ビーチを出たのは2時過ぎだった。ホワイトサンドのビーチ、っていうわけでも無いからそれほど眩しくはなかったけれども。
陽射しは、それでも。初夏のマンハッタンのものとはもう完全に違ってた。
海風。
ちょっと忘れていたモノだった。恋しいとは思ったことが無かったけど、
アタリマエに吹いていたものだったから。やっぱり、どこか懐かしかった。
ゾロは、シカゴで育ったなら。
日常の中にはこの風は、織り込まれていないんだろうなと思った。
初めて広い場所を見て少し緊張したのかな、大人しくなっていたエリィをケージから出して膝に抱いていたなら、
またすぐに喉を鳴らしながら身体を長く伸ばして。
くったりと重たくなり、眠り始めていた。
「海に行った帰りに眠りこける、なんてオマエ」
サンタンもしてないのになぁ、と。
半分呆れて背中を撫で下ろした。
窓の外には。
すぐ近くにまでコーストラインが迫って、波が光を弾いていた。
ただただ、キレイな景色で。空も晴れていて。
視界に入ってくるクルマも無かった。
右側にはすぐ海が見えて、そのまま視線を左へ流せば。
端正な横顔の向こう側に、青がまた広がっていた。
「たのしい、」
横顔に話し掛ける。
「よかった」
ふわ、と笑みが浮かべられて。
いつものジレンマ。
オマエの眼、おれ好きなのにね。ダークグラス越しなのがやっぱりちょっとだけ、―――ウン。
言ってもショウガナイ。
現実、眩しいもんなぁ。ロード。
「Road Trippin'って歌あるだろ?あんな心境」
メロディラインは全然違うけどね、と少しわらった。
「そういやあの連中を崩したことはないな」
「しなくていいって―――!」
また笑った。
ジャズマンは偶に面白いことを言う。
ガススタンドのサインが、さあ、っと通り過ぎていって。あと何マイル、とか何とか。
それを捉えてゾロが、
「あそこで入れてくついでに、何か買ってこようか?」
そう言ってきた。
「ンー?ポップコーンとチョコレート・バーとソーダ」
軽口。
「―――は、イラナイけど。おれも降りる?」
「いや、イイ。チビ、起きないだろ?」
くく、っと。
ずっとさっきから喉を鳴らし忘れては寝息にまた混ぜる、なんてことを忙しくしてみせてるエリィを。
右手が少しだけ撫でていった。
笑いながら。
「重いんだよ、これが結構、」
「起こしてバスケットで寝かせるか?」
「平気、気が紛れるからダイジョウブ」
クルマはスタンドに到着、滑り込んで。
そのままエンジンを切って降りるのかと思っていたら。
キィは抜いて、外からドアをロックしてた。
ううん……オマエさ?過保護だよ?
いつも、微妙に。クスグッタイ気分になる、これをされると。幼児が乗ってる、って訳でもないのにね。
そして、もう呼吸をするのと同じだけ自然に。
周囲をごくトウゼンのように確認していた。気配が少しだけ、すう、と冴える。ほんの瞬きくらいの刹那。
そして、クルマの後ろの方から音がした。給油開始?
コドモの憧れ、あのデカいガンみたいな給油ポンプの先。
『オトナになったなぁ、って思うのよね。自分ですると、』と。そう言って笑ったのは誰だったっけ?
「家の近所」に同じようにセルフのスタンドが無かった幼馴染のうちの誰か。
だから、わざわざ。ライセンスを取ると離れたスタンドまでセルフだから、って理由で行ったりしてた、暢気なコドモ連中。
ガラスを何枚も隔てた向こう側の思い出の一つ。
楽しく過ごしてくれたらいいけどな、と。その中のカオの一つを不意に思い出した。
全部を置いてきてはいるけど、捨てているってわけじゃなかったんだな、と。
そんなことを思った。
『薄情、オマエ!』と笑いながらクレーム付けられていた身分としては、オドロキだね。
コン、と。
窓を一度叩く音に、意識がすう、と引っ張られる。
―――ゾロだ。
ガラスで仕切られたブースの方へ支払いに行く後ろ姿を眼で追う。
何度も、思っていたこと。―――ほかにはいらない、ってやつ。
バカみたいに、正直にそう思えてくる。
す、と。
出てきたなら、両手が塞がってるし。
キィと、なんだろう、コーヒー?それとジュースの瓶。
歩くうちに、片手にキィ以外を一まとめにしていた。
ピアニストじゃなくて、バーテンダーも出来たかもね、おまえ。
指の長い、造作のキレイな手。
最初の内は、褒めたらちょっとどこかが痛むような顔、してたよな―――。
アンロックされる微かな音に。
エリィが髭をぴくりと動かしていた。
ダイジョウブだって、あれはゾロだから。
閉ざされたままの瞼の横を指先で軽く撫でた。ドアが開いて。
「タダイマ」
乗り込んでくる一連の優雅な動き、スタンドには飲み物がもう収まっていた。
「観察してたンだよ?」
目線を感じていたか、と問い掛けた。
「知ってた」
「ふぅん?」
す、と。グラスがずらされて。見たかった翠が覗いた。
「またドライブ、しばらくカオ見せて?」
笑いを引っ込める前に。トン、と唇にキスが落ちてきた。
―――わ?
瞬きした。
間近で、笑みを過ぎらせた翠が少しだけ細められて。
「横顔だけじゃツマラナイか?」
そう、柔らかなトーンの声が聞こえた。
「ドライブの功罪、こっち向かせたくなるよ」
冗談に混ぜ込んだけど、けっこう本音だったりした。
でも、楽しいけどね?すごく。
柔らかく唇を啄ばまれて、ふわ、とまた意識が円くなる。
唇が重なる前に表情に乗せられた笑みにも。
「ゾロ…?」
吐息に消えそうな声だって、自分でもわかる。
「ケープ・メイまで着いちまったら、1時間ほど時間がある。その時までガマンできるか?」
「―――――んん、」
肯定と否定、どっちだろうね?これ。甘いことだけは確かな自分の声に。
茶化してみたくなっちまう。
柔らかに蕩けた声を出していたサンジの頬を突付いて笑った。
「じゃあほら。次の車が入ってくるまでな?」
もしくは、と買ってきたドリンクを示す。
「珈琲呑み終わるまで」
ゆっくりと瞬いたサンジに笑いかける。
「オオケイ?」
ふわ、と笑ったサンジの頬を撫でる。
柔らかな感触。
「少し焼けたか?」
す、と掌に懐いてきたサンジに訊く。
「頬熱いぞ、少し」
ちゅ、と掌にキスの感触。
「そうかな…?」
目許で僅かに笑ったサンジに、空いているほうの手でオレンジジュースを手渡してやる。
「冷たいから頬に当てておくか?」
こちらは軽口。
「やぁだよ」
くくっとサンジが笑い。
「おまえの手がいい」
そう言ってきた。
す、と手の中の冷たいボトルが抜かれる。
さらりとサンジの髪を撫で上げる。手に柔らかな金色。
「よかった。ソレに嫉妬しないで済む」
に、と笑って気持ち良さそうなカオをしたサンジに軽口を告げる。
「ゾォロ、」
くっくと笑ったサンジから手を引く。
代わりに紙コップに入った珈琲を引き上げる。
ブラックの、安くて苦いノミモノ。
どこのガソリンスタンドのものも、比較的不味い。
なのに寄るたびに買っちまう理由は自分でもナゾだ。
こく、とオレンジジュースを飲みながら、サンジの目が、うわあ、と言っていた。
膝の上のエリィは相変わらず熟睡中。
「しばらくキスできない、」
眼で笑ったサンジに、片目を瞑る。
「今日の目的地に着くまでお預けだな」
丁度入ってきた車がミラー越しに見え。
紙コップをスタンドに戻し、エンジンをかける。
シートベルトを締めて。
「これからずっとハイウェイを走るから、眠ければ眠ってていいぞ」
「なぁ、ゾロ?」
車をマナホゥキン方面に滑り出させながら言ったなら、サンジが訊いてきた。
すい、と首を傾け、金が流れるのが眼の横で見える。
「なんだ?」
「おまえと一緒にいられるのに、そんなのモッタイナイ」
にこおと笑ったサンジに一瞬眼を遣る。
「これから1ヶ月近く、一緒だぞ?」
「だったら、尚のこと」
ナビゲーションのアナウンスメントが静かに流れる。
標識、見つけてハイウェイに乗る。US9。
きらっとサンジの眼が輝いていた。
「最も、エリィは寝すぎだと思うけどな」
トラフィックの数はそんなに多くは無い。
リミットから出すぎず、周りに合わせるスピードでクルージング。
サンジが柔らかくエリィを撫でながら、
「きっと夜中起きてるつもりかもね」
そんなことを言っていた。
猫特有の喉を鳴らす音がチビから響いてくる。
くく、と笑う。
これを幻聴みたいに聴くこともあるな、と。
ゴキゲンなサンジから。
「どたばた走り回って鼠追っかけてたら尻尾踏むぞ、エリィ」
夜中は静かにしてろよ、と暗黙で諭す。
聴いているとは思わないが。
「鼠と寝るのはいただけないなぁ、」
口調軽くサンジが言っていた。
「おまえといてもそれはヤ」
「先月リネンの中にいたぞ?」
「―――――え?」
「灰色で毛がふわふわの、鼻がピンクで尻尾が切れちまったヤツ」
ちらりとミラー越し、サンジの目が真ん丸くなっているのが見えた。
「ティビー、二代目だそれ」
思い当たった風にサンジが言い。
「エリィ、おれはティビー齧らないからくれなくていいよ」
エリィの耳の下を擽っていた。
「別のものね、齧ってるから」
「だからと言ってオレを齧るなよ、エリィ」
笑って諭す。
ぷし、と寝ながらエリィがクシャミをした。
―――解釈をするべきか?
「―――そういや、エリィは寝言を言うな」
頷いて、そうだね、とサンジから返事が返ってきた。
「たまに、怒ってる」
「何に怒ってるんだろうな」
笑っているサンジに一瞬眼を遣る。
「んん?おれがおまえばっかりに夢中になってるときが多いと」
「チビ、オマエに似たんじゃないのか?」
すい、と目許で微笑んだサンジに笑いかける。
「寂しがり、」
する、とサンジの手がステアリングを握っていた近い方に触れていった。
「―――否定しないよ…?」
柔らかな声に、瞬間笑いかける。
「愛してるよ、ベイビィ」
next
back
|