ホテルを出るときに、マネージャのミスタ・エヴァンスが。
穏やかな笑みと一緒に『本日は陽射しが少しきついようですから、』と少しでも気分が悪くなったならすぐにスタッフの誰でも
いいから呼ぶように、とネームカードをくれた。
「アリステア」の「病み上がりのオトウト」である「おれ」は。ん?「ぼく」の方がいいのか?
とにかく、退院したばかりらしいから。気を使ってくれているんだろうな。

礼を言って、受け取ったなら。
ミスタ・エヴァンスの隣にいたベルキャプテンも、一緒になって深く頷いていた。
『アンシンして倒れます、ねえ?アリステア』
後ろから、笑いを殺していた風な「兄」に冗談で振れば。
『オマエの貴重な時間を病院で費やさせたくはないぞ。ほかにすることがあるだろう?』
笑みごと、軽い応えを2人に投げていて。
『行ってらっしゃいませ』
和やかなリエゾンで送り出された。
ロビーにいた他のゲストまでなんだか見送ってくれていたのは、奇妙だったけど。
ホテルの前の通りをビーチに向かって横切りながら、『おれ、なんの病気?』と。
隣のゾロを見上げた。

『重病?』
そう言ってすこしわらった。
『先天性の内臓疾患だと言ってある。それをどう解釈したかまでは知らないな』
『んー、心臓あたりが狙い目かな』
に、と。
サングラスに隠された目元は見えないけど。ゾロの唇が少しだけ引き上げられてた。
『激しい運動は避けないとナ、』
そして意味深なセリフを、笑いながら言っていて。
『避けていいんだ……?』
そうコトバに乗せてまた見上げるようにすれば、小さく笑い声がゾロから聞こえて、
それから髪をくしゃりと掻き混ぜられた。
『強請ったのは誰だっけな?』
コトバを模った唇は、相変わらず機嫌良さそうに引き上げられたままで。
―――だから、その声は反則だと思う、って何度も言ってるのに。

通りを渡りきればもうすぐに、道路から少し下がったところから砂浜が繋がっていて。
朝からずっと聞こえていた波音が突然近くなる。
他に人影は殆ど無いビーチサイドがずっと広がっていた。目の前。
白だとか深いグリーンのパラソルの下にも、数え切れるほどしか人影が無かった。

とん、とミリタリーグリーンのTシャツ越しにゾロの背中を軽く押した。
『お先にドウゾ』
一瞬、ゾロの視線が冴えを増して周囲を確認して、けれどすぐにそれがいつものレヴェルにまで戻ったのがわかったから
口調を軽くした。
シーズン前のビーチには、親子連れが何組か、あとは。ご老人が多い、かな。やっぱり…?

サングラス越しに、すう、とゾロの視線が前に合わせられていくのもわかった。
ビーチサンダル越しにもう砂の熱を感じたのか、先に砂浜に下りていたゾロが振り返って。
「んん?」
「砂浜、もう結構熱いな」
笑いながら差し出された手を軽く握って、同じように砂浜に降りたけど。
「Be careful,」
――――ううん、
「アリガト。アリステア…?」
くう、と。口端が引き上げられてた、笑み。
「―――おまえ、過保護だよ…?」
勝手に、少しだけ。頬が火照ったのがわかった。



「小さい頃から言われてたんだよ、恋人は宝物だってな」
シェード越しにビーチを見遣ってから、サンジにまた目線を落とす。
「本当に大切だったら、細心の注意を払うのは当然のことだろう?」
きゅ、と一瞬強く手を握ってから放したサンジに笑いかける。

「心臓病じゃないよ?」
頬を赤く染めたサンジから、目線を海に向ける。
「だったら―――」
手を取って逃げるなんてことはしない、と。
その言葉は飲み込んだ。
「―――もっと優しくしているサ」
にぃ、と口端を引き上げてみせる。
「強請られても、な」

困った表情を浮かべたサンジの髪をくしゃりと掻き混ぜてから、波打ち際に向かって足を進める。
左側、まったりとリゾートでの時間を謳歌しているらしい老夫婦が3セット。
右側、同じような老夫婦が4セットに、犬連れでコドモを抱いた母親が一人。
サンジに視線を戻せば。目許を赤く染め、艶っぽい眼差しで見上げてきていた。
「サンジ?」
ひら、と手を揺らめかす。
ハヤク来い。

シェード越しに、それでもかっちりと視線を合わせられていた。
それから、サンジがふるふると軽く頭を振り。
追い越す勢いでたかたかと歩いて来た。
随分と照れているらしい。
「水に足を浸けるなら、サンダル寄越せよ」
半歩ほど通り過ぎかけたサンジに声をかける。
笑い声交じりなのは、許せよ、オマエ。

サンジがぱっと振り向いた瞬間、青い透明な空に金が揺れていた。
陽光を含んで、きらめきを増している。
“奇跡”の体現。
「ありがと、困るくらい好きだから」
サンジが早口で言い、足早に水際に歩いていっていた。
くく、と笑いが勝手にこみ上げてくる。
「困るなよな、」
小さく呟きを潮騒に紛れ込ませ。
一つ息を吐く。
愛するオマエと在るだけで、どうして世界はこうも色味を変えるのだろうか。

母子連れの飼い犬が、さっそくサンジに懐いていた。
水着姿にTシャツとショーツを穿いた母親に、サンジが、
「マダム、一緒に泳いでいいですか?」
と犬を指して訊いていた。
「かまいませんわ」
朗らかに母親が笑い。
ブルネットの3歳くらいの娘が、きらきらと笑顔を振りまくサンジにぽーっと見蕩れていた。

「ミス、アナタもよければごいっしょに?」
女の子にもサンジが笑いかけ。その足元で飼い犬が千切れそうに尻尾を振っていた。
ショートコートのジャック・ラッセル・テリア。
“親友”を思い出す、一瞬。
もちろん、犬にも娘にも異存があるわけがなく。
母親の腕から下ろして貰った子供が一緒になってサンジに飛びついていた。

ふ、と一瞬。サンジが笑顔で目線をあわせてき。
「サンダル、脱いでいけよ」
手を差し出す。
「おまえも来ない?」
ふわふわの笑顔を浮かべたサンジに肩を竦める。
「潮がこないところに置いてくる。それでオオケイ?」
「待ってる!」
「いい、行ってろよ」
サンジが脱いだサンダルを受け取りながら、首をしゃくる。
母親が嬉しそうに、くすくすと笑っていた。
「そ?じゃハヤクなー」
「はしゃぎすぎるなよ」

笑ってサンジに背を向け。
視線をもう一度周囲に遣ってから砂浜を僅かに戻る。
ゴキゲンなサンジが、ミス、お名前は?と優しく訊いているのが聴こえた。
アイツは、オレに犬が一切近寄ってこないことに気付いたのかね?




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