低い柔らかい声が、すう、っと細胞に溶けてくかと思った。柔らかく抱きしめられて少しだけ眼を閉ざした。
そうしたなら、もっと確かに。溶け込んでく感覚を追い掛けられる気がしたから。
残念なのは、思い切り抱きしめ返せないことだ。
錆びたんじゃなくて、なにもかもがとても重い。
いまも、いっかい眼を閉じたら、もう一度開けるのが億劫になるくらいで。
地面に繋ぎとめられる力が、おれのまわりだけ余計にかかってるみたいに、身体の内側から鈍い重みがある。
「ゾロ、」
かさかさの声で、溜息混じりに呼ぶ。
抱きしめてきてくれてた腕が、する、と緩められるのと。
ちょうど重なった。
「−−−−ん……?」
いつもの寝起きの倍以上の努力で、眼をあける。
そうしたなら。
顔を覗き込んでいたゾロがいた。
「メシか飲み物、いるだろ?」
優しい口調で問いかけられる。間近にある翠はどこか少しだけ笑ってるみたいな色味が溶け込んでて。
「……それ、エリィに似てる、」
眼、と付け足した。
「そうか?」
あのこも、たまにそういう顔しておれのこと窓辺からみてるんだ、と。
笑いを隠し切れない声で言ってきたゾロに返す。
「なぁ、ゾロ、」
顔を預ける、ゾロに。
「ん?」
声が降りてくる、柔らかな眼差しと一緒に。
「いらないよぅ、」
ほんと、いまは。
「ほんというとね、アタマ痛いんだ」
「頭痛薬は?」
ぼう、とするし。真ん中あたりがずきずき、じゃなくて鈍く痛い。
症状を訴えれば、ゾロが。
「泣かせすぎたか、」
どこか笑うような声が、耳元落とされて。
軽く、耳元に声を落とすついでに犬歯、だと思う、それが皮膚を掠めていくから、息を詰める。
「指も上がらないかもしれない、」
声が揺れかける。
だけどどうにか言い終えて。
「ぼうーっとする、」
はぁ、と。ゾロの肩口に息を零せば。
「食わせてやるから、何か口に入れて薬飲め」
柔らかな声が聞こえる。
「ゾロ、」
肩口に、額を押し当てて。
あぁ、髪触って欲しいかもしれない、と思ったなら。
掌が、さらさらと滑らされて。また、長く息をついた。
声が、甘ったれているのもわかる。
少し、唇で触れて。言葉をどうにか形にする。
「−−−−違うヒト、」
すこしだけ顔をずらして、ゾロの顔を見えるようにする。
「Your darlin'」
あっさり。
オマエの恋人、と告げられる。
違うヒト、と言ったけれど。
おまえに言ったらまた呆れられるのかもしれないけどさ……?
"おまえ"がどんなペルソナでおれの前に現れても、絶対、愛せることだけはおれ確信してるんだぞ。片思いだろうが、どんなカタチだろうが。
残念デシタ、だ。
「眼が覚めて、あのままの"おまえ"がおれのことを視てても、」
じ、と。翠を見詰める。
「逃げ出してなんかやらないんだからな」
あぁ、でも。
こんな腫れてるだろう眼だとか、かっさかさの声や、熱でぼうっとした顔して言っても、説得力ないかなぁ―――
「知ってる」
さら、と。
水泡が弾けるみたいに。
ゾロが口にした言葉がおれのまわりでシャンパンバブルスみたいに、しゅわ、と消えてく。あぁ、これ。熱でアタマが惚けてる、おれ。
悪気なんてゼロの、自信家の声。それはおれが多分無条件に好きなゾロの口調のベスト・スリーに入ってるくらいで。
ひゃあ、と。アタマのなかで大喜びした。
「ばーか、」
嬉しいなあ。
「へえ?」
にっこり、と。大層ジェントルな笑みを浮かべてゾロが言う。
「騙されないぞ、」
ふにゃふにゃな顔になってるのを自覚する。
「騙す?誰が誰を?」
「聞こえてないか、心配だったんだからな、それでも良かったけど」
"おまえ"の翠は。とても綺麗でだけど同じくらい危うい、哀しいくらい冴えた色をしてたから。
「ちゃんと聴こえてる」
「−−−うん、すごく嬉しい」
首元、ゾロの。顔を埋める。
そうか、と。とても穏やかな声だ。おまえから直に響いてくる。
嬉しい、と。ココロから思う。おまえにとって、おれも何かになれてるってことだろ?それって。少しでも。
耳元に口付けられて。思ったままのことを口にしたなら。
正気じゃすこしどころか照れて言えないくらいの、あまったれた口調になってた。
「おれは、おまえの何かになれてますか。それとも、もう半年くらい分食べ飽きちまった……?」
あぁ、1年分くらいかなぁ……?
ふ、と落ちた沈黙に。
「あ、いちねん、とか?」
言い足したなら。
かぷ、と。首筋に噛み付かれて。神経がすぐに波立つ。
声に出せずに、唇だけが動いて。
「どうやって食べ飽きるって言うんだ?」
やっぱり、おれのバカさ加減に呆れるような、笑ってるような声が聞こえて。
「You're my love for life,」
一生愛してるって言ったろ、と返された。
――――――ロマンティストなピアノ弾き。アサシン。何よりも大事な、おれの生きてる理由の全部が、おまえで。その腕に抱きしめられていることが祝福なんだ、って。ばらすのは止しとく。
だってどうせ、おまえもう、「知ってる」んだろ?
だから。
「ゾロ、なぁ、なぁってば」
鎖骨のあたり、齧る。
んー?と。やっぱり笑いの欠片込みで返ってきて。
「身体、重い」
わがままを一つ。
「そ?」
横にずれるけど、ソレは嫌だ。
「ヤダ、それ」
「なに、オマエ、乗っかりたいの?」
「そうだ、って言ったらしてくれますか」
だって、だるいんだぞ、と付け足す。
「いいけど、オマエ頭痛は?」
「痛い、だるい、重い、喉がひりひりする、あとーーーー」
言い募れば、頬を指先で突付かれて。
「果物でも食べて、喉と腹を潤して。薬、飲め?」
「やだ、」
ぎゅ、と眼を閉じる。だけど、翠が笑ってるのは見えた。
「そ?」
「そう、あと……なんだか意識すると心臓に悪い、って思うけど、」
なにか、言ってこようとしてるゾロの気配はわかるんだけど。
とてもピンポイントにあちこち、いたい、と。惚けた声が言ってる、おれの声だけど。
「さっさと治ったら、また喰っちまおうとか思ってたのにナ、」
と小さな声で言われたけど。
「薬じゃ、治らない」
頬の辺りが熱いね。これは微熱のせいだけじゃない。
「ずっと抱いてろって?」
声が笑みを乗せてる。
「イエス、プリーズ……?」
唇で触れる。ピアスのある方に。あん、と食む。
あ、と思った。
落とした視線の先、引っかき傷……、だね。−−−−ごめん。
項のトコ、おれもさっきから鈍く痛いんだけど。あと……ほかの場所も。これは―――Sweet painってヤツだから。いいんだけど。嬉しいし。だけど、引っかいて、ごめんな……?
もういちどキスしようとしたなら、する、と抱き寄せられて。
ゾロのことを、上から見下ろしてた。
身体が動いたときに、身体が痛重かったけど、すぐに四散してく。
背中にまわされた腕が優しい。
冷えた四肢の先から、ゆっくりと温かさが流れ込んできて、知らずと溜息が零れる。
背中から、項まで撫で上げられて。
名前を呟いた。
「ゾロ、」
返事は。
柔らかい声で貰った。
「愛してるよ、ベイビィ」
「ベイビィじゃないよ」
「サンジ、」
言い直してくれた。
「うん、ありがとう」
くた、と。
そのまま体重を全部預けてみた。
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