Day 17: Los Angels
暗がりに逃げ込むような夢を見たのだと、どこかで思っていた。
容にならないぼんやりとした意識の合間に。身体中が、血管を流れるものがぜんぶ鉛にでもなったように、在ることすら重くて。沈み込む。身体だか、意識だか、ぜんぶが。
硬く強張っていくみたいな、嫌な夢にもならないような、そんなモノが口をあけて、呑まれたかと思って。
喉の奥のどこかに、何かが引っ掛かって。息が詰まるかと。
ソレが何だか思い出す前に、また何か別の暗がりに逃げ込んで。繰り返し、そんな夢をみていたんだと。
許容しきれる以上の悦楽、発光するみたいに何もわからなくなって視界が消えてしまったことはあっても、暗がりが容を模りかけることは無くて、もうずっと。
胸の奥だか、心臓の裏側だか、わからないけど。硬く萎縮したような恐怖心だとか、そういったものの破片は、出てくることはなかったけれども―――影、それが。自分の身体を重くしたようで、すこしだけ。戻りかけていく、目覚めかけていく瞬間が「こわい」と思った。
翠、思い出して。
最後に見えたもの。
眠っているはずなのに、涙が出てくるかと思った。どこかが締め付けられる。
だけど、それでもいいと思っていたし、いまだって思ってる。おれの眼にするのがもうこの翠だけでも、変わらずに……おれは。
死んでいた感覚が、なにかをゆっくりと知覚していって。
体温……?
流れ込むように、穏やかな。
さ、と。
ほんとうにあるんだ、とどこかぼんやりと思っていた。「冷水を浴びたような」って表現が。
身体もなにもかも追い越して、意識だけが先に目覚めて。ギャップについていききれない。
指先も、まだ動かせないくらい神経は言うことを利かないのに。さら、と。
ゾロの指先が……掬い上げてくのは―――
まだ、アタマのなかに居残って身体の其処ここに纏わりつくような暗い夢の膜は、静かに押しやられてく。代わりに流れ込んでくるのは―――
甘い、低い声が刻む緩やかな旋律で。
―――なんで……?と。
おれの中で何かがぐらついた。
二度と、眼。開けたくないと思いかけたじゃないか、と。もう決めたのに。
おれの知っていたおまえでも、教えてもらえたおまえであっても。
愛してるのに。
「ドウシヨウ、」と思っちまった自分がいて。
変わらずにおれを映してくれる翠は、ただ一人だけのものなのに。迷うことすらないのに。
眼を開けるのがこわい、と。思っちまう。
だけど、もう身体が伝えてくる熱は、確かすぎて。
目覚めていく身体を、意識を誤魔化しきれない。
溶け入るように聴こえてくる歌声にもなれないほど微かなそれは、穏やかになるばかりで。
ゾロ、と。胸の内で呼ぶ。
いままで迎えてきた朝と、いまと。何も変わるところがないと思うのは―――、おれの願いが強いからなのかなぁ?
もう、きっとこの腕の持ち主は、おれの目覚めていることをとっくに知ってる。
ごめん、もう少し。
抱き寄せてて欲しいから。
また、髪を梳きあげられてくのがわかる。
声、もっと穏やかに柔らかくなっていってる、−−−−−−−−だから、なんなんだよ、おまえ、酷いよ。
おまえのこと、見たくなるに決まってるじゃないか、そんな風にされたら。
く、と。
突然、瞼の裏が熱を持って。
愛情と、感情がごちゃ混ぜになった。
「−−−−−−ゾロ、」
音にも成りきれてない、掠れて乾いた声の残骸めいたモノ、おまえの名前を模って。
髪を梳きあげていってた指先が、頬を軽く撫でていって。
ぴく、と身体が反応する。
翠、おれをほんの少しだけ覗きみるみたいに。
視界が、歪んで邪魔される。
勝手に、零れ落ちてった涙は放っておいた、ただ。
瞬きもできないくらいに、おれの好きな翠をみつめるのが精一杯だった。
「ゾロ……?」
腕を上げようと思うのに、うまくいかない。
ほんの少しだけ身じろいで、だけどやっぱり出来ずに。
触れたいのに。
指先、重くて驚いた、だけど。
おれの横に、添うように寝そべってくれているゾロの。肩口に、添わせた。
馬鹿みたいに、名前しか呼べない。
あいしてる、と言いたいのに。それよりも先に想いが溢れるばかりで。
「ゾロ、」
ふ、と。
柔らかな、空気に溶け入っていた旋律がそのままに消えて。
「I love you, baby」
ふわりとした笑みと。囁き。
見詰める。
返せる言葉なんて、無くて。
「な…で、」
声が、途切れかける。
「あんな歌、歌ってた……?」
『Angel eyes』、聞こえていたのは失恋した男の歌、スタンダードナンヴァ。
「オマエが起きなかったら、そういうことだろ?」
「そ、んな可能性、信じてでも……?」
く、と喉で声が詰まる。
かさ、と乾いた音がしそうな喉。
「願ったのは、おれなのに」
見詰める先、ゾロが。苦笑めいたモノを表情に載せる。
それから、唇に、軽いキスが優しく落とされて。
返答は―――イエス・アンド・ノー……?
「じゃあ他の曲でも……?」
翠がちらりと光を乗せて。
耳に馴染んだ旋律がすぐ近くで。
『All the Way』、古い、ラブソング。
相手に向かって、伝えることは一つだけだとでもいうような歌。最後まで、どこまでも貴方を愛する、とストレートに告げる。
柔らかな音階を、唇に指先を添わせて押しとめた。
「ゾロ、」
翠を見詰める。
「いま、抱きしめてくれなかったら。そんな歌はいらない」
自分の浮かべているのはきっと、泣き笑いみたいな顔だってわかってる。
「やっぱり、おれ。おまえだけしか好きじゃないんだ、愛してる」
言葉の途中で。
強い両腕に抱きしめられて。首元、柔らかに口付けられて吐息が漏れてく。
鼓動を感じて、抱き込まれて。
酷く、酷くコウフクだった。
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