小エビの乗ったグリーンサラダ、プロシュートとリコッタチーズのパスタ、グリーンアスパラガスの冷製スープに、焼き立てのパンが3種類。
たっぷりとローズマリィの乗った若鶏のローストと、目にも鮮やかな季節の野菜のグリル。濃い珈琲と、柘榴の実を使ったゼリィ。
それらをサンジがぽつぽつと昔話をするのを聞きながら、平らげていった。
先ほど見た「スケーター共」、バカな西海岸のガキども、太陽と波とバンク。
番組にゲストとして招かれていたロックグループの一員、そいつからの告白と即失恋。
赤い髪の保護者とカノジョ―――海風と陽光に彩られたサンジの思い出のカケラ。
傲慢なほどの素直さで享受されていた“ファン・タイム”、ガールフレンズとの“スウィート・メモリーズ”。
眩しすぎる太陽の中にある黒点のような空ろ、スケーター共の引退と訪れた“静寂”。
言葉にされたものと、その後ろに隠されたもの。キラキラと輝くガラスに閉じ込められた砂時計のように表裏一体の“記憶”。
ディナーよりよほどそれらの方が“美味かった”。
自分とは縁遠い“西海岸でのガキの生活”。
父親からテクニックをひたすら盗み、母親に常識を教えてもらう日々―――それらに悔いがあるわけがない、けれども。
もし、昔に出会えていたら―――自分は、変わっていただろうか?
『だけどね?おれはやっぱりいつも。どこか、寂しかったよ。その頃はなぜかわからなかったけど、おまえに出会えてなかったからなんだね―――』
―――おまえに逢えていたら。
IF、はこの世に存在しないけれども。
『おれは、もし。違う場所で、あそこで、アイツらと一緒じゃないところで生まれていたとしても。そして、どんなおまえに逢えていたとしても。
すぐに見つけて恋に落ちてるんだろう。迷惑かけてない、っていう保障はきっとないけどさ?あぁ、振られないって保証もきっとないね?だけどさ。そんなことすっ飛ばして。―――きっとね、確信してる。』
だから。
『見つけてくれて。逢えて、ウレシイ』
“もしも”は無い、もしもがあったら、今の自分はここにはきっと無い。
あの日、家族を失くすことも。あの後、やさしい野良猫を愛することも。オマエを、愛することも、きっと。
別の意味、別の人生、別の時間軸、IFは全てを揺るがす。
けれど、それは夢で。
There is no IF but just IS.“もしも”は無く、ただ今“在る”だけ。
―――今の自分があの場所に在ったならば。確実にオマエを愛して、生きていただろう。
『―――ありがとう、』
両腕で抱き締めた―――IFは無くとも、気持ちは在るのだから。
そうっと添わされた身体に頬を寄せた―――柔らかな心ごと、受け止めて。
IF―――もし、昔のオレにオマエが出会えていたとしたら。
当時、オマエは14−5くらいか?オレは22−3で。寂しがりやのコドモと、マフィアの殺し屋。
まだ家族を失くす前で、オレには“世界”が見えていなかった。
“仕事”が日常の日々。硝煙と珈琲と血と暗闇。
オンナと酒と両親とファミリア。
きっと、オマエはオレの中に欠片も残ることが無かっただろう―――ガラス越し、遠い世界のコドモだったのだから。
追いかけてきても縋ってきても、切り離しただろう。
海風と太陽を纏った子供を、シカゴの寒風と雪雲を背負った未熟者がどうして向き合うことができる?
だから。
優しいオマエの想いを、そのまま受け止める―――愛してくれて、アリガトウ。
想ってくれて、アリガトウ。
オレには“IF”なんてことは絶対に言えないけれど―――今は、今のオマエを精一杯愛している。
これからも、オマエと共に在ると誓う。
寂しがりやの月のコドモ、オマエを隠してしまえるくらいの闇を、オレは持っているから。
暗闇は一転、安寧でもあるという―――オマエを充たすことができるのなら。
柔らかな金の髪を梳いて、額に口付けた。
『オレも、オマエに出会えて嬉しいよ』
ふわ、と微笑んだサンジの瞼の上にも唇を押し当てる。
『太陽からオマエを隠すことに他ならないとしても―――オマエを愛しているよ』
今は、もう。
―――オマエだけを。
柔らかな愛情が、窓から侵入してきた闇と同じように空間を充たした。
ふわふわと語るサンジからは、月明かりのような仄明るい愛情がキラキラと飛ばされていた。
気分がいいな、全く。
くるくると表情を変えるサンジが、どこか甘ったるい雰囲気を纏ったままだからなのか。
自分では成しえなかったような“伝説”を築いた連中のことを、サンジの記憶ごと受け止めた。
トリプル・ターンを決めた男、あれが間違いなく“イカレ・ロックスタ”。
傲慢なガキは太陽のコドモ、ちらりと浮かべた笑みに滲んだプライド。
その容赦ない熱情と光で―――オレの大切な、オレたちの大切な野良猫を愛してくれているのだろう。
落ちる翳さえ払拭し。
零れた涙を乾かしきり。
眩さに晦まし、抱き留めて、包み込んで。
そして、アイツは。
海原より深い愛情で以って、注がれた想いを受け止め、より強く還して、愛して。
―――やっぱり、IFは無い。
『神を信じないから、人生ってヤツが決められた運命のもとにあるとは思わないが。人生は選択の連続で、その向こうに結果が繋がっているのだから。なるようにしか、ならない、何事も。』
その昔、アイツに言った言葉。
アイツを愛したから、今のオレが在る。
オマエを、在りのままの姿で愛することのできるオレが。
湧き水のような愛情が、満ちてくる。
―――オマエを、愛することができてよかった、サンジ。
食事を終え。
しばらくサンジが寄越してくれる思い出の欠片と想いに浸った後。
いまからどうする?そうサンジが訊いてきた。
Los Angeles、天使の街。夜ならば―――オレでも紛れることができるだろうか。
首を傾けた拍子に、サラサラと髪を鳴らしたサンジの頬を指先で撫でた。
「―――オマエの羽根を伸ばしに行こう」
うっとりとした光を乗せた蒼に笑いかけた。
「まだちょっとだるい、」
僅かに照れたままの声に、小さく笑う。
「車で行くから平気だろ―――もう少し、オレに見せてくれ。オマエのホームタウン」
オマエが育った場所だから。
「あ……と、―――あのな…?」
柔らかい声に、言い募るけど、頬が熱いままだ。
翠が、やさしい色合いをずっと湛えたままであわせられる。
「ぇえと、」
実は、ちょっと―――座ったままで長い間いた、っていうのが。ちょっとネックで。
背中から、ずっと。なんか……ウン。
重い、っていうか、だるいのと重いのが入り混じってて。……あんまり、動きたい気分じゃまだ無くて。
だけど、外に行きたくないのか、っていわれれば。
自由になるなら、それは。
好きだった風景とか見てほしいけど。
けど――――――ちょっと、すぐに、っていうのは。……無理、かも。
おれが言葉を探す間も、ずっと見詰められてて。
「え、と、じつは……」
消え入りそうな声だった、我ながら。
翠が、すうとまた僅かに細められただけで。眼差しは逸らされない。
腕を持ち上げて、胸元あたりを遮って。
「ここから、上は平気なんだけど。え、と……」
明らかに、途方に暮れた顔をしてたのかもしれない、おれが。
マッサージでもしようか?って言ってきてくれたけど、慌てて首を横に振った。
「もう少し、休んでれば平気だと思う、」
だから、おまえは。本でも読んでて?と。
言い足して、椅子から立とうとしたんだけど。
――――――なんか、身体の芯が。みしっていったかも……。
うー。
オーケイ、その間なにしていようか?って訊いてきたゾロに返事しながらだったんだけど。
たしかに、座ってたと思うのにゾロがいつの間にかサイドで支えてくれるようにしてて。
「へーき、」
少しだけ、笑みを乗せた。
「無理はするなよ、」
言葉と一緒に、また髪に唇が降りてきた。
「むこうで、ちょっと休んでる」
マスタベッドルーム、ドアが開けられたままの方を指差した。
うーん……ごめんね?おれもうすこし体力あったと思うんだけど。
へにゃったれた顔だろうけど、一応笑いかけて。歩いていこうとした。
後ろから伸ばされた腕に抱き上げられて、あっさり。驚いた。
「だいじょうぶだって、」
引き寄せられて、言う。
優しい笑みが刻まれて。なんだったら映画でも一緒に見てるか?とゾロが訊いて来てくれたけど。
へいき、と応えた。
それにね、歩けるってば、と。
「おーろーせー、」
声が笑ってるなあ、おれ。
ゾロはやっぱり低く笑って。軽くキスを落とされてる間に、もうベッドルームだった。
「歩くのに」
ベッドに降ろされながら見上げた。
「ここまでこられたら、返したくなくなるじゃないか」
くう、と笑みの容に引き上げられた唇、近づくのをギリギリまで目で追って。
トン、と触れてきたときに目を閉じた。
「また後でな、ベイビィ、」
「ベイビィじゃないよ」
目を閉じたままで言い返す。
側にくっついてるのも好きだけど、おまえが少し離れたところにいるのを感じてるのも好きなんだ。
空気がさらりと動いた。
手でも振ったのかな。
静かに出て行くのを感じる。
ベッドに潜り込んでみた。
長く緩く息を吐いて、目を開けないでいた。
とろとろ、と。意識が揺らいでく。
さっき、飲んでたタブレットが効いてきたのかもしれない。
ダイニング、の方で。ゾロの動いてる気配が届いてくる。
とっと、と。軽い足音が聞こえて。
――――――んん?
とさん、と急に顔の横にあったかいものが飛び込んできた。
エリィ・ベイビィ、ひさしぶりだねえ。
ざらぁ、と。頬を舐められてクスグッタクテわらう。
柔らかなブランケットの中に顔を潜らせたら、いっしょになって着いて来て。
喉を鳴らす音が一際大きく聞こえる。
あぁ、こら……それ、よけい眠くなるって―――
ふわふわの毛皮が顔にあたって。温かい。
ぺったり、額を押し当てられて。
長く伸ばされた背中に、掌を少し当てて。
また息を一つ吐いた。
ずっと、おれが。ぺったりくっついてたから、ゾロも身体のメンテナンス、きっとしたいだろうな、って思ったから。
大層な努力で、映画のお誘いを断ったの、このコは知ってるはずないんだけど。
来てくれてありがとうね。
一人じゃとっくに、おれ眠れないんだよね……
あとで、どこにいこうかなぁ、
く、と。
身体ごと引っ張られるみたいに。
意識が落っこちていくのがわかった。
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