エレベータに乗り、モダンな絵画のようなラウンジを抜けて。
明るい照明に照らし出された、きらめきを弾くプール。そのサイドを抜けて、ウッドの統一感が印象的な空間に向かう。
白くペイントされた壁に茶色の椅子が、どこか客船のウッドデッキを彷彿させる。
視線を奥へと巡らせれば、縁から見える“天使の街”の夜景。キラキラと煌めく人工の光が、どこか宝石のようにも見える。
天井にはわずかな数の星。夜が明るすぎて、天然の光は地上まで届かない。
さら、と。肌蹴た胸を撫でていくような夜風が気持ちがいい。
サンジと軽く視線を合わせる―――ああ。“イイ場所”だな。
にぃ、と口端を引き上げてから、ウッドデッキの上を歩く。僅かに軋む木の音が、妙に懐かしい。
奥、一角。
なぜか低いソファが置いてあった、真っ白い布製の。足元には麻色のクッション、茶色の低いウッドテーブルの上にはキャンドルライト。
す、と一人の男性が出てきて、静かにその場所へと誘導していく。
なぜかその口許には笑み―――ああ、コイツもサンジの“知り合い”だな?
ソファ、辿り着いて。サンジが気兼ねなくソイツと話せる様に、先に腰を掛ける。
「ありがと、」
サンジが柔らかな声で言えば、おかえり、と笑みと共に言葉が返される。
ビンゴ、随分と顔が広いな、ベイビィ?

する、とサンジが隣に腰掛けてきた。柔らかくスプリングが鳴る―――いくつかの視線が集まっていたのが散っていく。
そうか、こういう場所を設けるのは、あまり無いことなんだな…?
「シャルトリューズ?ヴィンテージで、」
男が静かに訊いてきた。その口許には消えない笑み。
サンジがウン、と頷き。ふんわりと微笑んだ。
す、と男がこちらにも視線を向けてきた。ちらりとサンジを見遣れば。
「キィ、後で預ける、ジュリアンに」
そう言ってきた。―――オオケイ、遊びに付き合うって言ったのはオレだしな。
「同じもので構わない。ボトルが終わる頃にロイヤル・ハウスホールドをストレートで」
「かしこましました」
「あ、」
静かに頷いた男が、サンジの声にまた視線を戻していた。
「枝つきの、」
「ドライフルーツ」
男がサンジの言葉を引き取り。にこ、と笑った。
「パーフェクト」
相当ココは好きな場所だったらしいな、サンジ?
酷く嬉しそうな顔で笑ったコイビトの浮かべる、純粋に“嬉しい”という表情に笑みを浮かべる。
よかったな、まだ巣が巣のまま、オマエのために在って。

静かにジャズが流れる中、他人の視線は散っていく。
場所柄なのか、ライティングのせいなのか。好奇心は、どんな人間がスペシャル・コーナを埋めたかを見届けたら充たされたらしい。名残惜しそうないくつかの視線のほかは全て……

―――いや。
フタツばかり、妙なのがある。す、とそちら側、カウンタに一番近い席に視線を向ければ。
年齢不詳のアジアンの青年と、多分同い年か、もしかしたら少し年上かもしれないガタイのいい男の二人組みが居た。
アジアンのほうは白いトップスに黒のジャケット、紫の薄いストライプの入ったボトムスを着ていて。こちらの方が寄越してくる視線が異様だ、妙に値踏みしてくるようなものと熱に浮かされたようなのが交じっていた。
反対にデカい男の方は、多分ヘルムート・ラングの黒いボトムスに白のラウンドネックのトップス、それと白のジャケット。どっしりと構えた風貌は、多分ロコのもので。
けれど、コイツが持つ視線は、深淵を覗き込み、計算し、評価していくような、ドライなものだ。
カップルには見えないが……?
軽く目を細めてそちらを値踏みするように見据えれば、大きな手が伸びて、アジアンの頭をぐい、とそちらに引き寄せていった。
「アホウ、じっと見てるンじゃねェよ!」
「だぁって!あれは“ドウゾミテクダサイ”って服だろうが!」
「時と場合と中身に拠るだろうが!」
「シラナイヨ、そんなの!ハンサムな顔にめっちゃナイスバディ、それにドルガバの服じゃんッ」
「阿呆、なにブランドまで言い当ててンだよッ」
―――声は届かずとも、何を言ってるのかが解るっていうのもなァ…。
すい、と。サンジが夜景の方を見ていた視線を、凸凹二人組みに向けた。
途端―――。

「……ちょ、あんどりゅ。あれ、なに?」
「は?人間」
「ヤ。それは解ってるってバ」
「男?」
「ヤ。それも解ってるし」
「超絶ビジンなオトコノコと、めっちゃヤバそうなニーチャンのカップル」
じぃい、と。サンジが見詰める先で。
僅かにデカい男が目を細めていた―――ふン?
「や、それも解っ―――ヤバイッ」
が、と。小さな黒頭がテーブルの上に伏せた。
「まじまじと見詰めちゃった、どうしよう。喧嘩とか売る気はぜんぜんないんだけどッ」
「―――ド阿呆、トキ、オマエなぁ、」
ゴツ、と。アンドリュウと呼ばれていた男が、トキという男に拳骨を落していた。んぎゃ、と。尻尾を踏まれた猫のような小さな叫びが一瞬上がった。

すい、とサンジが首を傾けた―――さらさら、と音が鳴って。髪が静かに風に乗る。
「ああ、サンジ。気にするな、ヘンな視線が気になっただけだ」
二人を視界の端に残したまま、視線をサンジに戻す。とろん、と天上の蒼が和らぎ、サンジが目元で微笑む。
「視線?」
「あァ」
柔らかい声に静かに返す。
「二人揃ってセクシャルな意味合いはゼロのクセに。一人はやけに熱心に、もう一人はドライにこっち見てやがる」
す、と手が伸ばされた。そのまま、さら、と頬を包まれる――― 一瞬。
ぎゃあ、と言いかけて。トキが両手で口を塞いで固まった。アンドリュウは、バッカオマエ、と声を荒げ掛けて、溜め息に変えていた。
サンジが目の前で、僅かに擽ったそうに喉奥で笑う。
「職業病、ってヤツかもねェ…?」
甘い声が、静かに耳に届く。
「―――あーナルホド、」

職業病、な。どこか一本線が多いのか足りないのか解らないが、小型犬みたいな賑やかなトキは、多分クリエイタ系なのだろう。服飾の―――雑誌のエディタでなければ。
対して胆の据わったアンドリュウは、既に風格がある。視線が厳しいから、ディレクタか―――ああ、あの計算している視線、もしかしたらカメラマンとかかもな。
名残惜しそうに手が僅かに浮かべられ。サンジがまた視線をアンドリュウとトキに寄越していた。
じ、と見詰め返すように視線を戻したトキが、ばしばし、とテーブルを叩いていた。……なんだ?
オーマイガ、と。アンドリュウが頭を抱えた。
「今からか?今来たのか、イカレバカクチュリエ!」
「いいから早く紙寄越せ、紙!ペン!!なんでもいいから、早く早くッ」
「てめェ一遍死んで来い、ド阿呆ッ」
「これ終わったら死んであげてもい―――あ、ダメじゃん。セト氏とまた会うんだし」
一瞬正気に戻ったらしい“イカレバカクチュリエ”トキが自分のバッグの中からスケッチブックを取り出していた。
……セト…?
す、と。他人の気配に視線を上げれば。先ほどオーダをとりにきていた男が、戻ってきていた。
サンジは小さく横で呟いている―――なんか。どっかでみたことあるなあ。
静かに、見事なカットの入ったグラスが差し出された。からん、と小さな氷がグラスに当たる音が追加される。それから、シャルトリューズ・ヴェールのボトル。
鮮やかなグリーンの薬草入りブランデーが、静かにグラスに注がれていく。
す、と視線が合ったついでに訊いてみることにした。
「知ってるならバラしていい範囲で教えてもらいたい―――あのカウンタの角に居る黒茶コンビは誰だ?」



記憶が、少し揺れる。
たしかに、どこかで見かけた印象がある。あの、デカイ方の人間。
どこでだっけ……ううん……たしか、そのときはビビもいたし、アナ・マリーもいたから。誰かのパーティだったと、どこかのメゾンの。
『こんどね、私。あのヒトに撮ってもらうの』
それで引退なんてラッキー、と。ビビがわらって―――あ。フォトグラファ、だ。ああ、思い出した。マッキンリィ。
写真は、実はあまり興味がないから。おれ、専攻もどちらかっていうとモダンアートっていうよりは中世モノが好きだったし。あぁ、本人も撮る写真の通りのイメージなんだな、と。姿を見かけてそう思っただけだった。
『ヤツのモノは腐らねェよ、一枚ドウゾ』
そう言ってたしか、あのヒトもハリィに薦めてたっけ。個展とか、たしかハリィは出かけてたはず。
間接的に知っているヒトが、あんなところで座ってるなんてね、偶然だ。
向かいの、黒髪のヒトは。…………んん?あれって。

「知ってるならバラしていい範囲で教えてもらいたい―――あのカウンタの角に居る黒茶コンビは誰だ?」
ゾロの声に。視線を元に戻せば、シャリュトリューズのグラスと、ドライフルーツがちょうどサーブされてて。
カールが。
「ペンをいま握って離してないのがファッション・デザイナ、その隣で溜息を吐いているのがフォトグラファです、」
そう言って、すい、と。硬度の高いグレイの目が、おれにあわせられて。
「名前は、しっている?」
そう訊いてきた。
「デカイのは、たしか。マッキンリィで。デザイナは……ミ、なんとか」
「イエス、ムッシュ・ミクリヤ。正解」
唇を少しだけ引き上げて、だけどね?とカールがわらった。
「このテーブルのヒミツは厳守」
「ありがとー」
「なんの、」
ゾロが、に、として。カールがそれに気付いたのか、また少し視線をゾロに戻していた。
「それに、ミスタ。訊いてくる連中はまったくの新参なんです」

さら、と。カールがいなくなって。ゾロに、わらいかける。
「おれ、カールも大好きだったんだよね」
自分たちの年をあわせたよりも古い生まれのシャリュトリューズは、とろり、とどこか重い。口にする前から感じ取れる幾種類ものハーブの香りを吸い込んでたら、くく、とゾロが小さくわらって。
「んん?」
カットグラスを少し浮かせた。
グラスの内側で、きっと翠が煌いているに違いない、そんな風情のままでゾロがわざと鷹揚にソファに身体を預けると一言。
「どう見たってオレは新参者だろうが」
態度と言葉が裏腹ですが?ミスタ。
深く開けられらたままのシャツの襟元からずっと下まで。無駄の一切削ぎ落とされた線が惜しげもなく現れて、いつもはスノッブな常連サンたちが我慢できなくなったのが伝わる。静かに興るような、漣めいた。好奇心と、素直な興味。

あーあ、と呟いた。カットグラスの内に落とすように。
喉奥まで広がっていく薬草の香りを味わってから、舌先に乗せた。
「これで、グラス外してって言えなく為っちまった 」
重いクリスタルの内側を、とろ、と液体が伝っていく。
「ふン?」
軽くされた口調が耳にクスグッタイ。
片眉が引き上げられて。ゆっくりとグラスが外されていって。現れた、ヴィンテージのグリーンよりも深い翠から眼差しが外せなくなる。
「あ、」
ふい、と自分でも口元が綻んだのがわかる。
「Uh, That's my noughty wolf,(ア、おれの悪狼だ)」
「naughty?(悪?)」
ゾロがわらって。
伸ばされた腕が充たされたカットグラスを引き上げていって。軽く、グラス同士が触れ合わされる。
「そう、」
応えて微笑む。
「and MINE(で、オレの)」




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