| 
 
 
 
 空に高く、鐘の音が溶け込んでいって。それに送られるようにしながら、古い町を出て行った。
 静かな町の午前中、だったんだろうけど。偶に通り過ぎる学生、っていってもおれと一緒くらいかな、その子達がなんとなく
 嬉しそうにしてたのは、今がサマークラスだからかな、と。そんなことを思って。
 
 エリィを渡してもらうついでにゾロにそう言ったら。
 太陽が近いからじゃないのか、と。
 返された。―――うん…?まぁ、もう夏だしね。
 そう言葉を乗せていったゾロが、どことなくふわりと柔らかな空気を纏ってたから、それも「太陽が近い」所為なんだろうな、と。
 納得してみることにした。
 
 石作りの古い街並みは、陽射しにゆっくりと輪郭を際立たせていっていて。とてもキレイだった。
 良い朝の散歩。
 それから、パーキングまで戻って。ゾロに、今度は自分が運転する、と申し出てみた。
 「だめ?」
 笑みを一つ。
 ハイウェイくらいなら間違わずに乗れると思うんだけど?
 「橋をじっくり見たいなら、渡っちまってからのほうがいいと思うが?」
 「海の真ん中、運転してみたいんだけど」
 わらって返されて。グラス越しの眼差しがとても優しいのも伝わってきた。
 「オーケイ、最高速度は絶対にチケットを切られない範囲内にな」
 「いくら"あのヒト"がおれの運転のセンセイだからってそこまで真似しないよ」
 ちゃり、と渡されたキィを受け取った。
 エリィと引き換え。
 
 ナヴィシートで、エリィはリーシュを外してもらって。しばらく膝の上にいさせてもらえるみたいだった。
 良かったね?おまえ。珍しいじゃないか、と。黙ってエリィの額を指先で撫でれば。
 くう、と。自慢気に目を細めてみせた。――――ハイハイ。
 
 「シートヴェルトをどーぞ」
 「もちろん」
 「安全運転ぎりぎり」
 わらって、クルマを出した。
 「車高は平気か?」
 「んー、たっかいねえ…!」
 これは素直な感想。
 「視野が高い分広く見えるから、車間距離には注意、な」
 「ん、了解しましたとも」
 たしかに、イタリア車ばっかり乗ってたらね。車高違いすぎ。
 
 穏やかな声が気持ちよかったから。
 「ゾォロ、おれナビ画面見るの嫌い」
 ハイウェイ?何番?どっち向き?と。
 冗談めかして幾つも訊いていった。
 
 「あ、猫轢きそう」
 エリィに向かって一言。
 ヒゲがやっぱり、前に向かって引っ張られて。大あくび。あーおまえ。そうか、
 猫じゃないんだよね、スミマセンデシタ。
 
 US9から、US13へ。
 ジャンクションも気付かないくらいに、自然と州境と一緒に変わってた。
 ゾロは。
 半分眠りかかったエリィをゆっくりと撫でてやりながら、窓から流れていく景色を静かに目で追っていた。
 穏やかに過ぎていくそれはもう、海沿いのものじゃなくて。
 緑が随分と多くなっていた。夏の初めの、明るい透けそうな草色と、深くなりはじめる直前の緑。
 森になりきれないソレ。
 
 「こういう景色、通ってるとね」
 静かに、たまに目線でミラーとメータだとかをチェックしているゾロに話し掛けた。
 スピードは、規定速度ギリギリ。
 す、と眼差しが向けられるのを感じた。
 センターラインが後ろに流れていくのを視界に入れたままで、続けた。
 「あの家のなかにいる人たちとは、多分一生会うこともないんだろうけど、」
 またひとつ、小さな「町」を通り抜けていく。
 くす、と。優しい笑いが齎される。隣から。
 「だけど、一瞬で通り過ぎた風景でも、きっと長く自分の中に残るんだろうな……てね?」
 林の切れ間から、茶色の家が見えなくなった。
 「あぁ、」
 返事に、一瞬目線を流して。
 ゾロの口許にふんわりとした笑みが上っているのを見た。
 
 「あのな…?」
 ――――ばらしちまうかなァ。
 「ん?」
 「"おまえ"もきっと、おれのなかでそういう景色になるのかなぁ、って思ってた」
 ふい、と笑みがゾロに浮かんでいった。
 「あぁ―――そうだろうな」
 低い、穏やかな笑い声と。
 「ムリもない、」
 そう静かな口調が穏やかだった。
 
 「いまはね?」
 また、穏やかな笑みに眼差しを一瞬沿わせた。
 「あの中のひとたちとも、どこかですれ違ってるかもしれない、って思うよ」
 だってさ、おれのなかは。"おまえ"でイッパイだし、と。
 付け足して。
 見詰めてくる眼差しが、優しいままなのを感じた。
 「お話、オシマイ」
 
 「―――オレはな、」
 静かな声に。
 すう、と神経が引っ張られていった。「安全運転」に向けてる以外の。
 「通り風であろうとしたんだよ、職業上。いつでも」
 「―――うん、」
 「"現実"から乖離されていた、ずっと」
 "職業"。聴いた、話。以前に。頷いて返事にした。
 
 「アイツに捕まえられた時も、まだ。世界はガラス一枚、向こう側にあった」
 ……うん、おれのダイスキな大事な。まだ好きでいてもいいんだ、って微笑んでくれたひと。―――ゾロを愛したあとでも。
 声が、静かに続いていた。サングラスをかけて毎日過ごしていたようなモンだ、と。低く笑って。
 「オマエを愛するようになって、漸くサングラス無しで世界が見えるようになったよ、」
 そう、言葉が形作られていった。
 「通り抜ける風としてではなくて、ちゃんと世界を見て歩こうって気になった」
 「―――そうなんだ…?」
 純粋な感情が湧き起こる、深くから。
 「あァ」
 
 「ゾロ?」
 そういえば、と。
 思い当たる、ちょっとした小さな変化。歩く歩調が少し緩やかになったりだとか。途中で、そのまま立ち止まったりだとか。
 時間の隙間を埋めようとはせずに、一呼吸おいてみたりだとか。
 そんな、「アタリマエ」のことを少し、自分に許すようになっていたこと。
 「オマエ」が。
 
 穏やかなグリーンアイズが見詰めてきてくれているのが、わかる。
 「おまえと過ごせてる時間は全部、たからものだから」
 どんなおまえでもね?それは変わらないよ、…きっと。
 
 
 
 
 next
 back
 
 
 |