを見上げてきていた。
「―――ないわ、愚か者めが!」
じじいがこれでもか、って声で威張りくさって言いやがった。
フン。
「じゃあ、あとは。おれ次第、ということだな?"偉大なるメディスン・マン"」
にやり、と眼差しがぶつかり。
げらげらと大笑いを始めたじじいにツラレテ、おれまでバカ笑いだ。
サンジは、ますます困惑カオをして。目を瞬かせながらおれとじじいの間に視線を何度も往復させていた。
笑いながら、その頬を捕まえた。
そんなにカオ動かしたって、どうせオマエにはわからねェよ。
「…にゃん?」
「いいエサを、クマチャンが作ってくれるとさ。良かったな」
どうしたの、という表情に答えた。
「エサ?…さっきのシーヴァと関係がある?」
「シーヴァ、といえばネコのエサだろうが」
サンジの喉元をつるり、と撫で上げた。
「…ッ…ネ、コ…?」
「そう、ネコ。なあ?じーさん」
ひく、と微かにサンジの肌が震えたのがわかった。
「左様、」
わはははは、と雷魚のじじいがまた上機嫌に笑った。
「いらぬ世話かの、オオカミ」
「や、どうせなら美食は極めた方がいいんじゃねえか?」
また、げらげらじじいが笑いだしやがった。
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