サンダルを置いて踵を返せば。母親が視線を寄越してきた。
「早いヴァケイションですか?」
「ええ、まあ。気晴らしに」
「そうですよね。夏真っ盛りではとてもこんな風にはあそべませんものね」
サンジが犬と女の子と波に濡れておおはしゃぎしている方に視線を定めておく。
ここで視線を好奇心旺盛なマダムに向けると、我が意を得たり、といった具合に根掘り葉掘り訊かれるのは目に見えている。
「ノーマ、泳げるんだね…!」
笑って足元で浮いてみせていた子供を抱き起こしたサンジの足元で、ジャック・ラッセル・テリアがばしゃばしゃと跳ねていた。
なにか訊きたそうなマダムの視線は無視して、冷えた砂に足を踏み入れた。
気付いたテリアが視線を上げてくる。
ああ、オマエにもコドモにも、何もしやしないよ。
「アリステア、はやく」
にこにこ笑顔で呼んだサンジに頷く。
母親が犬に警戒しないように言っていた。
“トビー”。
「アリステア、こちらがノーマ、この子がトビー」
僅かに距離が開いたままでも、サンジが弾んだ声で紹介してきた。
「こんにちは、ノーマ。トビー、いい仔でいなさい」
グラスは外さずに、口端を引き上げて挨拶する。
一瞬、犬が低く吼えた。
ノーマとマダムが、“トビー!”と犬にクレームをつけていた。
「動物にはあまり好かれない性質なので、ご心配なく」
トビーには近づかないようにして、水に足を浸けた。
寄せては引くその境界線で、砂が引き摺られて崩れていく。
サンジがテリアを見下ろし。
「トビー、おれの大事な人だよ?」
そう小声で言っているのが聴こえた。
テリアが見上げ、ごめん、と顔で言っていた。
サンジ、オマエ。人気があるのは食べ物屋の連中にだけじゃないな…?
「オレのことは気にしないで遊んでろ」
苦笑して言えば、サンジがちらっとこちらに視線を寄越してきてから、コドモを両手で引き上げていた。
「ノーマ、ジャンプしたい?」
きゃあ、と。コドモが華やいだ声をあげ。
見詰めたままでいれば。何度かサンジがコドモを波が来るたびに引き上げていた。
「つかれた、手伝って」
サンジの言葉に方眉を引き上げると。ノーマの右手を差し出された。
「オーライ」
笑って引き受ける。
「サンクス」
きゃあ、と喜ぶコドモと。
サンジがふわりと笑みを浮かべていた。
後ろでは母親が、ハンサムさん二人に遊んでもらってラッキーね、ノーマ、と。くすくすと笑いながら言っているのが聴こえた。
「ほら、ノーマ。空に届くかもよ?」
サンジがコドモに笑って言い。
大き目の波が来るのを見据えながら、サンジのタイミングに合わせて腕を引き上げる。
ビーチにダッシュで上がっていったトビーが、何度かワゥフワゥフと声を上げ。
小さな手を握る感触に、僅かに胸が痛くなる。
忘れてはいない罪悪感が、少し強く主張をしてきた。
波が去り、体重をまた大地に預けさせ。
サンジが優しい笑みで見詰めてくるのを感じる。
笑って視線をコドモに落とす。
「ノーマ、おチビチャン。腕にぶら下がるか?」
こくこく、とオンナノコが頷いてきた。
「ほら、しっかり掴まれよ」
コドモの小さな手が腕に回される。
波が来たタイミングに合わせ、ぐ、と引き上げてやる。
きゃあ、と。また甲高い嬌声が直ぐ側で聞こえ。
揺れた子供が落ちないように抱き上げる。
背中を支えて、完全に自ら引き上げて。
サンジがマダムの方に振り向き。にこ、と笑っているのを目の端で捕らえる。
トビーが近寄ってきて、ゆっくりとノーマを砂に下ろしてやる。
「トビー、まさかオマエまで抱っことか言わないだろうな、」
最初の警戒心は忘れたのか、すっかり尻尾を大判振る舞いで振ってくるテリアの頭をサンジが一瞬撫で。
それから砂浜に座り込んでいた母親のほうに歩いていっていた。
「遊んでもらいました」
「ああ、いえ。こちらこそ」
にこお、と笑ったのだろう、マダムの声が僅かに跳ねていた。
「兄が、」
付け足したサンジに。
マダムが、ご兄弟でいらしたの、と。朗らかに笑っていた。
「仲の良い兄弟でいらっしゃるんですのね」
ふわふわと笑うノーマに笑いかける。
「ノーマ、弟か妹が欲しければ、いまのうちにマミィにリクエストしておけよ」
きゃあ、とまたコドモが笑って。
とたとたと走っていく。
「マァミィ、弟か妹がほしいの、」
トビーがコドモの後を追って走っていた。
塩水で手を洗い。それから水から上がる。
「いいよね、キョウダイは」
そう言ってきたサンジに笑いかけ。
口だけで、行こうか、と促す。
サンジがノーマの頬にキスをし。
「じゃあね、」
と離れていくのを待つ。
サンダルのある場所まで歩いていき、手に持ち。
「良いヴァケイションを」
母親とコドモに笑って告げてから、背を向けた。
追いついてきたサンジが、背中に軽くグーで触れてくる。
「サンダルはしばらくいらないだろ?」
「ん、裸足が気持ち良いよ」
「貝殻には気をつけろよ」
ふわふわとした声で返してきたサンジに笑いかける。
「―――なぜかいつもそれ言われるんだよなぁ、」
マダムとコドモと犬の視線が、漸くそらされたのを気配で知る。
見上げてくるのはサンジ。
少し高いところから、老夫婦の一組がやわらかな視線を投げかけてきていた。
く、っと笑ってサンジにまた目線を戻せば。
目許を柔らかく崩し、ダイスキ、とオーラで語ってきていた。
見る前から感じ取っていた感情が、そのまま形にされていた。
I know, but I won’t take it for granted ――― 解っているよ、それを当たり前だとは思うことはないが。
「オマエ、血が薄そうだからなァ」
に、と笑えば。
「―――う」
サンジが答えに詰まっていた。
「焼肉でも食べに行くか?」
晩飯にでも?
そう続ければサンジが、
「その発想、変!だって」
と言ってきた。
方眉を引き上げる。
「食って増やすのが、一番ナチュラルに健康的だぞ」
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