カーテンから漏れ入る日差しの強さに、ふつりと目が覚めた。
嵐の後の青空のように、全てがきれいに洗い流されていた―――自分の内側では。
腕の中には柔らかな熱、足元には随分と不貞腐れたようなエリィ。
「Elei, go. Can't leave him now, can I?」
エリィ、行ってこい。今、置いていける状態にないこと、解るだろ?
ふ、とエリィがベッドを降りていき。隣で眠るサンジに視線を移した。
涙の跡はもうどこにも残ってはいなかったけれども。寄りっぱなしの眉根が、雄弁に訴えてくる。

あーあオマエ、オレみたいなオトコに引っ掛かるから。しなくてもいい経験、しちまって。
ガキの言い訳みたいなセリフが頭の中で渦巻いて。
けれど言葉には出さずに、眉間をそうっと指先で撫でた。
間近で聞こえる息遣い、心臓の音。そんなものが、眠りの深さを物語る。
ぴく、と震えた睫に、失くしてしまえたわけがない、と。笑ってしまえるような、溜め息が出るような、そんな気持ちになる。

愛している、ただそれだけのこと。ただそれだけなのに、世界は確実に変わる。
失くしたら、失くせたら―――そう思わないことにしよう。
けれど、ああ。オマエがこのまま眠ったままでいたら……?
夢の中で出会ったモノ、そちらをサンジが選択したら―――?
有り得ない、と解っていても。自分が何をしたか知っているから―――そしてサンジの想いの深さをもう充分に知ったから。
「アイツの方がイイ、とか言われたり……な?」
昔の自分がライバルかよ。
笑い出しそうな気分で思う―――そういえば、コイツは“悪い”のがスキだったよな、と。
「あんな場所で、オマエにキスしといてな?」
寧ろ、アレは昔に近い自分だったからこそ出来たこと……かもしれない。

むずかる子供のように、どうやら悪夢に魘されているらしいサンジが、苦しそうに眉根を更に寄せるのを見詰める。
揺すって起こすのは簡単だけれど、それでは目覚めが悪い。
オマエにちゃんと、愛してる、って言いたいし。
ふわ、と。旋律が響いた気がした、どこからともなく。
「“―――Try to think that love's not around、Still it's uncomfortably near”」
頭の中でピアノが響く。
「“My poor old heart ain't gaining any ground、Because my angel eyes ain't here”」
くく、と笑い出しそうになりながら、歌詞をそっと舌先に乗せる。
フラれ男のスタンダードナンヴァ。好きなコを仲間に紹介しようとしてたのに、そのコは現れずに―――。
「“―――So drink up all of you people、Order anything you see」
そして存分に楽しんでいってくれ、飲み代も笑いも、オレが被るから―――。
指先でサンジの金色の髪を梳きながら、頭でエコーするピアノの旋律に乗せて、何度も歌詞をなぞる。
「“Pardon me but I got to run、The fact's uncommonly clear、I got to find who's now the number one―――”」
And why my angel eyes ain't here―――どうしてオレの“エンジェル・アイズ”がここにいないのかを……。
天使の目の持ち主は聡い。馬鹿な男だから見放されたンだろ―――?
笑いが込み上げる、オレがフラれたなら笑うしかないよな、と。
それでも、音と旋律の柔らかさにサンジの眉間から皺が消えていくのを見詰める。
ほら、反論したいなら早く起きろヨ。
頭の中でからかう―――早く愛してるって言わせろよ。

不安そうだったり、泣きそうだったり。何度も表情を変えるサンジを飽くことなく見詰める。
そんな表情ばかりを拾い上げていても、愛しさばかりが募るのがどこかくすぐったい。
早く目を開けて、こっちに戻って来いよ―――“そこ”にある“悪い”ことを全部、取り除いてやるから。
And let me see your Angel Eyes―――オレに“エンジェル・アイズ”を見せてくれよ。
ふ、とサンジの瞼が動き。
起きることを逡巡しているのが解る。縁からは涙が零れ落ちそうで。
―――馬鹿みたいに嬉しい自分が居る。
愛しい、って言葉の意味が、オマエの目に映ることの喜びと同じになる。
“悪い男”―――まったくその通りだよ。
どちらに転ぶか検討のつきかねている恋人を、楽しんで見詰めている、なんてな?

掠れた声に名前を呼ばれて。
ゆっくりと、肩に指先で触れられて。
フラれ男の歌を止めた―――オレの傍にお帰り、サンジ。
潤んだ蒼が、目の前でゆっくりと現れて―――。
愛しているよ、と。ずっと渦巻いている言葉を音にする。
一音が無限の意味を含み、深みを増してたったそれだけの言葉に還元される。
ほろり、と涙を目の縁から落っことしたサンジが。
選曲の理由を聞いてきた―――アリエナイ可能性ではあっても。“向こう側”に居続けることを選択した場合を考慮したんだ、というようなことを簡単に噛み砕いて告げれば。
更に掠れた声で、そんなことが有りえるのかどうか信じていたのか、なんて聞き返された。
ンなわけ無いだろーが。

わずかに拗ねたような口調が可愛らしくて、愛しくて。勝手に苦笑が漏れる―――オレは信用が無ェな?
願ったのはおれなのに、なんて言っている可愛い子の口は噤んじまうことにしよう―――軽いキスで宥めることにする。
あーあ、それでも足りないって?
じゃあ本音を含んだほうにしようか―――見詰めてくるサンジの前髪をまた指先で梳きながら、甘いトーンに乗せて言葉を音にする。

『誰かが君を愛する時、どこまでも愛することができなければ意味が無い。
傍にいるだけでもいい、君が落ち込んで、励ましてもらいたいと願っている時にとか。
どんなに高い木よりも高く、それくらいに思えなければ意味が無い。
どんなに深い海よりも深く、それくらい深く思えなければ―――それが本物ならね。
誰かが君を必要としている時、それはどこまでも、でなければ意味がない。
いい年も、悪い年も、その間の様々な年も―――どんなことがあろうとも。
この先どうなるかなんて誰もわからない、それを言うのは馬鹿なヤツだけさ。
だけど君が僕に愛させてくれたら、きっとその愛はどこまでも続くよ、どこまでも』

最後のリフレインに入る前に、辛うじて腕を持ち上げたサンジが。
その細く僅かに冷えた指先を唇に添わせて、言葉を押しとめた―――天上の蒼は逸らされないままで。
そして、泣きながら笑っているような顔をして、サンジが“願い”を口にした。
愛してる、と。音にしなくてももう伝わる。
それでも抱きしめながら、細い首筋に口付けを落した。ただそうせずにはいられないから。
耳は確かに、サンジが愛を告げてくるのを捕らえていたけれど。
漸く安堵したような、柔らかで甘い吐息が耳元で零された。

踊り出したいような気分で、“この世の幸福”ってヤツを味わう。
―――もうどんなことがあっても。昔の自分になんか戻れるわけがない。
人生においてもっとも大切な三つのこと―――愛すること、愛されること、愛し合うこと、その全てをちゃんと味わっちまってンだから。
柔らかな温もりを両腕で抱きしめながら思う―――I will love you, all the way.




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