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 ひと一人の印象。
 それはどれだけ深く、他人の脳に焼き付けられるものなのだろう。
 道ですれ違う他人。
 店で応対してきた店員。
 言葉を交わした相手。
 一緒に一定の時間を過ごした相手…。
 
 チェサピーク・ベイの長い橋を走りぬけながら、そっと思考を泳がした。
 隣を鴎が並走する。
 空の青と、チェサピーク湾の青。
 楽しそうに車を運転しているサンジの目の中のヘヴンリィ・ブルゥ。
 
 昔の自分と、随分変わったのだろうな、と思う。
 隣にいるサンジが変わったように。
 自分から切り離していた"世界"の一部だと、いまは素直に受け入れられる。
 教会の庭に生えていた林檎の木。
 湾の中にぽつりと浮かんでいるオレンジ色のブイ。
 空に流れる白い雲。
 在っても不思議でないもの、一つの独特で唯一な個でありながら、一枚の絵の欠片である。
 サンジと、エリィと。
 同じだけの存在で"在る"自分が―――どこか、くすぐったい。
 
 二つ目の橋を渡りきって、オレンジ色かかった闇に突入。
 サンジにライトを点けろ、と言って。
 トンネルを走り抜ける。
 
 「いつも、滑走路みたいな気がする、トンネルってさ」
 サンジがそう言っていた。
 「反対側から飛び上がっていければ、面白いかもな」
 飛来するイメージ、抜け切った先に広がる視界いっぱいの青。
 サンジの口許が、くう、と笑みを象っていた。
 低く声を出して、笑う。
 「ロケットマン、って解るか?」
 キャノンに自分から入っていって。点火してもらって、空に打ち上げられるヤツ。
 
 す、と一瞬蒼が合わされる―――危険だから見なくていいぞ、と小さく口端を引き上げる。
 「ウン、」
 笑いを滲ませた声が聞こえた。
 サンジの片手がひらりと砲弾の軌跡を描いていた。
 「空に打ち上げられて、最高度に達した瞬間―――なぜだか、あの瞬間だけは無音だと確信している」
 そんな経験など、したいとも思わないのにな。
 くく、と笑ってサンジに告げる。
 「ふぅん?」
 前を見て、にこ、とサンジが笑っていた。
 
 「おれ、オマエと最初に目があったとき、なぁんにも聴こえなくなったよ、一瞬」
 続けられた言葉が、さらりと内に入り込んでくる。
 痛みを伴わない、甘い言葉の欠片が溶ける。
 一瞬トンネルを抜け、蒼が天上に広がるのを眩しさで知り。
 最後のトンネルに向かう。
 甘いオレンジの闇に沈む。
 
 「―――オレは。心音が聴こえた、自分の」
 とくり、と鳴ったのを覚えている。
 周りの音が一瞬遠のくのと同時に。
 錯覚しそうなくらいに短い一瞬。
 
 無かったことにもできた筈。
 したくはなかった、だから手を取った―――ただそれだけのこと。
 そうする以外の選択を、除外した。
 後悔はない、欠片も。
 ただ。
 「―――感謝、しなけりゃな」
 呟く。
 いまはどこかで、幸せになっているアイツに。
 いくら感謝しても、したりない。
 
 サンジが、ゆっくりと瞬きをした。
 笑みが勝手に口端に登る。
 「幸せだ、と胸を張って言えるぜ、いまは」
 そうっと頷いていたサンジから目線を外し。前を見据える。
 フロントガラスに映ったサンジのイメージを見詰める。
 オレの天使。
 
 ちらりと微笑んでいたサンジのイメージが、ヒカリに呑まれる。
 天上の蒼。
 アスファルトを滑るタイヤの音が一瞬消え。
 次の瞬間、鴎の鳴く声と共に総てが戻ってくる。
 車の列が穏やかに続き、チェサピーク・サイドに到達。
 これから暫くは陸路だ。
 
 「音、無くなった?」
 そうっと訊いてきたサンジに頷く。
 窓を数センチ開けて、音を戻す。
 「永遠みたいな一瞬、だったけどな」
 くす、と笑ってノーフォークを抜けるルートの方を示す。
 にこ、と微笑んでから、サンジが口調を軽く戻していた。
 「"ここより永久に"、」
 
 「―――イッちまった一瞬にも似てるな」
 くく、と笑う。
 ぱぁ、と。サンジの頬が一気に染まっていった。
 笑ってアクセル緩めろよ、と告げて、レッドライトで車が一時停止する。
 「―――その声、反則……」
 消え入るような声で呟いたサンジに手を伸ばして金髪をくしゃりと乱してやる。
 「この辺りのどっかで停めて、ランチにしよう」
 「ん」
 ブルーライト、また流れに乗る。
 
 「食べたいモノはなにか?」
 首を横に振ったサンジに、シティを抜ける道に入らせる。
 明るい光に満ちた港のある街。
 メインストリートから少し外れて、パーキングのあるエリアで視線を巡らせた。
 「腹は減ってるか?」
 「うん、多分」
 ああ、少しは歩くか。車は停めておけばいい。
 シティだからエリィはまたバスケットの中、だな。
 「オオケイ、じゃあそこのパーキングに車を停めて。少し歩いてメシ食うところを探そう」
 指でコイン・パーキングを指し示す。
 
 「あ、腕疑ったナ?いま一瞬」
 「いや、」
 にこ、とサンジが笑い。車をバックで入れていった。
 「上出来」
 ミラーを仕舞い、エンジンを止めたサンジに、指をひょいひょい、と動かす。
 ふわんと笑みを浮かべていたサンジが、
 「合格?」
 そう言っていた。
 「ああ、」
 頷く―――だから褒美をやろう。
 
 す、と首を傾け。なん?とでも言う風に笑っていたサンジに。
 シートベルトから抜け出してから、頤を捕まえる。
 瞬いたサンジに笑いかけてから、口付ける。
 柔らかく、啄ばんで。
 ふわ、と表情を甘くさせたサンジの蒼を間近で見詰める。
 額を合わせ、笑いかけ。
 頬を指で撫で上げてから、幸せそうに顔を綻ばせたサンジに告げる。
 「さ、食いに行くか」
 
 
 
 
 
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