世話になった、と次期メディスンマンに言えば、礼など言うな、と静かに笑って返された。
「縁があって持て成したのは、こちらがしたくて行ったこと。お前には却って余計な世話だったかもしれん」
濃い茶色の目は穏やかに見下ろしてきて。
やはりこの男は只者ではない、と認識を新たにする。
「また何かあれば訪ねてくるがいい。いつでもお前たちを客人として持て成そう」
「ありがとう」
「いつでも偉大なる霊はお前たちと共に在る」
低い声が祝福を告げる。
You never walk alone,そう男が呟いた。
手を差し出して、握手をする。
大きな赤茶色の掌は分厚く、暖かく、力強く。
「ありがとう」
心の底からそう言えた。
グランドキャニオンという場所柄なのか。
この男やその家族が持つ雰囲気のせいなのか。
宿命を忘れることはないけれども、恐らく全てのことを包容できた一瞬があった。
在るべきものが全て、在るべき形に在る。
諦めや後悔からは程遠く、心は穏やかだった。

サンジがナタリアの頬に口付けて、礼と別れを述べていた。
小さな赤ん坊は揺り篭の中で、すやすやと眠っていた。
エリィはどこか笑っているような顔で、サンジが礼と共にグレートサンダーフィッシュの頬に口付けているのを眺めていた。
リトルベアは笑って手を差し出し。
それを握ったサンジが、にかっと笑って、頬に口付けていた。
「いろいろほんとうにありがとうございました、」
「また近くに来ることがあればいらっしゃい」
「ええ、ぜひ」
とん、と額に男が口付けを返していた。
にこお、と笑っていたサンジの柔らかな金色の髪を両手で抑え、柔らかな口調で祝福していた。

小さなナタリアと向き合う。
「貴女がいつも健やかでありますように。美味しい食事と暖かな部屋をありがとうございました」
くすん、と少女のような人が笑った。
「夫の客人は私の客人ですから。本当にまたいらしてくださいね。エリィくんとずいぶんと仲良しになったんですよ」
手がそうっと差し出され。それを握り、それからゆっくりと頬に口付けた。
ふわりと笑みが返される。
眠ったままの子供の頬を、指先で軽く触れ。

それから、高齢のメディスンマンに手を差し出す。
にぃっとグレート・サンダーフィッシュが笑った。
「貴方もいつまでも健やかでありますように」
笑って告げる。
「また来い、狼」
頷いて返す。
「道は覚えておろうな?」
とすっと腕を小突かれて、また笑った。
「刻み込みました」
「良し。」
健やかにの、と告げられ。にかっと笑みが寄越される。
「迷うことがあれば、ここを思い出します」
どんなにこの場所が、暖かかったかを。
きっと死んでも忘れることはないだろう。
うむ、とグレート・サンダーフィッシュが頷き。
それからサンジに向き直った。
「行こうか」
すう、と目線を合わせたサンジが、にこお、と笑みを浮かべた。

「車まで送ろう」
リトル・ベアが申し出てくれて、短い距離を歩く。
ナタリアとグレート・サンダーフィッシュは、扉の側に立って見送ってくれているようだ。
サンジがエリィの手を握って、二人に向かって振っていた。
車、アンロックして扉を開ける。
エリィをまず後部座席に落ち着かせてから、リトル・ベアに向き直った。
サンジが車に乗り込み、ドアが閉まる音がすると同時に、リトル・ベアがひょいっと何かを放って寄越した。
どうやらラベルが貼られている、小さな細い瓶。
「リトル・ベア?」
ひらり、と手を振り。大きな背中を見せて歩き出していた。
「またな」
声だけが戻される。

手の中にある瓶に貼られていたラベルを読むとどうやら手書きらしい流暢な文字で”素敵な夜を”と書かれていた。
……まさか商品名ってことはないよな…?
中からサンジが訝しげな目線で覗き込んでいるのが解り、ひとまず車に乗り込む。
「別れ際にもらった」
「なに?」
サンジに瓶を手渡し、シートベルトをする。
青がきょとんと見つめてくるのに肩を竦めた。
「さあ?」
バックミラー越し、大きな男がにやりと笑っているのが見えた。
―――なるほどね。全ては理解されてるってことか。
エンジンをかけ、窓を開け。
手を出して、親指を突き上げた。
“任せとけ”の返答。

そのまま車を走り出させ、人影が小さくなっていくのを見届ける。
サンジは隣でまじまじと瓶を見つめ、コルクの蓋を開けようとしていた。
「なかなかどうして、メディスンマンは現代でも有能らしいな」
「うん?」
サンジが目線を上げてきたのにちらりと合わせる。
それから口端を引き上げて告げる。
「期待に副わないとナ?」




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