エル・エーの夜空が、キレイに二つに割れて天上から音楽が流れて、世界の全部がおれの大事な人だけになる、そんな錯覚。言葉が届いて、一瞬で。
あとはもう、ただその存在の側を少しでも離れているのが嫌で傍らに戻る。
額を肩に押し当てて。言葉じゃもう伝え切れっこないからただ、身体を添わせて。世界がゆっくりとアジャストしていくのを息を潜めて待つ。
周りなんか見えてないのはショウガナイ。大好きなマリカとシルヴィアだけど。
ゆっくりと息をして。膝、ゾロの掌に柔らかく触れられて、その温かさにまた息を洩らして。
ゾロもとてもリラックスしてるままなことも伝わる、規則正しいゆっくりとした鼓動のリズムと。
邪魔にならない音量でかかっていた音楽がまた聴こえてきた。
それから、アンドリュウの低い声。どこかからかうような、面白がるようなそのくせ笑いながら呆れているような。言葉が意味を成して届いた。
肩に額をもう一度押し当てて、息を一つ。それから、アンドリュウのほうへ視線だけで向き直る。その先にあったのは、微苦笑を浮かべたカメラマンで。
惚気……?そう?これって惚気なのかな。
思ったままを音にして見る。
「だってアナタがジャマしたからだよ」
半分、友達のテリトリーに位置してる相手だから、遠慮しないぞ。
アンドリューは、両手を高くあげてみせてから
「あー、オレとしてはビジネスライクにオトすつもりだったんだよ」
「ふゥん?」
ほんの少しだけ、またゾロに視線を戻す。穏やかな色味の翠は、この場を見守るようにしていたけれど。
視線にすぐ気付いてくれて、僅かに目線が和らいで笑みを乗せて見返してきてくれた。
すぐに、思い出す前に呼び起こされる。同じだね、ソレ。ほんの少し前までの、どこか罪悪感を捨てきれずにいた「おまえ」の浮かべていたものと。
どこまでもどこまでも、尽きることがないと思える、大好きなんだ、って感情だけが溢れそうになる。
すこし遠くのほうから聞こえるみたいに、アンドリュウがマリカたちに「今に至る経緯」を話して聞かせているのが届いたけれど。おれはちょっといま、自分の感情に手一杯で。
思い出す、以前。最初に逢ったときに、別れ際ゾロが洩らしていた言葉を。
いま、おまえの手は汚れて見えやしないよね……?おれだけにじゃなくて、おまえにも。そうだったら本当に良いと思う。
ゾロ、と吐息に混ぜて声に出す。手首のところ、きゅう、と掴んで。
なんだヨ、ってからかい混じりだ、目が笑ってる。
キレイに出来上がった造詣、手を引き上げさせて。とん、とその甲に唇を落した。
「ダイスキだよ」
すう、とゾロが片眉を引き上げて。同じように翠も片方だけ細められるのを見詰める。口元には笑みが乗せられたまま。
なァ……?こういうの、惚気っていうんだよな?と。そう言おうと思ったなら。
翠がとても間近にあって。……あれ?覗き込まれて……
とん、と。唇に、キスされてた。
周りがまた全部の動きを止めたみたいで。
「I know(知ってる)」
唇を浮かせたゾロが、アタリマエ、って口調で告げて。
プールの向こうのほう、どこかで。オンナノコが叫んでるみたいだ。
え……と。これは。
ぎくしゃく、とぜったいしてたけど。どうにか視線と身体を戻したならアンドリュウが見えた。がしがしと髪を引っ掻き回してる。
「オマエら、帰れば?」
呆れた風に言ってるけどねー、カメラマン?
「へーえ、そういうこと言う?じゃあ連絡先残さないから」
目がもう、なんだか保護者みたいなことになってるから冗談で返した。
そうしたなら、やっと呪いが解けたみたいな風にイキナリ、ムッシュミクリヤがマリカのウェストあたりから顔上げて。それこそ、がばあっと。って、いうか。なんでマリカの腰に顔埋めてたのかな……?
「ダメ!!」
叫んでた。それから、ぶんぶんもの凄い勢いで首を横に振ってて。
「あ、目がまわっちゃうから……」
止めた方がいいよ、と言おうとしたなら。突然、ムッシュ・ミクリヤが身を乗り出してきて、まっすぐに見詰められた。
「ハイ?」
「キラキラは期間限定!!」
え?えええと、そんなこと仰られても。
「……ハイ?」
でもすぐにムッシュは、眩暈がきたんだとおもう、また派手にどさーっと椅子に座り込んで。麻のクッションがいくつかフロアに落ちて。
いつの間にか、マリカとシルヴィアにシャンパンをサーブしてたカールが、ちっさくわらってそれを取り上げてムッシュの頭の上にぽすぽすん、と落してた。氷水をお持ちしますね、って笑ってた。
アンドリューは溜息混じりに新しい水を渡してて。受け取ったムッシュは唸りながらクッションを片手に抱えて顔を埋めてた。
「さっきの発言の意味がわからないのって、おれだけ?」
「―――ねえ、サンジ」
す、と。シルヴィアが柔らかなトーンで声を挟んできた。
「んん?」
蒼がきらめきを宿したまま、声の方を振り向く。
「今、アナタ、最高に幸せなんでしょ?」
「ウン」
にこお、と。天使のように屈託の無い満面の笑顔を浮かべたサンジに、シルヴィアは優しく目線を和らげた。
「これから、もっともっと幸せになれると思うけど。でも、今確実に幸せな状態を、残してもらったほうがいいと、私も思うわ」
「そっか、」
にこお、と笑ったサンジに、ふわ、とシルヴィアが微笑んで頷く。
「それに、アンドリュウから声をかけてくるなんて。正直羨ましいくらいよ?」
ゆっくりと腰を浮かせてシルヴィアに、サンジがハグとキスをする。
「最初はゾロ狙いだったみたいだけどね?」
長いプラチナブロンドに明るい金色が交じって。ハロゥみたいだ。悪戯な猫のような笑顔に戻ったサンジに、くすん、とマリカが笑う。
「あーら。そうだったの?」
アンドリュウが、苦笑を浮かべた。
「本音を言えば、それぞれを一人ずつ撮って、その後に一緒のを撮りたかったんだよ」
「まあ、野心家」
くすくすとマリカが笑う。
「けどまあ、フラレタ」
「わーお、アンドリュウ、アナタが?」
苦笑混じりに告げたマッキンリィに、マリカがけらけらと笑って告げて。それから、すうっとこちらを見据えてきた。
「アタシ、モデル・エージェントに勤めてるの。この業界に長いから解るんだけど、アナタ、モデルじゃないわね」
「その通りだ、ミス・マリカ」
テーブルの上のグラスを軽く掲げる。
「プロのモデルなら、たとえ親が死んだってアンドリュウの申し出は受け入れるものだもの、」
すう、とマリカがシルヴィアを指差す―――本人はくっついてきたサンジにぺったりと身体を預けながら、ブルーグレイの双眸をこちらに合わせてきた。
「このコがブレイクしたのも、アンドリュウのお陰。ビビだって言ってなかった?ステイタスになり得るって話」
まあそれはこの際、どうでもいいんだけど。そう言って、マリカが目線を和らげた。
「もし、アナタがモデルに転身したいなら。いつでも言って頂戴。少し年齢が上だけど、ちゃんとプロデュースしてみせるから」
にっこり、と笑ったマリカに、アンドリュウが口笛を吹き。
死人のようにぴくりともしなかったデザイナが、グラスを持ってない手をユラユラと横に揺らしていた。
マリカ、と。サンジが小さく笑っている。
「見込んでくれちゃったんだ?ありがと」
「どういたしまして。むしろ、そうなってくれればどんなに嬉しいか、って思うけど―――ダメなのよね、目を見ればわかるわ」
くすっとマリカが笑った。
「だから、アタシの本音は冗談としておいてくれて構わないから―――一つだけ聞かせて欲しいの。断れるのは何故?」
ステータスとかフェイムとか、必要そうな人間じゃないのは解るけど、そういう理由じゃないんでしょう?
ヨーロピアン・アクセント混じりの綺麗な英語で、マリカが真っ直ぐに問う。
「アンドリュウの価値を知らない人間、ってカンジでもなさそうだし。気になるのよ」
ちら、と。アンドリュウ・マッキンリィに目線を遣れば。
大きなシェパーズ・ドッグのような優しい男が、じぃっとその琥珀色の視線を合わせてきた。悪いな、と告げてくるのに小さく笑みを返す。
シルヴァの毛皮の猫の隣で、同じように猫みたいな風情で見詰めてくるサンジとも一瞬視線を交してから、またマリカを見詰めた。
「一言で言えば、タイプじゃない」
「―――アンドリュウが?」
サンジの恋人ならそうでしょうねえ、と。まじまじとマリカに言われ、苦笑した。
「作風が、だ」
「―――ああ!そう、そうよね。ゴメンナサイ、ちょっと頭が浮かれてたみたい」
僅かに首を横に振って、マリカが謝ってくる。
「個人のキャラクタは、嫌いな方じゃない。けどまあ、サンジがいなければ出会うことのないタイプの人間だとは思う」
枕の中から、デザイナがぼそっと呟くようにコメントを寄越してくる。曰く、
「―――あんどりゅの、保護が、いらない、ヒト、なんだ」
息も絶え絶えに言ってくる割には、観察眼が鋭いな、ミスタ・ミクリヤ?
「ぼく、みたいな、のとは、違う、から」
―――と思いきや、ただの酔っ払いか?
いいからオマエは寝ちまえ。そうカメラマンに言われ、デザイナはくてっとまたソファに埋まった。
とんとん、とマリカが優しくその背中を撫でる。
「アナタが言うように、オレはモデルをするタイプじゃない。だから、必要以上にフィルムに映りたくないんだ」
目を細めたマリカが、少し考えてからまた口を開いた。
「―――必要が生じれば、写ってもいいってこと?」
「本当に聡いな、ミス・マリカ」
「あら、アナタの言葉はリードしているもの」
くすんと笑ってマリカが片眉を引き上げた。
「で、もう一つの理由っていうのはなに?」
サンジが僅かに身体を浮かせた―――ハナシの流れを変えたほうがいい、と思っているようだ。
「必要が生じたことは生じたんだが。別のカメラマンが先約を取り付けていた。ただそれだけのことだ」
「―――別の、カメラマン?……先着順、ってことを気にするタイプには見えないのだけれど?」
何かを言いかけたサンジは。けれど、シルヴィアにするんと抱き戻されていた。猫が二匹じゃれているようで、なんだか微笑ましい光景ではある。
「アンドリュウを振り切るカメラマンなんていたかしら?」
首を傾けて、本気で悩み始めたマリカに、アンドリュウが片手を挙げ。それからこちらをちらりと見遣ってきた―――ああ、アンタから言ってくれるのか。
任せた、と頷けば、迷惑をかける、とでも言う風にカメラマンが微苦笑を刻んだ。
「いるんだよ、これが」
サンジがこちらに向かって両手を伸ばしてきた。にか、と笑う双眸はキラキラと悪戯な光を浮かべていた。
片眉を引き上げてサンジを見遣れば、目線で呼ばれた―――なンだよ?
立ち上がり、サンジの前に立てば。肘の辺りとウェストに、サンジの細い手が伸ばされた。
「Come to me,」
そう歌うように告げられる。
サンジの脚の間に膝を入れて。ゆっくりと覆いかぶさるように身体を近づければ。シルヴィアのきらきらとした眼差しと、サンジの酷く嬉しそうな目線に出迎えられた。
「オマエな。オレになにをさせたいんだ?」
蒼の双眸を間近で見下ろし、からかうように聞けば。
「……ン?」
にぃい、とサンジが笑った。
「どうしよっか。おまえ、怖い悪いだからなァ……」
色付いた声で囁くようにサンジが言い。それから、きゅう、と背中に腕を回して抱き締めてきた。
金の髪を掻き混ぜて、天辺に口付けを落す。
きゃあ、と。横で小さくシルヴィアが歓声を上げ。
ぼーっとしたままのミスタ・ミクリヤ・ザ・ドランクンが、すう、とそれに導かれるように視線を合わせてきた。
「――――――天使が悪魔と戯れてる、」
ぼそ、と告げられたソレ―――誰がどっちだ?
「―――チガウ、狼が黒猫とアメショーとじゃれてる」
テイセイテイセイ、と言いながら。またゆっくりとクッションに顔を戻していた。
サンジは、そんなデザイナの様子に小さく視線を和らげてから。
「My Arch Angel、」
そう微笑んで、シルヴァ・ピアスのところに指を伸ばしてきた。
真っ直ぐに、サンジの蒼を見詰め。
それからゆっくりと口端を引き上げてみせる―――わざと牙を見せ付けて。
それから、サンジの耳元、シルヴィアの居る方とは反対側のほうに唇を寄せる。
「だったらこういうことは、しねェよナ」
囁きを落としてから、きつく牙を耳朶に立てた。
サンジが思わず、と言った風に酷く色付いた声を僅かに零し。
唇を浮かせれば、真っ赤に顔を染めて両手で口を押さえているシルヴィアと目線が合った。
「悪い怖い、が本質なんだ。アンドリュウじゃ、タイプじゃないだろ?」
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