トマトソースの匂いが部屋一杯に広がっていた。
ヴァーミリオンのトップフロアには使い込まれた割には磨かれた調理器具が戸棚一杯に置いてあり。
それらを取り出して、サンジが今日は“調理当番”だと笑っていた。
イタリアンを作るときは、大概いままではオレが作ってきたから。
今日のトマトソースを作る際には、サンジにレシピを伝授することになった。
煮立ってきたトマトソースを掻き混ぜるサンジの後姿を見ながら、次の工程に移る準備を整える。
今日の献立はチキンとサラダ、そしてピッツァ。
デザートは作るのは止めて、こちらのキッチンに頼むことにしてある。
「ワイン欲しいかも、」
そう呟いていたサンジに、どのワインをリクエストするか訊いてみる。
ピッツァなら白?けれど赤もいけるな。
「イタリアの、赤。いま飲みたい」
にこお、と振り向いたサンジが笑った。
今呑むのなら、フルボディよりは軽めの若いワインだな。
「下のセラーに置いてあるものを持って上がって来てもらおう。ついでだからディナーで飲む分もオーダしておくか。
デザートには何を頼む?」
「んんんん、」
サンジが鍋を掻き混ぜながら唸る。
それから、ぱっと見上げてきた。
酷く嬉しそうに煌くブルゥアイズ。
「パティシェに決めてもらおう。何作ってるか教えてさ?」
「ワインも?」
チョコレイトは問題外って言っておこうね、と笑ったサンジに笑みを返す。
「ワインはおまえの好きなように」
「白?赤?」
「白から赤にスイッチ」
「Sure thing,」
「Ta-ta,」
わかった、といえば、アリガト、と返事が返され。
それからまた鍋を掻き混ぜに戻っていた。
黒いアンティークの電話を引き上げながら、さてどういう風に頼もうか、と策を巡らせる。
持ってくるのは誰になるのかね。
やはり顔馴染みになっちまったブランドンの坊やか?
そういや帰りに荷物を持って上がる際もやたら張り切っていたしな。
まぁ誰でもいいか。
ここの連中はイロイロと詮索してこないし。
コンシェルジェに電話を入れれば、やたらと歓喜がにじみ出た声に対応された。
そんなにチップを払い込んでいるわけでもなければ、連中とフレンドリィに接してるわけでもないんだがな?
とりあえずルームサーヴィス用のフードをアレンジしているシェフに電話を回してもらった。
けれどセカンドラインから内容を聞いているのがラインの質で解る。
2度手間を防ぐための対応策なのだろうか。
プライヴェートで話したければ呼びつければいいだけの話で。だからそれは放っておいた。
背後でサンジが機嫌よく“Everything Happens to Me"を歌っているのが聴こえた。
ラインが繋がる。
「ムッシュ・ロベール?」
『ウィ、ムッシュ・ウェルキンス。どうなさいましたか?』
「ワインとデザートをセレクトしてもらいたい。ディナーをこちらで作ることにしたので」
そう説明すれば、酷く朗らかにシェフが笑い、なにを作るのかと訊いて来た。
「ワインは一先ず赤、それは今飲みたい、とリクエストが来ているので若く軽いものを」
『ウィウィ』
「ディナーにはトマトソースを乗せたピッツァ、ロティスリーチキン、それにサラダを付けようと思っている」
だからそれに合うように、赤と白を1本ずつ、と言えば。名前をいくつか挙げてくれた。
その中から2本選ぶ。
『デザートにはガトゥショコラはいかがでしょう?』
あまり甘くないさっぱりとしたものがあると言われたが、それは丁寧に辞退した。
“Kiss of Life”を歌い出したサンジに半分意識を向ける。
『ではタルト・フルウィなどはどうでしょう?今ならレッドベリィを多めに使った酸味の程よいものをご用意できますよ』
「カスタードは無し?」
『ウィ、ムッシュ。その代わりにクレーム・シャンティーもしくはアイスクリームを添えましょう』
「アイスクリームは無しで」
『ウィ。珈琲紅茶はどうしましょう?』
あなたに逢ったとき、あなたこそが運命のひとだとわかっていた、とフランス系の女性歌手が歌っていたより甘く節に乗せていた
サンジに訊く。
「ヘィ、珈琲か紅茶か要るか?」
あなたはぼくを愛の色で包んでくれた、と歌っていたのが途中で途切れる。
サンジがヘヴンリィブルゥを合わせてきて、僅かに首を傾け。オトにはせずにコーヒー、と言っていた。
エスプレッソもカプチーノも。“狼の群れ”には負けるのは自明で。
だから普通に珈琲をポットで頼んだ。
『またなにかありましたら、是非お呼びください、ムッシュ・ウェルキンス』
「ありがとう、よろしく頼むよ」
『もちろんですとも!』
嬉しそうなトーンのシェフの声に、ワインだけ直ぐに持ってきてもらうようにし、デザートと珈琲は後でまた持って上がってくる
時間帯を連絡することにしておいた。
電話を切ればまだサンジはSADEの歌に戻りながら、静かに鍋を掻き混ぜていた。
「味見したか?」
「んん、」
背後から軽く腕を回して、頭のてっぺんに口付ける。
「してみろよ、」
木のスプーンを片手で取り上げたサンジから腕を放す。
少し掬い上げて、ぱく!とやっていたサンジが、眼を大きく見開いていた。
「熱くないか、オマエ?火傷してないか?」
首を音がするほどにサンジがブンブンと横に振っていた。
「あじ、ちょうどいいとおも…」
慌てて水を飲んでいる様子に、軽く焼いたんだな、と思い当たる。
「べろ、出してみろ、」
「んんんん」
水を飲みながら、いい、と目が言っているのに片眉を引き上げる。
「いいからほら早く、」
「んーん、」
へーき、と言っているのに、平気じゃないだろ、と返す。
「んが、って口開け、」
火を弱火に落としていたサンジが、首を横に振っていた。
「ベイビィ、火傷したんだな?」
「んんん」
「してないって言うのなら、口開け、ほら」
眼をぱっちりと開きながら、ううん、と言っていたサンジの頭を軽く小突く。
サンジが僅かに口を開き。
「へいき、」
そう言っていたのに軽く溜息を吐く。
すい、と見上げてきたサンジの頤をそのまま捉え、軽く口を開かせて、ぺろりと舌を舐める。
「ばぁか。味見するならプレートに移すのが基本だろ?」
ましてや猫舌が無理するな、と。ぴくんとしていたサンジの額にも口付ける。
「吹いたよ、ちゃんと」
小声が言い訳してきて、苦笑する。
「足りなかったってことだろ。ヘタな賭けはするな。確実に安全だと解る方法があるんだから、そっちにしとけ」
「―――はぁい、」
「いいコだ、ベイビィ」
小声で不服そうに言ったサンジのこめかみに口付ける。
「オマエが大切なだけなんだよ」
口煩くてゴメンな、と囁けば。
木のスプーンを片手に、きゅ、と抱きついてきた。
ぽんぽん、と背中を軽く抱いてから、腕を放す。
「ワインが届くまで一休憩しような?」
「ピッツァの生地作っとく」
どうせ寝かさないといけないし、とにこおと笑ったサンジの頬を突付く。
「急ぐことはないだろ。ワイン飲みながらやろうぜ?」
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