ヴァーミリオンのエントランスを、車を用意されるのを待って潜り抜ければ。漸く太陽が傾きかけていた。
時間は4時半過ぎ。赤い太陽が影を長くしていく。
長いアスファルトの直線道路を通り、石造りのゲートを抜けて一般道へ抜ける。
中心部から外れた場所に位置するヴァーミリオンは、独特の空気があることを。離れてみれば酷く感じる。
そのように作られているのだからアタリマエなのだが、行き交う車の数に、流れている時間が違うことを理解する。

あの場所が人を選ぶのだ。人があの場所に在ることを選ぶのではなく。
自分のような存在は、けれど。染まりもしない代わりに、弾かれもしない。
好きでもなければ、嫌いでもない。
ただ、アレはアレなのだ、と受け入れる。
あのままあの場所に傍観者として留まれば、きっと、空気が違っていたことだろう。
撮影が始まってしまえば、乗り越えていってしまえるのだろうが。

街の中心部近くで車を停める。
観光地ということもあって、車止めが作動するパーキングだ。
入口には警備員。ポールには監視カメラ。
降りて歩き出した途端、携帯電話が鳴り出した。
番号―――ロビンか。
『バラード?私よ、』
低めの女性の声に、小さく笑った。
「ロビン、どうした?」
からかう口調で訊く。
『プレシャスに、この間ほんとうに久しぶりに会えたわ、』
笑みが滲んでいる艶っぽい声。
「ああ、デートしたんだってな」
通りを渡ってカフェに入る。

『ええ。私の新しいオフィスのインテリア。趣味が変だ、って散々よ』
くす、と笑ったロビンの声。
シャンクスに実際に会えて、安心したようだ。
「昔のままだったか、アレは?」
『―――ええ。でも、バラード。あなたには一言お礼を言おうと思って』
失礼、とロビンに電話越しに断ってから、ウェイトレスに、エスプレッソを、と頼む。
「礼など、」
ジャケットのポケットから煙草とライターを取り出し、1本咥える。
『棺桶の蓋は、あの子。自分で閉じたようで少しは私も安心できるわ』
かちり、と僅かな音と共に火が灯り、それを移す。
『最後に会ったときは、身体半分入っていたもの、』
「―――そうみたいだな」
出会った当初の眼差し。
あの時は、でも。それでも随分かマシになっていたのか?

「いまは精力的に遊んでいる真っ最中だぜ」
煙を吐き出しながら、近状報告。
『そうみたいね、パリのアントワンから連絡が入ったわ』
「ハハ!相当愛しているんだな、あの大御所はシャンクスのことを」
解りきっていること。
『お互いに運命の一目惚れみたいね、ニュアンスは違うけど』
くす、と笑うロビンの声。
「コイビトそっちのけで、おおはしゃぎしていたさ」
笑って告げる。

『それでも、バラード。驚いたわ』
僅かにシャープさを帯びた声。
「ん?」
からかう声で返す。
『あの人が、"アレは良い男だ"ってあなたのこと。アントワンが、プレシャスのお相手を褒めたことなんて一度も無いのよ?』
おやまあ。
『それが誰であろうと。大御所共もボロクソだったのに、』
「気に入られるようなことは何もしなかったんだがな、」
笑う。
意外だ、と言外に示唆しながら。

『違うわよ、プレシャスがあなたを気に入っているのが大事なの』
ますますからかうロビンの口調に、ハハ、と笑う。
「シャンクスの"お気に入り"は結構いるぞ?」
セバスティアン、ドロセア、ミミィ、J.C。いくつかの場面で紹介された人間たち。
くっくと笑い。そんなのあなたに言われるまでも無いわ、バラード、とロビンが言っていた。
『それから、"スバラシイ原石"にもよろしく、と伝えて?』
リカルドの話しも、きっちり伝わったか。スカウトはナシ、だな?

『でも―――お気に入り、そうね…私もセブは好きよ』
ガキの顔を思い出す。
「もう3年もすれば、世界の有名人だ、アレは」
『1年じゃなくて?』
ロビンが笑う。
『2年後のライヴァルに備えることね、バラード』
「ファンがしっかりと根付くには、3年かかるよ、ロビン。一時期のトレンド・リーダではなく」
ロビンの言葉に笑う。

それから、からかい口調がすい、と真面目なトーンに変わった。
『あの子を、こちら側へまた引き戻したくなってきたわ』
「揺さぶりをかけるのなら、今がチャンスだろう。あれにも"遊ぶ"以外に生きがいが必要だろうし」
"演じる"ことに、まだ魅力を見出してやれるのならば。
「ただ。アレが満足するような舞台が、用意できるとは到底思えないが」
そう付け足しておく。
『アントワンと一緒に拝みに行こうかしら』
「ヘタな脚本を見せれば、二度と演じることに興味を持たないぞ」
すい、と軽くなったトーンに、半ば本気で告げる。
『バラード。私を誰だと思っているの?』
「ニコ・ロビン・ラフォン、業界一の敏腕マネージャ」
かちゃり、と目の前にデミタスが置かれ、目線で礼を述べる。一輪挿しの下に、白い紙が裏返しに置かれた。

『そのとおりよ、ベン・バラード。忘れないで』
「もちろん。アンタはシャンクスの大事な人だ。今も昔も、これからも」
すい、と優しい声に返す。
『―――ありがと。あぁ、もう切るわね、原石とプレシャスにもキスをしておいて』
「ああ。アンタからだと言付けようか?」
口端を引き上げる。
『外す気だったの?!』
「アンタとオレが連絡しあっていたことを、シャンクスには言ってないからな」
笑っている声が耳に心地よい。
『―――それもそうね。じゃあいいわよ、バラードあなたが独り占めしても』
「了解。またな」
柔らかい声に答え、通話が切れる音を聴いた。

"世界は思っていた程、悪い場所じゃない。"
その通りだ、リカルド。自分の周りを見渡せる目を養えたならば。
『どんなに辛くても。愛することを止めてはいけないわよ、ベン』
妹の死体が見つかった日に、母がぽつりと漏らした言葉。
『愛することができなければ、愛されていることには気付くことができないの。与えることができなければ、与えられていることにも
気付かない』
検視官の配慮で、解剖される前の遺体を遠くから眺めた。
毛布に包まれた小さな"妹"。
『差し出すことの無い人間に、差し出し続けてくれる人間はほぼ居ないのよ。
だから。愛することのできる人間で在りなさい。手を差し伸べられる人間になりなさい。
誰かと関わることを恐れずにいなさい。世界に絶望しても、愛に絶望してはいけないわ』

握り締められたロザリオ。
今なら解る。母も、絶望の淵に立っていたということが。
噛み締めるように齎された言葉の重み。
哀しみに打ちひしがれて、憎むことだけに捕らわれそうになっていたのは、母も同じだったのだ。
だからこそ、言い聞かせていたのだろう。オレに。そして、自分自身に。
神がいても、いなくても。愛し合うことの出来る誰かが、世界にはいる。
手を伸ばすことさえ、できるのならば。

掌の中の壊れ物。握りつぶさないように、包み込む宝物。
降りていくのならば、追いかけることはしないけれど。
茜色に染まり始めた空を眺めながら思う。
"沢山の人間があンたを愛しているように。オレもあンたを愛している―――他の誰を愛するよりも深く"
切り離された空間に在るコイビトを想う。
―――だから。あンたも"愛せる"といいな。




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