声、それが耳に気持ちよすぎてその音の意味が一瞬理解できずにいた。
――――…え?
さあ、と。意味よりも先に感覚の方がリアルに戻って。
つき、と。
背骨の奥から甘ったるく痺れたままの名残が通り抜けていった。
耳元、かるくピアスされるときも、キツク牙を掠められるときも、神経が跳ね上がることを知ってるのに。

面白がるようなヒカリ、それを映しこむグリーンを軽く睨んだ。
ひら、と空中に線を描いていた手がそのまま口許まで流れて。
指先、白い歯が軽く噛んでいくのを見せられて、つき、とまた身体がシグナルを寄越してくるままに、目線をもう少しだけ
合わせてから小さく言葉を唇に乗せた。
「―――ダメ?」
「ダメ」
「邪魔?」
「邪魔。オレがどんなにオマエを大切にしてるか、オマエ知ってるだろ?」

耳元に手を持っていって、軽く触れてみた。自分の手肌でなら触れたってナンでもないのに。
「アクセント無くて寂しいのに」
運ばれてきたドリンクをテーブルに置かせて、バーメイドにさらりと「冷めた」笑みを浮かべてみせていたゾロが
「傷が付くならアウト」
そうあっさりと言い切っていた。
「―――みんな過保護だよ、」
小声で文句をヒトツ。あのヒトも壮絶に反対してたんだよなぁ。

「なんでだと思う?」
「おれが不器用そうに見えるから―――?」
グリーンが、きらきらとヒカリを弾いて。その様子に少し見惚れた。
「バァカ」
声と一緒に手が、頭に落ちてきて。髪を掻き混ぜていった。
その柔らかな感覚に自然と、目が細められていく。
「なんで、」
「みんなオマエが愛しいからだよ、」
一瞬、ほんとうに瞬きの間だけ。
柔らかな笑みがゾロの表情に浮かんで、それはほんとうに優しいものだったから、言葉を飲み込んでただ。
幸福な気分だけを味わった。

ひとつ息をついて、身体を伸ばして座っていた2人掛けのソファで、足を組みなおした。落とされた明かりのなかでも、
ラウンジがもうほぼ一杯なのがわかった。
ゾロは斜め隣で、一人掛けのソファに深く座って。端整なカッティングの爪先から軽く皺の寄った組まれた膝の線まで
『出来上がって』いた。
演出、―――成功。
ジャケットとトーンの同じボウシは、もうヒトツある一人掛けに軽くトスされていた。

ラウンジに拡がるのはピアノの音と、あとは―――ざわめき、沢山のひとが抑えた声で語っているソレとは少し違う気がした。
いま、気付いた。
満ち始めているのは漣に似た、溜息のようなもの。
不愉快になるレベルまで引き上げられたノイズではないから、まだしばらくはココにいられそうだ。

「―――諦めなくちゃ、ダメか…」
独り言めいた呟き。
だけど、ゾロの耳がそれを聞き逃すはずも無くて、すい、と方眉が引き上がっていくのも、見えた。
「おまえの、貰おうと思ったのに。――――こんなに夢中になるなんてなぁ、驚き」
カラカイ交じり、本音が殆ど。指先まで火照らされた仕返しにもならない、意趣返し。
「如何してくれよう、」
ひら、とゾロの目線の先に腕を伸ばして指先を一振り。

口許に浮かんだ軽い笑みと、片目が細められて。
「大切なのはいつでも内側だからな、」
笑みの容を崩さないまま、聞えるか聞えないかのぎりぎりまで落とされた声で言っていた。
「明日訊いても返事は同じ、」
問う。
「当たり前だろう?」
「そう?」

「アリステア、」
すいっともう少しだけ指先をハナサキに近づけた。
軽く、斜めに目線を投げてきて。狩る物、その物騒な優雅さがそれだけで拡がってく。
「“まぁ、なんて尖った牙。”」
くく、っとわらって。ブラックルシアンを空にした。
「ハントするには食いすぎたな、」
低い笑い声が同じように聞えて。
「ダイジョウブ、おなかに石は詰まってないよ、狼サン」
「狩人に捕まるような間抜けだと思ってたのか?」
翠が、物騒に煌めいていた。

「アリステア、」
眼差しでキスが出来たなら、いまそうしてるのに。
「My lip is sealed(答えはナイショ)」
グラスをローテーブルに置いた。
「We'll see about that later,(それはまた後からな、)」
「Yes, my lord(御意)」
微かに甘い響き、それなのに拒絶など微塵も入り込ませないようなトーンに。ふい、と思いついて返事をする。
からかい混じりなのはわかるから、軽く。それでも充分に、敬意を表して?
また少しだけ、くう、とゾロの唇が笑みの容を深めていたけれど。
洩れ聞える程度に、落としている口調の軽口の応酬、なはずなのに。なんだか周りのゲストがそわそわと浮ついた。

――――詮索は関係ないけど。
また、周りを漂うような視線が微かな熱を帯びていくようだった。一体どういう風にヒトの頭の中で弄られてるんだろう、偶に
意識にのぼると微かに居心地が悪い。
すぐに、忘れていくけど。
ペーパー上は、おれオトウトだし。
イキナリここで、『お兄さん、』とか呼びかけるのも昼メロ以下なことになりそうだ。
まして、ゾロが絶対笑う。
それも、盛大に笑い出すかもしれない、うん。
下手をしたら額を小突かれてハナでも摘まれかねないかも。

馬鹿な思考にすこし捕まっていたから、少しだけ気付くのが遅れた。
冷めた目線、それがすい、と周囲を撫でていったこと。
あぁ、うん、ごめん。大丈夫だよ、おれは…?そう言葉にすることも出来ないから、軽くゾロの手首に触れた。
「飲む?飲んでいい?」
笑み、自然に浮かんでくるままに少しだけ甘えた口調になった。
「ドウゾ、」
ラウンジのウェイターに片手を差し上げて呼び。
「あのな?おれ、」
グリーンをまた見上げた。
「ブラックシリーズで行く。決めた」

近付いてきたウェイタに、ゾロはウィスキーをオーダしていた。グレンユーリー・ロイヤル、50年もの。いいセレクションの
ラウンジだね。
じゃあ、これも作ってくれるだろう。まずは、ロックグラス繋がりで。
「ブラック・ドッグ」
お願いできますか、と3秒以内でアイコンタクト。
く、と笑う声が聞えた。ほらな?覚えてるんだよ、おまえに言われたことは、どんなにふにゃふにゃで聴いていてもね。
バーボン好きには怒られそうな配分、ブラックベリーのブランディとバーボンとベルモットのカクテル。
美味しいのにね。

「一口いる?」
ウェイターがいなくなってからゾロに言った。
「No thanks,」
いいえ、けっこう、だって。
軽くロックグラスを引き上げてた、それでも。
良く出来ました、ってとこか、それ?
から、とグラスを持ち上げたなら氷が縁にあたって音を立てて。
いいコだな、と。音にせずに言われた。―――だから、それ…ズルイよ、おまえ。
く、と神経が捻れる。
腕の中で、縋るように聞く言葉と同じ。
潤みかける視界、ゾロから少し反らせて。離れたコーナーを見遣った。
だって、頬熱いし……




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