軽口の応酬を楽しんでいた、明るい青い天上の下で。
柔らかな甘い潮風は心地よく、陽射しは少しきつく。
とろ、と節が溶けたような口調のサンジを抱えたまま、太陽に少しだけ焼かれてみた。
ちり、と小さな痛みが走るような熱はドライで。からっとした気分を少しだけ押し遣る。
目を瞑って、陽光の残像のように一瞬襲ってきたメランコリィを振り切れば。
すぅ、と腕の中で、サンジが乾いた寝息を静かに立てていた。
“力尽きた”ように。
包んだブランケットごと、サンジをそっと抱えなおして。ゆっくりと額を合わせてみる。
ほわ、と火照った肌。目元まで僅かに赤い。
それでも触れれば、手足はひんやりとしているのだろう。
「―――馬鹿だなあ、オマエ」
薬を飲めば、収まっただろう症状なのに。
「そんなところまで“受け止め”なくたっていいのにナ」
目尻にそうっと口付けてから、太陽から隠れた。
ベッドルームに戻り、一瞬考え。
ケミカルではない薬を渡すことに決める。

腕の中で身じろいだサンジを抱き直し、バーが備え付けられたラウンジに向かい。
真っ白の柔らかな、モダンデザインの大きなレザーソファの上にサンジをそうっと下ろす。
クッションで位置を整えてやり。
額にそうっと口付けてから、傍にあったピアノの蓋を開けた。
とーん、と一音だけを響かせれば。離されたことが不満だったのか、眉根を寄せていたサンジのそれがそうっと和らいだ。
くす、と勝手に笑いが零れる。
そのまま片手で、鍵盤をアルペジオで上り。
音に狂いが無いことに満足して、そうっと椅子を引いた。
グランドピアノの蓋を少し開けて、音を広がるようにさせて。
軽くなんでもない旋律を、指慣らしの代わりにして軽いウォームアップ。
そこから、朝方に歌っていた曲―――All the wayをピアノだけに歌わせ。
サンジがどこか幸せそうに表情を緩めたのを見遣ってから、Bless You, Little Sleepyheadを呟くように歌った。

指が滑らかに動くのを確認してから、一度バーに備え付けてあったラムを取るのにピアノから離れ。
度数の高いロンリコを見つけ出して、勝手に口端が笑った。
備え付けの冷凍庫から、ボールアイスが出来上がっているのを見つけて、メランコリィが完全に吹っ切れて。
ボトルから透明の液体を注いでから、グラス共々ピアノまで持ち帰る。
クッションに顔を埋め、手足を寒そうに引き寄せていたサンジを一瞬見詰めてから、鍵盤に目線を戻す。
黒と白のコントラストと、エナメルが弾く陽光の強さに目を細めてから、一つ息を吐いて音を送り出す。
I Married An Angel、 My One and Only Love、
You're My Everything、Night and Day、
One For My Baby、 Because You're Mine、
When I Fall In Love、 それからUnforgettableへと繋げる。
片手で音と戯れながらラムを喉に滑らせ。
柔らかな風が部屋を通り抜けていくのを感じながら、どこか寂しそうだったサンジが安心したように表情を和らげていたのに目を細める。
片腕がブランケットの中から出ているのに気付き、小さく笑い。

それからそう遠くはないのに遥か昔のように思える記憶の中から音を選び出す。
Stardust、 Didn't We、 それから、All or Nothing At All―――昔、弾いて聞かせた曲。
ぴく、とサンジの指が跳ねたのに、また小さく笑って。
トーンをまた変えて、アップテンポにAll of Meを弾く。
“ワタシの全てを奪ってって”―――エラのスモーキィな声をなぞる様に、からかうように歌う。
それから、IOnly Have Eyes For You、“オマエしか見えない”。
I've Got You Under My Skin、 ―――離さないんじゃなくて、もう離せないってな?
そしてTime After Time―――
“Time after time、 I tell myself that I'm、 So lucky to be loving you"
―――何度も何度も自分に言い聞かせる、オマエを愛せてることはなんて幸せなことなんだろう。

テンポを変えて。トーンを軽くして。
“Come Fly With Me"―――“一緒に行こう”。
笑い出しそうになるのと同時に泣きそうな気持ちに何故かなる。
最後のリフレインは、スローテンポで。静かに消えるように音を落して。
"Come fly with me, Let's fly, let's fly away―――”
マイナにチェンジして、メジャに戻して、音を消して。
ピアノの優しい音が、暖かな空間に消えていくのを、耳を澄ませて最後まで聞き取った。
黒いエナメルの上で、グラスの淵を水滴が滑り。
からん、と涼やかな音が溶けた。

もぞ、と動いたサンジを見遣ると。
隠れるようにブランケットに潜っているのを見つけた。きらきらと金色が、白い革に散っている。
―――甘えん坊で寂しがり屋なんだよな、と。するりとそんな言葉が頭に浮んだ。
優しくて、少しだけ意地が悪くて。強気な時もあるクセに、いつでも―――
いつでも許してくれるような、そんな人だから。
「―――」
小さく、呟いて。それから、鍵盤に視線を落した。
ぽーん、と音を広げて。
歌いだすのはEbb Tide―――“オマエの腕の中にいると、酷く安心するんだ”。
そして、I Love You。
“I love you―I love you、Is all ― that I can say
I love ― I love you、The same old words ― I'm saying in the same old way”
口端が、勝手に笑みを刻んでいる。
“I love you ― I love you、Three words ― that are devine
And now, my dear ― I'm waiting to hear、The words ― that'll make you mine”
音を柔らかく染み込ませ。そうっとピアノから離れる。

ブランケットを被ったままのサンジの傍まで行ってそうっとソファの縁に腰を下ろし。
手を伸ばす―――泣いた跡があるのに、また勝手に笑みが漏れる。
「愛してるってそれだけ信じてろよ、サンジ」
驚くほど穏かに、愛情だけがここにあるから。
「全部オマエにやるって、何度でも誓うから」
頬を指先で撫でてから、髪をそうっと梳く。
柔らかな金の睫が僅かに揺れて、角度を変えた影が頬に落ちるのを見詰めた。
きれいだな、と。ただそれだけを思い。
ブランケットを握り締めていた指が、ひくんと動き。強張っていたような風情が溶けていくのを見詰めた。
そうっとサンジの手を捕まえ、その細い指を握り締め。
ゆっくりと起こさないようにそれを引き上げ、爪先に口付けた。
「I love you」
―――ああ、ほんとうに。たったそれだけの言葉しか、思い浮かばないもんだよな。




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