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 馬鹿に噛み付いていても仕方が無いので、息を深く吸って頭を切り替える。
 「―――ま、兄キがなんだか幸せそうでよかったと思うヨ」
 マルチェッロがにっこりと笑った。長い話を端折って、逃亡先で落ち着いたということを漏らした後で。
 「オレじゃ役不足なのが残念だけど、たぁしかにセブのお気に入りはビジンだったしネ?相当悪戯猫っぽいケド」
 ひらひらとヒトの肩越しに手を振って、笑顔を浮かべていた―――サンジ、か。
 「オマエとセックス?冗談も程ほどにしておきやがれ、殺すぞ」
 甘ったれた笑みを浮かべていた馬鹿の額にデコピンしておいた。
 「いったああああああ!!!!」
 「そりゃ痛いだろ。死んでないだけマシだと思え」
 「少しは手加減してくれたっ―――しないのが兄キだもんナ、」
 にひゃ、と笑った救い難い馬鹿を諦めた。
 背後、バレているのなら仕方が無い。振り向く―――楽しげなセブの背中と、色っぽい笑みを浮かべたサンジが居た。
 
 「知り合いなんか居るはずがなかったんだよ、こんなところに」
 悪いな、とサンジに謝って視線を戻す。
 ちら、と目の端で、サンジが“言っている”言葉を捕らえた。
 「うわひゃ、“ウワキモノ”だって!かぁわいいなあアノコ」
 にこにこと馬鹿が見ていやがる。
 本気で蹴り上げようと足を振りかざせば、
 「ストーップ!アレスト!!可愛いのは本当だけど、可愛い以上には思えないってば!兄キも知ってるでしょうが!!」
 両腕でブロックする態勢で、腐っても元マフィアの構成員が叫んだ。
 足を下ろして、真ん中に無駄に生えていた木の周りの柵に凭れ掛かる。
 「……なんだってオマエがココに居るんだろうな」
 溜息と共に見遣れば、マルチェッロがちょこんとしゃがみ込んで見上げてきた。
 「カミサマとマンマにオレがお願いしてたから。“ドーゾもう一度、オレのかっくいー兄キと出会わせてください”って」
 にひゃ、と笑った馬鹿に、「誰が“オマエの”兄キだ」と苦笑と共に言って小突く。
 かっくん、と首を傾けたマルチェッロが、くっくと笑った。
 「兄キが居なくなってから、あそこに居る意味が無くなりまして。オレも、抜けたンですヨ?」
 静かな口調に、溜息を吐く。
 「オマエはあそこには似つかわしくなかった。いまこの馬鹿げた場所でオマエを見て、それが間違ってなかったことを確認したよ」
 
 「―――兄キもあそこには似つかわしくなかったですヨ。誰よりも、優しーんだから、本当は」
 甘ったれた子犬みたいな、濃い髭の生えた彫りの深い顔を見下ろす。
 「まさかそんなことを言いたいがために、マンマとディオに祈ってたのか、マルチェッロ」
 「んー?案外そーなのかもしれない」
 くくっとマルチェッロが笑った。
 「オマエは綺麗に切れたのか?」
 短い沈黙を挟んだ後で、元舎弟に聞く。
 「そりゃあ、オレなんかオンナノコたちの世話ぐらいしかやってなかった端っこの使いっ走りもイイトコでしたから?」
 す、と自慢げに片眉を引き上げた男を見詰める。
 「どうやって切れた?聞かせろよ」
 「……紙に辞表書いて。それをボスの愛人の家に置いて、まっすぐ歩いて出てきましたよ」
 「ハ!」
 
 実は相当頭の切れる弟分は、実際に今言ったことをやって出てきたのだろう。
 ファミリが世話していたオンナは、年齢、ランク、実際の性別、職業の種類がヴァラエティに富んでいたとはいえ、マルチェッロはその全員と“親しかった”。
 “親”を売った“新ボス”も、自分が選んだ愛人―――エマ・テレンス―――には相当甘かったからな。
 彼女たっての“お願い”ってのも効いたのだろう。
 「だから、オレはクリーンです。まるっきりクリーンって言い切れないのは、ここで“遊んでいる”身分だから、断定できないケド―――」
 マルチェッロが、ドアの側、室内側に居た黒服を指先で呼んでいた。
 キ、と僅かな音と共に、跳ねるようなビートが洩れてきた。先ほどまでだらけていた空気が一気に弾けている。
 黒服がフルートに入ったジンジャエールと。どうやら常連か何からしいマルチェッロがいつも頼んでいるらしいスパマンツァを差し出してきた。
 「なー、なんでセブがプレイしてンの?あのキレイな子猫チャンにせがまれた?」
 受け取りながらマルチェッロが訊いていた。それからオレを見上げて、ジンジャエール?と目を丸くしていた。
 その通りだ、今も間近で楽しんでいるよ、と黒服が言い残して、オレに笑みを寄越してから引き上げていった。
 
 「―――兄キ、酒呑みも返上したの?」
 笑っているマルチェッロに肩を竦める。ティン、とクリスタルのフルートを軽く合わせた。
 気を利かせてくれたのか、香り付け変わりに僅かに甘い葡萄の匂いがした。
 「あいつに付き合って、遊ぶつもりでこの街まで来たんだ」
 「…んん?」
 「タスカンなんてジャジャ馬乗って来た。アイツのホームグラウンドらしいがオレにはタダの知らない土地だからな、念のために避けてンだよ」
 睫毛がびっしりと生えた茶色い目をはっしはっしと瞬いて。
 「―――タスカン?」
 驚きに溢れた声で呟いていた。
 「そりゃまた………えええええ?」
 「遊びだって言っただろうが」
 見下ろしながら苦笑する―――どうせ“アリエナイ”とか思ってンだろが、テメェ。
 「……オレが覚えているのは真っ黒のニンジャと、古いクリームのシェビーと、紺のフォードのセダンだったのに……タスカン」
 置いてきた愛車を一つ一つ思い出す。そういえばオマエはなんだかんだいって、単車のケツ以外は全部に乗ったもんな。駐車係だとかなんとか理由付けて。
 
 「――でも、ああ、その格好してますもんね、今は。そのセンス、もしかしてミス・ビクトリア・N?」
 「―――オマエならロス中のオンナを知ってそうだな。その通りだ。アイツの古いオトモダチの一人らしくてな」
 「……兄キのインナモラート(最愛)、相当悪戯な子猫チャンですね」
 まだ目を丸めたまま、“新入り”マルチェッロが呟いた。
 「オレのアンジェロ(天使)、だ」
 室内に視線を遣って呟けば。足をがしい、と掴まれた。
 「くやしいいいいい!オレってばああああんなに頑張ってきたのに、結局最後まで“馬鹿犬”じゃないですか!」
 「あァ?“馬鹿な子ほど可愛いもんでしょ”とかなんとか言ってたのはテメェじゃねぇか!」
 「ひっどおおおい、ありすてあのいけずー」
 ゴン、と勢い良く拳骨を振り下ろす。手加減は一切ナシだ。
 「―――ったあ、これ以上馬鹿になったらどーするんですか!?」
 潤んだ眼差しで見上げられてもな、焦げ茶のカールした長めの髪に、ぼさぼさの伸ばし放題の髭、
 おまけにオレより少しばかり縦も横もデカいような男なんだから気持ち悪い以外の何物とも思えないだろうがッ!!
 
 「Cane stupido(馬鹿犬)でもイイって言ったのはてめェだろ」
 Il cane stupido e un cane dolce、馬鹿な犬は可愛い犬、そう見上げて聞き返してきた年下の舎弟に溜息を吐く。
 「猫を飼ってるから犬を飼う余裕はオレには無ェぞ」
 「え、それってあのコ以外に?」
 負けたッ、というカオをした馬鹿に頷く。
 ぷう、と膨れた甘いマスクの男が、でもいーもーん、と呟いた。
 「オレ以外に兄貴にとって馬鹿犬がいなければ。死んでも慕っちまいますもん」
 犬は惚れたゴシュジンサマには、見捨てられても忠義を捨てないんだぞう、と。恨みがましい目線で言われた―――言ってることと取ってる態度が間逆だな、オマエ。
 「―――オマエな、いい加減解れ。今も昔も、忠義を働いてくれるような“犬”は要らないんだよ」
 「…でもオレの本当のボスは、兄キだけでした」
 やけに真摯なトーンで告げられ、溜息を吐く。
 「一匹狼の筈だったのにな」
 呷ったジンジャエールが少し苦い。
 「……シカゴからこっちに抜けてくる間に寄ったバーで、ワルキューレみたいなオンナノコと飲んだことがあるんです」
 いきなり言い出したマルチェッロに、片眉を引き上げて続きを促す。
 「一匹狼は、逸れ狼。滅多に生き残れないんだって教えてくれました」
 「……オマエのお陰で生き残ったって言って欲しいのか?」
 き、と。マルチェッロが始めてきつい眼差しで見上げてきた。
 「そんな訳ない。兄キはオレにやさしくしてくれたけど、オレにはなにもさせてくれなかった」
 「……なにもしてくれなくて良かったんだよ。それに、オレには家族が居たしな。今はアイツと、猫が居る。独りなんかじゃないさ」
 手を差し出して。それを強く握ったマルチェッロが、す、と立ち上がった。
 
 「オレは、兄キ、―――」
 「オマエは何もしてくれなかったワケじゃない。―――追い払っても何をしても、ずっとオレの後に着いてきてくれただろーが」
 黙ってフルートを持った方の腕で、馬鹿の頭を引き寄せる。
 「感謝している、マルチェッロ・アレッサンドリーニ」
 「……それはあの子猫チャンのため?」
 ぎゅ、としがみ付かれて笑った。
 「オレのために、だよ。馬鹿マルチェッロ、オレが舎弟だと認めたヤツは、今も昔もこれからも、オマエしかいない」
 暫くの沈黙の後。腕を緩めたマルチェッロが、あーあ、と呟いた。
 「本当はオレなんかより、余程誑すのが上手いっすよね、兄キは」
 「はン?」
 「この男殺しッ!兄キのために、オレ、オンナノコに生まれ変わってもいいって今思ったじゃないっすか!」
 「―――こンのド阿呆ッ!!」
 ゴツッ、と拳骨を落とす。
 
 「くっそー、キスくらいさせろよぅ」
 ガキが泣くみたいに、マルチェッロが喚いた。
 「御免被るね」
 「ケチー、どうせ兄キの子猫チャンは、セブとキスしてんだぜー」
 「だから?」
 「ウワキモノ呼ばわりされたンだから、オレとキス一回くらいいいじゃないっすか!」
 ガラスのドアを開いて、ノリのいい音を外に出す。
 「嫌なモノは嫌だ」
 「…絶対寝込み襲ってやるぅ」
 「冗談は寝て言え」
 「こんなに愛してるのに」
 ぶうー、と涙目で文句を言った馬鹿犬に、肩を竦める。
 「種類が違うダロ」
 ほら、来い。そう促せば、ちぇー、とガキみたいに口を窄めたマルチェッロが、それでも素直に寄ってきた。
 
 「キス?」
 「阿呆」
 「ちぇー」
 「マルチェッロ」
 まだ泣き出しそうな馬鹿の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。
 「Il cane stupido e un cane dolce, anche se lei non e dal mio lato sempre」
 いつも側に居なくても、馬鹿な犬は可愛い犬だ。
 耳元で良く聞こえるように、言ってやる。
 ―――これでも大サーヴィス、だ。
 
 ふにゃり、とマルチェッロが笑った。心底嬉しそうで、サーヴィスした甲斐があるってもんだ。
 「…オレの兄キも、兄キだけっすよ」
 「La promessa? (約束か?)」
 「Si」
 覚えておこう、そう告げて。フロアに目を遣る―――ああ、ブースのところナ?“ウワキモノ”の“悪戯猫”発見。
 妙にカワイラシイキスシーンだな、サンジ?
 
 「兄キ、」
 真っ直ぐブースに向かって歩いていくオレの背中に向かって呼んだマルチェッロが、直ぐ後に続く。
 「オマエにキスなんぞしたくもないがな。見るだけならタダにしてやるから、覚えておけ」
 「―――ハ?」
 ブース、一段高い所に足を掛け、台に乗り。妙にうっとりと楽しそうにしていたサンジを引き寄せる。
 「馬鹿猫」
 さあ、と蒼が見開かれたのに笑って。腰を強く引き寄せて、思い切りディープなキスを仕掛ける。
 騒音が一気に立ち上り、無視する。
 馬鹿犬が、ああああああきいいいいい?と叫んでいるのも無視する。
 あ!と後ろで浮気相手が言って笑っていたのも無視して。
 一瞬、思い切り肩を掴んできたサンジも無視して、深く“貪る”。
 サンジの指がきつく縋り、喉が震えていた。
 「―――っ、んぅ、」
 思う存分口付けてから、一瞬だけ口付けを解いて、サンジの耳元に囁きを落とす。
 “余計な説明せずに済んだダロ”。
 きらきらと可愛らしかったサンジの表情がとろりとし。しっかりと潤んだ蒼を見詰めて笑う。
 「バーカ」
 「――――――ぃいもん、」
 とん、と押し当てるだけの口付け。
 そして間近で落とす囁き。
 聞き逃さないように、ピン、と蕩けても聞き耳を立てているサンジに笑みと共に告げる言葉は―――L'amo, il bambino。
 愛してるよ、ベイビィ。
 
 
 
 
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