セト、という男の声を聞いた途端。
あぁ、これはダメだな。と直感した。
瞬時でアタマの中で組み立てていたシナリオは流した。
口調はそのままにただ真意を告げて、声に出したならそれは。
あっけないくらい、おれの本意だったことに気がついた。

「次」や「いつか」、そういった日が来るかどうかは知らないが。この男の気性はきっと酷くあっさりとしているのだろうと思った。
口調の底に烈しさが掠めていたけれども、やんわりと覆い隠す程度にはオトナ。
そして思った。
つくづく、世の中にはまともな精神構造の人間もたくさんいるのだ、と。

まだ電話をしているサンジに視線を投げた。
当惑したような、それでいてうれしそうな様子。
シアワセそうな横顔を認めて、キッチンへワインを取りに行った。

「ビジネス」に「感情」を持ち込むのは「ガキ」のすることで、「ガキ」は不要だ。
そんな不文律で動いている場所には、マトモな人間がいるはずも無いか、と自嘲した。

至上命題は、[カネ]と答えるロウティーンのガキ。
「始末屋」の男は、ひどくエレガントな手をしていた。
死体をバラシながら、そのニンゲンの生きていた痕跡を全て消し去る。
血色の髪をしたあの男は、虹彩が金色だった。

窓の外、影が揺れた。
「なぁ、あの黒尽くめの始末屋。アイツ、悪魔だったのかもな」
話し掛けた。影に。
当然、答えなどなく。ガラス窓が軋んだだけだ。

ラックからワインを抜き取り、氷をもって戻った。
「日常」が「こちら側」には広がる。
かすかな、笑い声が聞こえた。
サンジだ。
フウン?なるほどな。
オマエのまわりは、明るい。
照らすものとなれるのか、とオマエのアニキは聞いてきたが。
足元に広がる裂け目を避ける程度の明かりは、もうジュウブンに受けているから。
コレで由としてもらわないとな。

ソファに座りなおして、ワインを開けた。
シアワセだ、と告げていた。
聞こえた。

ふつり、と。部屋に流れていた話声が途切れた。
目を上げれば、サンジがおれをみていた。
特にかける言葉も無いから片頬でわらいかけてみれば、めずらしく。少し切ないような、どこかが軋むような笑みを浮かべた。
どうした、と言葉を乗せる前に。
両腕を回して抱きついてきた。

片腕を、その背中にまわせば。
アリガトウ、と。
聞こえた。
なにかが、おれの中で軋んだ。

その声を聞いて。軋みがサンジの鼓動と同じリズムで拡がる。
いま、両腕で抱いてしまえば。
放してやる事など、出来なくなる。陽の下にいることさえ許さなくなる、それはおれの真意ではないし、ましてや望む事でもない。
ただの、情動だ。
目を閉じ、さらさらとあたる髪に口付けた。
夜気の冷たさをまだ僅かに残す。
ゆっくりと、片腕で抱きしめた。その背を辿りながら。
もたらされる言葉。

「I love you,」
消えて行くものなら、わらいかけることも出来たろう。
けれどたった3つの音が刻み込まれる。
腕に、また力が込められ。
精一杯の強さで、抱きついてきているのだとわかる。
じっと動かない、吐息さえも潜めて。

ならば、せめて。
オマエにはおれの本意をつたえなければいけないだろう。
「I believe in despair, though I love you, too」
両腕で、抱きしめた。
「And I believe in hope, as I believe in sun shining day after storm」

おれは。絶望ってモノを信じていても尚、それでもオマエを愛する。
告げれば。
く、と。背中に回されていた手が、布地を掴んだのを感じた。
オレは希望を信じてるよ。嵐の後の空に、太陽が輝く日が来るのと同じくらいに。
穏かな、それでいてどこか涙を抑えたような声が柔らかく響いていった。
アナタを、愛してる。
そう続けて、小さく笑った。

ふ、と強張りが熔けていく。
どこか張り詰めていた神経が、弛緩し始める。
「アニキがね?…さっきの約束、口約束だったらぶっ殺しに行くって、言ってた」
トーンの微妙に変わった声で、見上げるようにサンジが言ってきた。
柔らかな唇が、首筋にあてられ。

おれの意思とは関係なく約束を破るはめになったなら、先に死んでいるだろうからと軽口で返し。
きゅう、とサンジが哀しげに表情を曇らせたのを眼にした。
あぁ、失敗した。
背中に、手を軽くあてた。
あまり、良い趣味の会話じゃないな、ゴメンな。
目を覗き込んだ。
コレは、……泣くか?

からかい混じりの口調に乗せて問い掛けた。
そうして、返された言葉に。
ひどくゆっくりと、鼓動が聞こえた。

また、ヤラレタ。
手練手管、睦言に甘言、囁き。
そういった一切と無縁の、拙いコトバ。
けれど、なによりも強く。
あぁ、また。オマエはおれに呪いをかけやがって。
返礼にオマエを繋ぎとめちまうぞ、程々にしておかねェと。

ふにゃふにゃと、例のデカイ猫の仔と似たような顔で笑うサンジに幾つか軽口で返し。
ふ、と考え込むような顔になったから、口付けた。
「"仔ネコチャン、美味しい餌でも食ってみるか?"」
下唇を食んで、コトバに乗せた。




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