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 Flor (花)
 
 
 古びた鍵のかかる音が離れて届いて、静かになった。
 すう、と。時代の境目を無くしたような空間が、ヒトが2人になると急に存在感を増し始める。
 これは、なんど来ても感じることの一つ。
 このホテルが大嫌いだと言う、元同僚も、それと同じくらいここが好きだという元仕事仲間の数も同じくらい知っている。
 時代を経たものに囲まれると、そんな気がすることが偶にある。アントワンに言わせれば、アタリマエのこと。
 イマのジブンより遥かに沢山の物事を「観て」いるものたちであるのだから、と。
 
 リカルドが静かに一つ、息を吐いていた。
 見遣る。
 「―――ン?」
 おれなんかよりずっと、"そういう方面"の意識が研ぎ澄まされてるだろうリカルドがなにを感じているんだろう、と。一瞬思った。
 ゆっくりと目を閉じて、エネルギィを確かめてでもいるような。
 あぁ、オマエもさ……?やっぱりわかる?この場所の存在感。
 鋭敏であればなおのこと?
 あのオトコは。動じないからねえ、なぁんにも。場所だろうがヒトであろうが変わりない。流されないね、ナニモノにも。
 おれにだって流されないくらいだ。
 アレがいなくなれば、この場所が息をし始めても当然か?
 
 「リカァルド、」
 そっと呼び掛ける。
 「―――始めようか、」
 す、と。
 フォトグラファの眼が見上げてきた。
 「―――おれもオマエを覗くよ……?」
 笑いかける。
 「ん、」
 こくん、と頷かれた。
 「愉しみだな、」
 す、と。意識が冴える。
 微笑みがカメラマンの顔に上ってきても、眼差しは別の表層にいることを告げてくる。
 ゾクゾクする、愉しみで。
 
 ソファに鳥の死体めいて長く拡がっていたケープを片手に拾い上げれば。
 す、と腕を取られた。
 時間を共有しよう、オシゴトの。酷く楽しい。
 セクシュアリティの欠片もない、けれどどこかセンシュアルな誘われ方だ。
 巧いな、この無自覚系は。
 くう、と自分の唇が吊り上がるのがわかった。
 
 マスタァベッドルームのドアを、すい、と開けられた。
 出来上がっている舞台、というわけだ。
 邪魔にならない位置にライトがあって、古びたファンが約束通り静かに回っていた。
 ドアは、空気の流れを遮らないように開けたままにしているらしい。
 腕から柔らかな重みが無くなったと思えば。
 さら、と肩に掛けられた。
 「―――やっぱり使う?」
 見上げる。
 「折角だから」
 「過剰な白の演出、」
 す、と微笑んだ目許に笑みを返す。
 「部屋は赤が満ちているから」
 
 はさり、と踝から2インチほど上まで紡いだばかりのようなフェルトが落ちていった。
 ところどころに金箔と、合わせや裾にはふわふわとした羽毛の飾り房。
 「白が染まっていくようでいい、」
 そうリカルドが続けていた。
 「仰せのままに、」
 一礼してみせる。宮廷式、目上の者への挨拶。
 「帽子がなくてザンネンだ、」
 顔を上げてからかえば。
 無くて十分、と仰る。心得てるね、オマエ。
 
 「赤は血の色」
 「部屋から染まるか、おれから染まるか、」
 御楽しみ、とフォトグラファに問い掛けた。
 返答は。
 に、と。口端で作られた笑みだった。
 そうだね、―――愉しもう。
 
 
 
 
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