漣のようなザワメキ。
どこか重く甘い溜息の渦。
ちらちらと寄越されては、散っていく視線。
好奇心と興奮に彩られた気配が、周囲を渦巻いていた。
適当に目で軽く見据えて突き放しながら、グラスを傾けた。
サンジはサードグラスの、ブラック・デビルを飲んでいた。
至極透明の液体に充たされたカクテルグラスの中で、ブラックオリーブが一際引き立っていた。
それを啜る色の乗った頬が、甘いランプの光を弾き。
伏せられ気味の睫が、時折揺れ動いていた。
サンジが零す吐息には、明らかにアルコールのせいだけでなく熱の上がった気配が滲んでいた。
深い琥珀色の、ダーク・ラムにも似た後味を残す液体を喉を滑らせながら、サンジが視線を流していた先を見遣る。
ピアノの側に居たバンドのメンバ。
ビートをヒトツ跳ばすほどではなかったが、僅かにリズムから外れていた。
客席を見遣っているからだ、莫迦め。
じぃっと見詰めてくる視線を見上げれば。
揺れる蒼と合わさる。
なンだよ?
僅かに片眉を引き上げて、サンジを促す。
同じようにほんの僅か、サンジが眉根を寄せた。
どこか喘ぐような表情にも似た艶を帯びている。
今夜も喰って、明日また寝かしておこうか―――?
思い付きに口端を引き上げる。
斜め向こうに座っていたマダムが、グラスを取り落としていたのが聴こえた。
深いカーペットに吸い込まれる鈍い音。
ガラスが割れずに済んでよかったな?
けれどサンジもそれが聴こえたのか、ぴく、と反応していた。
アルコールが行き渡っている割にはいいレスポンスだ。
「―――穴を開けないならいいぞ、」
思いついて、サンジに言ってみる。サンジが持ち出してきた議題。―――ふン。
「なんなら帰る前に、どこか覗こうか?」
サンジの目が、溶け出しそうに揺れていた。
く、と小さく息をヒトツ呑んでいた。
前に告げた言葉が、頭の中でクリックしていたらしい。
「クリップで留めるタイプのものがあれば、買ってやろう、」
イタズラを思いついたことだしな。
サンジが無意識に、煙草を吸うように唇に指先を持っていきかけ。
ふ、と気付いて困ったように目を揺らしていた。
それから首を横に振る。はさはさとした音が微かに響いた。
「おまえのじゃなきゃ、いらないんだ、」
囁き声が落とされた。
笑ってサンジの耳元に唇を寄せる。
「赤くなるまで留めておいて、火照ったトコロを喰おうと思ってたのに、」
ふぅ、と。サンジが甘い息を零していた。
僅かに緊張していた肩にさらに力が入り。きゅ、とアームレストを細い指先が掴んでいた。
白い頬がまた僅かに赤を帯びる。
「残念、」
Too bad、と嘯いてから、にぃ、と笑ってみた。
「でも、」
リッチな風味のウィスキィを一口飲んで見遣れば、く、とサンジが下から覗き見るようにしていた。
髪がさらりと流れ、ほんのりと色付いた目許はかっかと熱を放っていそうだ。
「“でも”?」
「部屋で着るシルク、ほしい。着物。あるかな、古布の」
「本気で欲しいのなら、それ飲み終わったら探しに行ってみるか?」
ロゥテーブルの上に置き去りになっていたグラスを指し示してみたならば、またサンジの目が揺れていた。
「ん、…でも、」
すう、と目を一瞬伏せ、それからまた合わされてくる。
「“でも”が多いな?」
くすくすとからかう。
「“本気で欲しい”モノは―――知ってるんだろうに、」
吐息混じりの甘い声に、ますます笑いが込み上げてくる。
まさしく喘ぎ声混じりのような囁き。
「もちろん知っている」
知らないワケがないだろう?
ああ、もしかしたら―――熱くなってやしないか、オマエ?
「けどまあ。あのシルクのひんやりとした手触りは―――なかなか楽しめるしな」
ジャケットを脱ぎたそうにしていたサンジに、買い物に行きたいのなら着ておけ、と告げる。
「がまん、―――ハイ」
頷いていた―――ショッピングは慣行、ってことか。
「この間のように飲みながらは歩けないからな?」
マーディグラじゃなくて残念だな、と続ければ。
「外でたら、脱いでいい?」
と問われて苦笑する。
「まああまり熱くても、ただでさえぼんやりしてたのが更に煮詰まりそうだしな、オマエ」
「これ着てても、ぼうっとして見える…?うあ、」
微笑が僅かに乗っていた。
ちらりと周囲に視線を過ぎらせれば、息を呑んでいそうな数人が凝視しているのにかち合う。
軽く片眉を引き上げれば、そそくさとそれらは散っていき。
サンジは、けれどそんな連中の視線には気付くことなく、くいっとグラスの中身を喉を反らせて飲み乾していた。
いったいここに居る何人が、そこに口付けたいと密かな願望を抱え込んでいることやら。
「――――――は、」
火照って濡れた唇から息を吐いたサンジに小さく笑い、手の中のグラスを軽く揺らしてから最後の一口分を飲み乾した。
スムーズに喉を滑ったウィスキィから立ち上る甘い深いアロマが押し出されていく。
まだまだ歩けます、と歌うような声で告げたサンジに、歩けなければ帰るだけだと告げて、手を軽く上げてウェイタを呼んだ。
チップ込みで料金を支払い、立ち上がって帽子を引き上げる。
サンジが僅かに尖らせた唇に、席を立つのを見守っていたウェイタが見惚れていた。
すい、とサンジも優雅な猫のように立ち上がり、ソファとテーブルの間を抜けるのを待ってから後ろに着いた。
ありがとうございました、と静かな声が背中を追いかけてきて、ひらりと手を揺らめかせて挨拶の代わりにする。
どこか騒然としたホテルのエントランスを抜ければ、爽やかな風が吹き付けてきた。
道を進めば、そこはもうフレンチクォータで。
白い建物のコロニアル時代特有のファサードの外まで、黒い服のベルボーイが見送ってきた。
サンジがにこお、と艶やかに笑んでみせていた。
どこか古びたようなデザインのストリートランプに照らされた道を通って、古めかしいデザインの建物や確かに古い建物の前を
歩き出す。
すれ違っていく半ズボンにTシャツの、中高年の観光客や。
タンクトップにセータを羽織った地元の連中や。
酒が飲み足りない、Tシャツにデニムの同い年くらいの連中や。
着飾ってこれから街に繰り出していくらしいオンナたちが。
すれ違う度に視線をロックしてくる。
シャレたスーツの老人や、その連れの白髪の上品そうなマダムまで、微かに息を呑んでいるのが聴こえた。
「おまえ、モテテおれ自慢、」
ふにゃと笑っていたサンジの頬を軽く突付く。
「んん?」
「オマエが楽しんでいれば、あとはどうでもいいさ」
に、と笑ってやれば、さらに笑みが蕩けていた。
被っていた帽子をもう少し深めに被りなおして、サンジに見えてきた古めかしいスタイルのショッピングストリートを指し示す。
「いいものがあるといいな」
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