エントランスまで見送ってくれたエリィのハナサキを撫でてからロビーフロアまで降りて行けば。
金色の小さなプレートがプールのある方向を矢印で示していた。
もう、午後の8時近いから外から帰ってくる人と、ホテルのビーチから戻ってくる人たちとで少しばかり賑やかだった、
チェックインしたときよりは。

中庭へとオープンな回廊が続くようなつくりのロビーを抜けていった。
プレートの示す通りの方向から水の気配がする気がした。
片手にぶら下げたコットンバッグにタオルを詰め込んでいたから、プールに行くのがわかってるのか、何だかその場にいた
人たちが微妙ににこにこしている気がした、―――ん?
ここでもおれ「病み上がり」な設定なのか?

「ゾ…アリステア、」
ひょい、と半歩後ろを歩いていたゾロを振り返った。
「なんだ?」
「おれ、ここでも病み上がり、なんだ?」
一応確認してみる。
「いや?それだとオマエ、目一杯遊べないだろ?」

ゾロは、集まってくる視線を少しばかり警戒している風だったけれど。それは傍目から見れば、すこしだけ冴えたこの男自前の
気配、とでも思われても不思議じゃない程度には薄められていた。
柔らかな声が耳に届く、けど。少しだけ硬い、これじゃあ、ほんとに―――
「アリステア、ご考慮ありがと。だけどさ?」
少しだけ声を潜めた。
「おまえ、なんだか。助教授っていうより、いま、ますます―――軍関係者」
目線だけで問い掛けてきたゾロに答えた。
「わらえー?」
ひょい、と指先で自分の口許を持ち上げた。

く、と口許苦笑が刻まれていって。
周りの気配が静かにさざめいた。―――あぁ、なんだ。あのひとたち、ゾロに見惚れてたんだな?
「マジかよ、」
呟いたゾロに。
「アリーステア、笑った方が悦ばれてるね」
ウィンクして。そりゃあ、そうか。いまはサングラス、さすがに外してるしね。
そう付け足した。

「別にどうでもいいんだけどな」
笑みが刻まれていった、ゾロの目元と、口許にも。おまえのほかは、と言外に仄めかされて心臓が少し跳ねたけど。
水の気配と緑の匂いと、まだ消え去っていない陽射しの香り、そういったものが一緒になって届いた。
「ふぅん?あとでゼッタイ齧るからなぁ?」
にこ、と笑みで返して、水音のする方へ歩いていった。
背中のほうから、くくっと軽く笑っている声が届いた。ふわりとなんだか背中側から温かくなる。

滝音?
緑の間から。
あぁ、ランドスケープを作った中を流れて行くんだ、このプールは。
鮮やかな照明と落とされた明かりのコントラストに少し遠くの水が光っていた。
「あぁ、あそこ、ほら」
プールサイドの開けた場所には無人のビーチチェアが幾つも並んでいた。
すい、と。グリーンが背後で流れたのがわかった。
「上からみたけど、相当長いみたいだったよこのプール」
半周くらいしてるかもね、敷地、と付け足して振り向いた。
「海沿いも通ってた、見えるかなビーチ」
「ライトアップされてりゃ、もしかしたらな?」

誰もいないビーチチェアの方へ進みながら。
柔らかな声に笑いかけた。
「な、あそこの東屋。スタッフいるみたいだね?わかるゾロ?」
「モチロン、なにか訊きたいのか?」
「サンダルやタオル、この辺りに置いておいてから流れてみようヨ?」
戻ってくるまでどれくらいかかるかな、とわらった。
東屋に近付けば、まだシフトの残っているらしいスタッフが「いまからが一番いい時間ですよ!」と笑みで言ってきて。
「流れに乗って泳がれなかったら、大体30分くらいで一周しますが、」
と、一周するのにかかる時間をおれが聞いたなら、ちらっとゾロを見て。
「こちらが泳がれたなら15分、ってとこですか?!」
だって。

「うわ!」
思わずわらって、ゾロを見遣ったなら。
「タイムレースするのか?」
笑みで返された。
「おれがのんびり流れてる間に、その横おまえ2度通ってくの?それ、落ち着かないよ!」
笑いながら、スタッフの渡してくれたスイムボードを受け取った。軽い、ちっさな。よくスイミングスクールで渡してもらうようなヤツ。
これでどうぞ流れてください、ってことなんだろうけど。

明るくおれの軽口を笑い飛ばしていたゾロに、ほんの少し残っていた人たちがにっこりと目線を投げてきた。
「あの、まさかフィンなんて貸し出してないでしょう?」
スタッフにわざと訊けば。
「それだと、5分になっちゃいますねえ!」
スタッフも笑ってた。
「6回も横を?鮫だ、それは!」
そんなのがいるプールは嫌だなあ、とバカを言いながらビーチチェアに着ていたものを脱いで置けば。
「チャレンジしろとか言うなよ」
ゾロは大笑いしてた。

「鮫を兄に持った覚えはアリマセン」
わらって、水に飛び込んだ。
うわ、ちょっと冷たいんだ?
でも、きもちいー……。
少し遅れて、水音がして。何かと思えば小さな滝だった。
そんなことを思って立っていたら。
「準備運動しなさい、」
ゾロが地面を指差していた。
「や、充分歩いてきたし?平気」
「アウト。ストレッチは必須」
「なかでするよ?」
両腕ででっかいクロスを作るゾロを水中から見詰めた。

返事は、すいすい、と無言でプ―ルサイドを指が指して。
「ちぇー」
ボードごと、プールサイドに戻った。
「流れるだけなのになぁ」
指先から水が垂れてくるなぁ。
「不測の事態に備えるのは当然のことだろう?」
チェアに座って、脚を伸ばした。
ぺた、と半身を伏せたそのままに、頤を脚に乗せて返事。
「ほらなぁ?ぜんぜん平気、筋肉やらかいって」
日ごろの運動がいいですから、と答える。
「アウト。公衆の面前でオマエをレスキューする事態は避けたいね」
爪先を寝かせて同じように伸ばした足に身体をぴったりと添わせていたら、にっとわらったゾロが言って。
「溺れないぞー?」
泳ぎは得意、とハナサキに皺を寄せてみた。

「過信は禁物、」
同じようにストレッチをしながら、それならなおさらだろうが、とゾロが続けていた。身体の線がキレイに伸びて行く様子をしばらく
眺めて、文句のヒトツも言おうとしたなら。
「ほらほら兄弟げんかはイケマセンヨ、スマ―イル?」
東屋から声がして。
ぶ、っと。吹き出した。
ここのスタッフって、なんか妙にフレンドリーだネ、みんなさ?
「―――さすが、なのかなビーチリゾート」
ホームタウンの、カリフォルニアの人たちともまたちょっとちがう人懐っこさだ、これって。

「アリステア、ここって……ウォルトおじさんの夢の国じゃないよね?」
小声で軽口。
脚の間に肘をついて、身体を伸ばしながら訊いてみた。
「鼠や犬やアヒルはいまのところ見かけていないな、」
「朝食のときは危険だネ、現れるかもよ?」
パンケーキにおっきな耳がついてたりとかさ?と笑う。
「その後にイルカとデートか?朝から胸焼けしそうだな、」
グリーンが、ぐるりと円を器用に描いていって。
また、それを見て少しわらった。ゾロが、何の気負いもなくバカを言ってくれる状況が嬉しかった。

「ストレッチもういいかな?」
立ち上がった。
だってさ、ウン。
人目の無いトコなら、一瞬くらいキスできるかも、だろ?




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