1:00pm

「それでは今年度の最優秀成績保持者、ミス・サンドラ・ヴァルドグレーヴによるスピーチを――――」
既に近くで待機していたゴールドのキャップにガウンを羽織ったサンドラが、壇上に招かれて、上がっていった。
ちらりとサンドラと目が合って、微笑む。
"ダイジョウブ。"

サンドラがふわりと笑みを浮かべ。それから、ステージの下に並べられた椅子に座った卒業生全員に、ざ、と視線を
移していった。
カールした明るいオレンジの髪が、ガラス越しの午後の日差しを受けてきらきらと輝いていた。
低めの耳に心地よい声が、歌うように演説を始める。
「このキャンパスに初めて足を踏み入れた時、私は―――――」

目を閉じて、聞き入る。
サンドラの声は、よく響く。力強く優しい声、心地いいね。

大学での出会い、想い、夢、これからのこと。
淀みなく、サンドラが語っていく。決して読み上げるのではなく。

サンドラの声に誘われるように、記憶が湧き上がっていく。
初めて大学に踏み入れた16の頃。
サンドラやダンテ、その他いろんなヒトに助けてもらって、ヒトの中で生きることを教わったこと。
授業で受けた講義の数々。お世話になった教授たち。
夜、レポートを書くために図書館に泊り込んだら、ディオンがこっそりと珈琲を飲ませてくれたこと。
飼育室で飼ってた試験動物たち。出会いと別れ。

初めてのアメフト観戦、ヒトと一緒にはしゃいだこと。
ダディと初めて二人きりで、帰省したときにデンヴァでディナーを食べたこと。
サンドラとレポートを書きながら、寄宿舎のロビィのソファで眠り込んだこともあった。
夏、バイトでリトル・ベアと師匠にまた会って。それからリカルドとも再会した。

冬が来て、アタリマエのようにキョウダイたちと雪の中で過ごした。
そういえば、春にセトの公演を見に、ロンドンまで行ったなあ。
それからまた、夏が来て。
ゾロと、出会って――――。

目を開けて、自分の掌を見る。
少し、大きくなったソレ。長くなった指先。
相変わらず、セトやシャーリィやサンドラやヒナは。
オレのことを"ベイビィ"って呼ぶけれど。

『―――声が大人になったね、シンギン・キャット』
電話越し、リトル・ベアがオレに言ってくれた。
少し前に、オレの卒業式を見に来てくれないか、と言った時。
『オレ、ハタチになりました』
そう返せば、くく、とリトル・ベアが笑ってた。深く頷いてたみたいでもあり。

続いた言葉に、オレはびっくりしたっけ。
『悪いな、その頃は丁度、妻の出産予定と重なるんだ』
リトル・ベアがナタリアさんという、オレより2つ年下のヒトと結婚したのは知っていたけれど。
妊娠してたなんて、聞いてなかったから―――。

『生まれるの?』
『生まれるぞ。まだオトコかオンナか解らないが』
『リトル・ベア!!』
『なんだ、キャット?』
『おめでとうございます!ナタリアさんにも、オメデトウって伝えてください!偉大なる霊が常に共に在らんことを
願ってますって』

ナタリアさん、は。
ゾロがヒナと婚約したあの夏、オレが感情の底辺を味わっていた時に。
リトル・ベアに電話をかけてきて。そしてオレを励ましてくれたシャリーンさんの娘さんだ。
オレの神の加護が、側に在りますように、って。

シャリーンさん自身は、あの後直ぐに癌で亡くなられて。
ナタリアさんが一人、遺されたのだった。
確か、リトル・ベア。スペインまで迎えに行った、って教えてくれたっけ。

『リカルドはなんて?』
『写真を撮りに、帰ってくるそうだ』
リカルドは。アリゾナを旅立ってから直ぐに"親友"のところに行って。
それから、南米をあちこち旅して回ったと聞いてる。

時々オレのところに、ゾロとオレ宛てで投函されるポストカード。
短い手紙、『笑ってるか?』のヒトコトと一緒に同封されてくる写真。
返信先は、いつでもニュー・オーリンズ、フレンチ・クォータで。
帰ってからでないと読めないから、現在リカルドがどこにいるのかは不明だ、いつも。

『リカルドなら、優しい写真を撮ってくれるね』
そう言えば、リトル・ベアは笑ってた。
優しい、穏やかな笑い。リカルドの写真から見て取れるような。

『生まれたら、家族写真を送って!』
『いいとも。リカルドも入るように言っておく』
『うん!絶対!!また電話をかけるね!』
『ああ、サンジ』
―――"サンジ"って呼ばれた。
『卒業おめでとう。グレート・サンダー・フィッシュに代わろう』
『ハイ』

そして、声を聴いた。師匠の。
デンワは好かん、って後ろで言ってたけど。
リトル・ベアが、黙って渡してたみたいだ。
きっと、あの優しいこげ茶の目が。
ヒトコトぐらい言っておやりなさい、と言ってたんだろうなあ。

『師匠!!』
デンワ越し、呼びかけた。
『めでたいの』
『ありがとうございます!師匠も、念願のチビちゃんが生まれますねえ!』
ゾロと出会った夏に、何度もからかわれたコト。
今でも思い出す。
『次の命が繋がった、おまえの子ではないがの。わしが還る前に顔を出すようにせい』
優しい、からかい声。

師匠…もう、オレはメディスンマンではなくなってしまったけれど。
師匠はいつまでも、オレのダイスキな師匠です。
『もちろんです』
頷いて返す。
あの夏、すべてがあの場所で繋がった。
アリゾナの、赤茶けた大地。
師匠の愛するあの場所で。

『む。リカルドもの、面白いイキモノと会ったらしい。道は歩くに値するぞ』
"道は歩くに値する"…オレもそう思う。
酷く優しく、厳しい世界。
バランスの上に成り立つ、この場所。
総てが、愛しい。

「―――これからの未来を担って、歩んでいきたいと思います」
サンドラのスピーチが終わりかけていた。
壇上でふわりと笑っていた。
拍手が沸き起こる、生徒たちから。ゲストたちからも。
あの、謎のダマ…なんだっけ?も。酷く嬉しそうに、拍手を送っていた。

口笛が吹き鳴らされ、サンドラがまたふわりと笑う。
壇上から、拍手の中。サンドラがゆっくりと歩いてくる。
笑って迎えた。
微笑みあって、椅子に座って。
それから。学部長が、静かに告げた。
「Now, the procession will begin―――」

名前が、呼ばれていく。
学部と名前。
特異すべきメリットと、オメデトウの言葉。
最初にソレを受け取ったのは、サンドラ。
最優秀成績を収めて、summa cum laudeを貰ったから。

学部長と握手をしてから、ゲストたちと握手をして進む。
それが終わる前に、オレの名前が呼ばれた。
「Mr. Sanji Lacrois」
オレもサンドラと一緒に、オールAで終わったから。
課外活動には、いくつかのレポート関連のことにしか手を出してなかったから、特にメリットはない…と思うけど。

知らない他人と手を握るのは嫌なんだけど。
倣って手を握っていったら。
ミスタ・エミーリオ・ダマスカス?さんが、すい、と。
とてもよく見たことのある顔で、笑っていた。
ハンサムで、チャーミング。
そして―――

「こんど私のオオカミを見にきなさい」
―――ゾロそっくりの声。
「―――ミスタ、もしかして…」
あんぐり、と口を開けていたならば。
ふ、と。また全然違う表情を帯びていた。
「卒業おめでとう」

「ありがとう、ございます」
ぴし、と礼儀正しく言われて、こく、と息を呑んだ。
それから、背後に続く誰かに目線を寄越していったので、残り数人のゲストと握手をするために進み。
壇上の中央に戻って、階段を下りる前に見渡した。

ちらほらと顔見知りのコたちが、ちっちゃく手を振ってくれてた。
家族席の方、泣いてるみたいなダディと、朗らかに笑って写真を撮ってるマミィ。
なにかを笑いながら言い合っているみたいなセトとコーザ。
そして―――――

す、と。そこだけ、空気が違う。
スーツを着たゾロ、後ろの方にする、と座ってた。
に、と笑って―――。

駆け出して行きたいのを賢明に抑える。
椅子に戻って、貰ったばかりの卒業証書を握り締めたなら。
サンドラが、突付いてきて言ってた。
「ベェイビィ、飛び出しちゃダメよ」

「サンドラ、知って…?」
「最後にアナタのダーリンと目を合わせたもの、スピーチ始める前に」
二人で小さく笑った。

「―――どうしよう、」
「なにが」
「すっごい嬉しい」
ワザと呆れたみたいにサンドラが囁く。
「―――素直に喜びなさい」

「―――飛び出していきたい」
「やったら噛み付くわよ」
くすくすと笑いあう。
「うん、わかってる。オレだけの卒業式じゃないもん」
「あと1時間は名前呼んでるわ、我慢我慢」
「……今日、この後。いろいろなんか予定あったけど」
「すっぽかすんでしょ?最初から解ってるわ」

「サンドラ」
「なにかしら?」
「ダイスキ」
「あら、それってダーリンが?アタシのコト?」
「どっちも。そして沢山のことも」
"総てが愛しい。"

「アナタの人生に、"偉大なる霊の加護"があることを祈ってるワ」
「サンドラにも」
「歩いてきてよかったわね」
「うん。でも―――」
―――これからも、歩んでいく。
今度は、ゾロの側で。

「大学卒業しても、ヒトからは卒業するんじゃないわよ」
サンドラの言葉に笑った。
だって、ねえ?
ゾロを愛して、ゾロに愛されるのなら。
ヒトでも在らないと、ね?

「サンドラ、ダイスキ」
「ハイハイ。アタシもサンジがダイスキ。たまには顔を見せてね、遊びに行くから」
「うん、きっと―――きっと、ね」




next
back