随分と急いだ風にサンジが部屋に戻っていった後。
ラウンジにあるバーのカウンタに腰掛けてギムレットをオーダした。
赤いベストの女性バーテンダはにこやかに笑顔をくれて。すい、と鮮やかな手付きでオーダを出してくれた。
ドライジンとフレッシュ・ライムジュースをシェイク。
ローズのライムジュースを使わないところがフロリダという土地柄に合っている気がして笑った。

すい、と影が落ちて見上げると。
「フィリップ・マーロゥとは一味違いますね、」
高すぎず低すぎない声が語りかけてきた。
す、とバーテンダが引いていった。ふン?居てくれて構わない、寧ろ居てくれた方が楽そうでいいんだけどな。
気の強そうな、“気位の高いビジン”風の男。背丈は177くらいか?
ヘイゼル・ブラウンの目が、教養のある人間であることを示していた。同時に少しヒステリックそうでもある。
淡い栗色の長い髪はふんわりと後ろに流されていて、すい、とバーテンダにオーダをしていた。
よりによって“Between the Sheets”かよ。

細長い指先の先端が、僅かに光を帯びていた。
物書き、か?まあそうだろうな。こんなところでこんな具合に過ごしているニンゲンといえば職業に限りがあるだろう。
「隣に座っても?」
「ここはオレのドメインじゃない、」
「面白い言い方をなさる、」
ふわりと笑って、男がシェイクされた飲み物を口に運んだ。

「物書きの分際で言うのもなんだけど。アナタ、とてもハンサムだね。他に形容詞が思い浮かばない」
にこ、と笑みを浮かべられて、肩を竦めた。
「見かけない方だけれど、一人?」
「いまのところはな、」
よく冷えたドリンクの、ライムの酸味とジンの独特の味をゆっくりと嚥下する。
「ボクはジェラール・シモン。ここのバーはボクのドメインなんだ、アナタ風に言うならば」
「それは失礼。お暇しようか、」
「そんなに魅力ないかな?」
すい、と微かに首を傾けて訊かれた。 “ビジン”が“かわいらしく”見える一瞬。

「足りているからな」
「一人なのに?」
「一人と独りを間違えるなよ、物書き」
口端を引き上げれば、くくっとジェラールが笑った。
「まいったな。ホモ・フォビアじゃないだけラッキーってところか」
「摘んで喰うなら魅力的なバストがついている方を選びたいね」
「“ママが恋しい”?」
Mama,ではなく、Maman,と発音にアクセントがかかった。
「Non mai lo sciocco intorno della madre di un Ispano-americano」
ラティーノの母親をカラカイのネタにするんじゃない、と目を細めて言えば、男は両手を上げて謝っていた。
もっともオレはイタリア系で、さらにからかっていい相手じゃないけどな。

「失礼、マナーが悪かったな」
「絡むにはまだ早い上に酒も足りていないな」
「お詫びに1杯奢らせてくれ。このままじゃハンサムを怒らせただけの思い出になってしまう」
す、と男のしなやかな指が上がり。バーテンダが同じものをシェイクし始めた。

「この辺りには観光でいらした?」
「他にどういう目的があるとでも?」
「あ、それは酷いな。聴いたかい、キャシー?地元人としては、寂しい発言だったね?」
す、と新しいグラスを置いてから古いグラスを引き上げたバーテンダが低めた声で言っていた。
「ジェラール様、ホテルにいらっしゃるお客様のほとんどが観光客でいらっしゃいますよ、」
「あ、キャシー、酷い。ボクよりハンサムさんの味方?」
ジェラールが笑って、すい、とまた目線を合わせてきた。
「名前くらい聴かせて欲しいな」

「AAA」
「AAA?」
あ、と思い至ったらしいジェラールがくすくすと笑った。
「結構チャーミングだね、アナタ。AAAでNo Name?ボクはアーケード・ゲームじゃないんだから、」
肩を竦めて、新しく出されたグラスを引き上げた。
「あ、さっきのアポロジィは受け取ってもらえるみたいだね。よかった、」
「ミス・キャシーのためにもな、」
ふわ、とバーテンダが笑った。ダシに使ってるだけじゃないぞ、と片目を細める。
実際にいい味してるしな。

「ボクよりキャシー?妬けるなァ」
くすくすと笑って、二杯目のカクテルをオーダしていた。
バーボン、ベルモット、デュボネにオレンジジュースが入って、ステアされていた。
“Soul Kiss”、たしか魂を揺さぶるような熱烈なキス、ってか?
「Jeu D'Amour(愛のジュース)で来なかっただけ褒めてやるよ」
「先を越されちゃった、ますます好みなんだけどなぁ?」
くすくすとジェラールが笑って、すい、と近寄ってくる。

「同性には興味が無い?」
「同性じゃなくてアンタに興味が無いかな」
「おやツレナイ」
「むしろ、他人に興味が無い」
「…うーん、ナルシストの匂いはしないのにね、」
「アンタがオレを幸せにできる一つの方法を教えてやろうか、」
「あ、気になるけど聴いちゃイケナイ気がするのはなんでだろう?」
バーテンダのキャシーがエントランスの方に向かってジェスチャしていた。
見慣れた金の髪とどこか面白がってでもいるような風情に苦笑が浮かぶ。
まだ気付いていない作家がにこ、と笑った。
「教えて貰おうかな?」
「放っておいて貰えるかな、」
なになに?わー?あははははー、とでも笑っていそうなサンジが近寄ってくるのをグラスを傾けながら待つ。

「うーん、やっぱり聞かなければヨカッタ、」
ジェラールが長い前髪を後ろに撫で付けていた。
ふわりと笑いながらなにか莫迦なことを考えていそうな眼差しのサンジが、
「ごめん、アリステア。オマタセシマシタ」
そう声をかけてきた。
「よぅ、」
隣でジェラールが名前を音にせずに復唱しているのを横目で見遣る。
そのまま無視をして、サンジの頭をくしゃくしゃと撫でる。

「生臭くないぞ」
「あのねェ、アタリマエだと思うよそれは」
失礼だなー、と。どこか苦笑混じりに言ったサンジに肩をすくめれば。
「やぁ、オトウトさん?」
ジェラールがにこやかに語りかけてきた。
“似ていない”ことを訝しく思いつつもそれを押しやっている声だ。
「答えなきゃいけない義務でも?」
詮索は無用だ、と答えに暗に込めれば。
答えそうになっていたサンジが言葉を飲み込んでいた。
Keep quiet, baby。そうだ、黙ってろよ?
すう、と合わさったブルゥが行こう、と先を促してくる。にこ、と笑みを浮かべて。

「まだ滞在を?」
甘えるような口調のジェラールに、
「気が向けば?」
と有り得ない答えを返す。笑顔で煙に巻く。
す、とサンジが先に出て行き。
1杯分のギムレットの代金をチップ込みで支払う。
「アリステア、」
声をかけられて、首だけを巡らせた。
「イェス、ジェラール?」
「……良い夜を」
「アンタもな、」
ひらりと手を振って、バーを後にした。

数少ない客が自然と視線を反らしていくのを黙って受け止める。
興味が無いことくらい、立ち振る舞いで解るだろうが、と。
昼間のミーナやパトリックもついでに思い出して溜息を吐いた。
これは“酔っ払う”に限るのかね。
まあ、“酔う”ことができればの話だが。




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