柔らかく掻き上げただけ、そんな具合に仕上がる。
アントワンならこのあたりでもう一手間かけかせそうなギリギリで止めているのは、リカルドの目にあわせているからなんだろう。
さっさと片付け出したベンに礼を言ってから、リヴィングへ戻った。
ここにも、器用なフォトグラファがいた。
テーブルの上にはメイクボックスがもうあった。準備万端、デスカ。
「お待たせ、」
「ん、」
「I'm all yours,」
スキニシテイイヨ、と告げてからイスに座れば。
く、と口元を引き上げて笑い顔。それから、さっきと同じプロセスでベースメイクを作っていってた。
ほんの少しの厳選された色味で顔に陰影をニュアンス程度に足して行くつもりなんだな、これはどうせ。
使おうとしてる色味から大体つかめる。
真剣な表情になっちゃってまぁ…?
「どっち先?」
「ん?」
ソファへ並べられた衣装を視線だけで追う。
「シロ?」
「シロ。もう片方は、やるかどうか決めてない」
「ん、暗いしね」
「あれはパーティの中みたいに、紛れているといい」
「あ、さすが。そういうシーンで使うハズだったんだよ」
じゃあ、ハロウィンのパーティでも開くしかないな、と。軽口。
「あぁ、あの廃墟でしようか?オマエも来る?」
「気が向いたら」
「ン、了解」
きっと、その時期はどこかを飛んでいる気だろうけどな。
「髪伸ばして、後ろでリボンでくくればいい」
くう、と笑みをリカルドが浮かべる。
「あーあ、アレね。雰囲気としてはアマデウス、」
大仰なコスチューム・プレイを思い出した。
「そう。好きだよアレ」
「アレ、アントワンがスタッフだったら制作費倍額だね」
それで済めばまだカワイイ方かもしれない。
「そうだなあ。でもあの情熱はいいな」
にこお、と。
笑みを浮かべたリカルドに訊いた。もう判るけど、やっぱり聞きたいし。
「会ってよかった?トワントワン」
「トワントワン?」
さら、とチークブラシが肌を滑る。
「そ、プティ・トワントワン・ブロゥ」
「本人怒らない、それ?」
「“怒り狂うとも!ヴァッカジャナイノカ!!”」
笑っているリカルドにアントワンの口真似で返せば。
「会えてよかった、ありがとうな」
ふんわりと笑みがリカルドの表情に浮かべられて。
「―――こちらこそ、」
そう返事した。
グロスと、リップパレットの中の何色かを混ぜているリカルドに話かける。
「想われているのをわかって甘えて、切りかけてたからね、おれこそオマエに礼を言うよ」
うん、もう黙ろう。ちょうどいいや。
ブラシが唇に乗せられる。
「掌から零れてなくてよかったな」
―――なんだ?それ?
目で問い掛ける。
「ベンが言った。人生っていうのは、ビー球みたいに転げやすく壊れやすい宝物を持って延々と続く階段を登り続けているような
ものだって、」
細い筆先がさら、と唇を滑って。言葉が齎された。
「―――ロマンティスト、」
唇を出来るだけ動かさずに言葉にする。
そして、件のロマンティストがリヴィングに入ってきていた。
「でも結構真実かも。不意に落ちて壊れたり、不注意で落として壊したり。だから大切なものは、大事にしようって」
「リカァルド、」
オマエの掌にはそれはある?と尋ねた。す、と筆先が離れて行ったので。
「あるよ」
「そうか。なら、いい」
ふい、と。どこか甘い煙の匂いが漂う。一仕事後の一服、ってヤツか?
「オツカレサマ」
四角い鏡を手渡される。
ちら、とそれに映る姿を認めて。ざ、とチェック。
「どう?」
「―――ハハ。アントワン流に行くならアクセント、目尻にどうせ付けてたね、どうする?」
泣き黒子。
「シャンクスに無いモノはいらない」
「了解、」
にこ、と鏡から顔を上げて笑いかけた。
「うん、いい笑顔」
「おそらくオマエ限定」
「コイビトには?」
緩く留めていたクリップを外して、手で整え直しながら聞いて来るのに、目を合わせる。
「さあ?どうだろう、」
「魅力的だよ?」
にこ、と笑いかけられた。
―――対象によって、見え方なんて変わるから。オマエに向けたのと同じものを見せたって、同じ風に取られるとは限らない
だろうに?
どこか、無邪気なまンまなリカァルドには。ずっとこの路線で行ってもらいたいよなァ。
「あ。認めたナ?」
す、と眉を跳ね上げてみせた。
「否定していない、最初から。ただセクシュアリィには無理ってことだけ」
する、とリカルドが立ち上がりテーブルを片付けはじめ。
「ベーン、終わった。このテはど?」
ソファの横でタバコを吸っていたコイビトに問い掛ける。
「スッピンの方が好み」
「ほぼ素だぞ?」
「匂いがあるだろ、」
「犬ですか、アンタは」
とん、と立ち上がって。衣装の傍まで行き。
「もうキスできないな、」
声に、笑おうとしたなら。すい、と手を取られた。それから、キレイだよ、と手の甲に言葉と一緒に唇が触れていった。
優雅な所作。
「着るの手伝ってくれるって?アリガトウ」
リカルドがふんわり笑って告げてくれたことを思い出す。
「一人で着る手筈のモノじゃないだろう、」
「まぁさに。手がないとね、シャツ一つ無事に着れやしない」
ソファの上にずらずらと並んだモノを指差した。
「連中がジブンで着られたのは下着だけだな、」
「遊びに出歩くのも一苦労だな」
さら、とローブを落とされる。くく、と喉奥で笑うコイビトの手があっさりと緩く留めていた前を開いて。
「リネン、っていうところが肌には気持ちいいけどね」
酷く薄いシャツの原形のようなもの、それをアタマから被って一言。
さすがにアンダーは現代モノで勘弁な。ボトムスのラインに響かないから。そのあたりまではギリギリでアントワンも妥協するレベル。
「あンたの嫌いなソックスまである」
「このソックスってのも。メンドウだよなぁ。半分ストッキングじゃん」
「右足をドウゾ」
「ハイ」
すい、と視界を下にコイビトの姿が移って。跪いて足先からそのメンドウこの上ないモノを引き上げていった。膝上まで。
「ビラビラレェス、取り扱い要注意」
「手袋着用必須とのお達しをいただいてございます、若様」
「でも、鼻血落ちてンの、」
けら、っとわらった。
「出させるなよ」
そして、ベンが両手に絹の手袋を嵌めているのにますますわらったなら、そう言われた。
する、と逆の足にも履かせられていく。
「痕が刺激的過ぎたみたいだ、どうも」
肩に僅かに手をついて、顔を上から見下ろした。
「シャツも取ってクダサイ?」
「あれは不可抗力だろう」
襟元と、指先がたっぷり隠れるほどの長さの袖口の飾りレェス、細い細い糸が気の遠くなりそうな細かさで模様を織り上げる、
そんなものがついた繭白のシルク。
ボタンの代わりに、細いリボンで前をあわせていく作り。
アントワンのスタッフ並みに、手際いいか?
さらさらと細い絹のリボンを結い合わせて行くコイビトに思う。
「脱ぐのは問題ないのにね、着れないよなこれは」
右腕を差し出した。
レェスに隠れて見えるか見えないか、なのに。バロックパールのカフスで留めるようになっているから。
脱ごうと思えば、指をそろえればそのままするりと袖口は抜けるのに、まったくアントワンだよ。
「脱ぐ方が楽しいからだろう、」
その先の目的が、と付け足して。に、とベンがわらった。
「貴族の愉しみなんてそんなモンだろ」
する、とその右頬を指先で撫でた。
「着るのに手間取って浮気がばれることも多かったらしいな」
「全部脱がせるのが悪いんだよ」
ますます、にやり、と笑みを深めたベンに言う。
「見ないのは勿体無いだろう?」
「短い逢瀬ならそれなりに愉しまないとね」
「恋愛ゲームより社交性が求められるな」
好きならば、と。続いた台詞に返せば。そう言っていた。
左腕のカフスも留められて。
厄介モノだ、ボトムス。
織り生地が植物の地模様を浮かべるソレ。金糸だのなんだの、縫い取りが多い上に。
留めるボタンの数が多すぎる。
裾の、宝石だらけのブローチもどうにかしてほしいよまったく。
足を通して、またベンを見上げる。
「ボタン全部で幾つだろう」
「数えたくないな」
く、とその返事にわらう。
リボンとボタン、まったくね。
「フェイクじゃなくて、リアルゴールドとパール」
一々飾りボタンを縫いとめるところまで拘らなくて助かった。
ベスト、これがまた地獄の手作業だ。
金糸と銀糸と、パールと宝石、金の粒。
そんなモノで頼むから模様を描いてくれるな。
「おもいー、」
「脱ぐ喜び増倍中」
腕を通す。
くくっとベンは機嫌が良さそうだ。
きっちりと身体に添う仕立て。
「あとは、ジャケットだね」
長い上着、襟元からそれこそ、膝近くまでずらっと。
アントワン曰く、「派手派手キラキラ」。
「靴がスリップオンなのが映える」
金糸、宝石、パール。
入り混じって全部それが「ボタン」だっていう代物だ。
裾近い飾りポケットの上まで、それが留めてある。
背中側のスリットには、また飾りがあったし。
クツの踵にも金のプレートに模様付き。
「あンた、愛されてるな」
襟元のレェスをベストの上とジャケットの襟元に引き出していたなら、言われた。
「―――ん?」
「いくつか、あンたに栄えるよう、付け替えられている。気付かなかったか?」
宝石の一つをベンが一つ爪先で弾き、そんなことを言ってきた。
「――――うん?」
そうなんだ……?
気付かなかったよ、ちっとも。
「ムカシムカシの衣装合わせのときしか、良くみなかったからなぁ、」
「最初にあの家の応接間で着付けていた時と、僅かに印象が違うから、なにかと思った」
やさしい笑みでそう言ってくるコイビトに。
「知らぬは本人ばかりなり、って…―――?」
微笑んだ。
「そうだな。あンた、アントワン本人ばかりに夢中だったからな」
「―――そりゃあね、ムカシからそう」
「失くすなよ、今度は」
「……うん、」
ウェスト辺りのボタンを幾つか留め終わり、するん、とベンが立ち上がると。
トン、と唇にキスを落とされた。
「―――もっと…?」
笑みを浮かべる。
「後でな」
差し出された腕を掴まえて、手首に舌先だけで触れた。
そのまま腕を借りておいて、クツに足先を滑り込ませる。
「ぁああーあとは!ヴァッカヴァカしいジュエリーだけだな!」
アントワン・ブロゥの口調。
「山は越えたってことだ。喜べ」
「おれがピアスホール開けてないのってさ、」
「ん?」
「トワントワンが叫んだからなんだよ、メイクで穴埋めはゴメンだぞ!!って」
「一度空いた穴はキレイには塞がらない、と」
「イエース、一個くらい言うこときかないとネ?」
に、と笑みを寄越したコイビトに同じように返した。
「あのオトナは、案外あンたのことをよく理解しているのかもな」
襟元からベストへ繋がるようにエメラルドの小粒が金で繋がれた細かい鎖が流れるプロ―チだとか。
重たげなリングだとか。
そういった小物をつけていくのを適当に手伝ってくれたコイビトに目をあわせた。
「オマエがおれを抱いてくれるニンゲンで助かったよ。アイジョウだけじゃ、足りねェもん」
する、と。
首元に指先を這わせながら.言った
「そういう時は、愛していると言っておけ」
そう、笑みを浮かべるコイビトに口調を真似て言う。
「“……後でな”」
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