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 Llave (鍵)
 
 「一番生きてると思うときってどんなとき、」
 落ち着いた色合い、どこかオリエンタルな色調。厚手の絹のクッションに半ば埋もれて、いわば。待ち人来たらず、そんな風情で
 身体を伸ばしていたなら。
 静かな声があやすように訊いてきた。
 肩から半ば落ちかかっていた繭色のシルク、そのシャツが緩くまとわりつく腕にやんわりとつけていた顔を上げる。
 かるく梳き上げていただけの前髪が視界を少しだけ覆っていった。
 「生きてる、って…?」
 伸ばした腕に頤を軽く預ける。
 「んー…なんていうんだろうね、―――魂が在ると思う時、かな」
 「誰かに求められてるとき、望まれているとき、」
 く、と口元に笑みを乗せた。
 
 「そうじゃない時は、どうなってる?」
 静かな声と、時間を切り取っていく音がしている。意識にすら上らないほどずっと、聞こえていた音。
 「―――タイクツだよ、」
 「生きてる?」
 肘を金糸の房が長く垂れる絹に付き、半身を起こし。声のする方を軽く見遣った。
 首を横に振ってみせる。返答。
 「今はどう?」
 あやすような声に、微笑む。
 「おれを通過してその先をみつめる眼差しでも。望まれているのはわかるよ、」
 
 「―――演じるってどういうこと?」
 「自分を明け渡すこと、望むもの以上にして返すこと、あとは―――」
 耳に心地良い、低すぎずそれでいてあまい声。その齎す言葉は幼いほど、他意が無い。
 純粋な出所、それを知る。
 
 「生きている瞬間は、演じている?」
 「―――ん?」
 「それとも。演じている間だけ、生きてた?」
 身体を起こしたとき、するりと絹が肩を滑り腕の半ばまで落ちていった。片袖。
 思い出してみる、記憶の底を浚って。
 一瞬一瞬を。微かに、切り取られていっていることを意識した、ごく僅か。
 「混ざり合ってた、わからないな……」
 さら、と。
 レェスの襟元が胸の上を柔らかく流れ込んできた夜風でひら、と広がり覆っていった、一瞬。
 
 「役者を辞めたのに、理由はある?」
 問うものへ向かって、片腕分の距離だけ近付いた。
 「タイクツが追いついた、」
 「タイクツはアンタを殺すのか、」
 ぼんやりと暗い部屋の隅に忘れられたようにひろがる白いケープ、それを視界に入れた。
 「そう、おれはね、ゆっくり死んでた」
 少し、溜め息のように呟いたリカルドに眼差しをあわせる。
 「……“本当は死んでおきたかった、”」
 あぁ、その通り。オマエはいい視をしてるね、ほんとうに。
 言葉にせず、表情で告げる。
 
 「死ぬのは、でも難しい」
 リカルドが少しだけ笑う。
 「おれは、」
 ひら、と片手を僅かに上向ける。
 「悲観主義者のエピキュリアンじゃなくて、ただのエピキュリアンだからね」
 自分一人がが死体になるのだけじゃ、充分じゃなかったんだきっと、と。笑みを刻んでみる。
 「マクシー、あぁ、マックスは。それを“キバ”って言ってたな」
 腕を伸ばし、リカルドが先に持ち込んできた銀の足のついたゴブレットに手を伸ばす。
 血の赤、それよりも濃い液体が注がれていたソレ。空気に触れて、錆じみた味が強まっていた。
 クリスタルの縁越しに、マクシーを想ったのだろうリカルドが、ふわりと笑みを過ぎらせたのが見えた。
 
 「おれは蛇みたいなモノで。口付けてからハジメテ、冷たい舌を持ちキバがあるのを知るバカが多すぎる―――、かな?
 そう言ってわらってたよ」
 喉元を晒して、赤を飲み干して行く。
 「アンタはでも、そうやって生きていることを感じ取っていた、」
 「そう、魅了しなけりゃハジマラナイ」
 あやすような声に、演じた表情の一つを乗せた。
 「たかが笑い顔ひとつ、泣き顔一つ、下らないほどカンタン」
 「……渇いただろ、」
 “優しい”声だ。最後はおれを守ろうとして、死んだオンナとどこか同じ。
 『愛するものがひとつとは限らない、』そう語ったコイビトの声も聞こえた気がした。
 「渇くよ、おれに捧げると言われて掴みだされた心臓を喰っちまっても、それでも餓えていたのと一緒」
 
 なぁ、リカァルド―――?と問い掛けた。
 写真家が静かに切り取って行く、空間。
 注意を払いながらも、聴いているとわかる。
 辛うじて、繭色の布地を半身に引き止めていた細長い、銀糸で縫い込まれたリボンを最後まで引いていった、指先で。
 卑下しているわけじゃない、在り得ない。ただ。
 「身を捨てるほどの何があるんだろうね……?値するだけの何が」
 ただの身体、ただの快楽、おざなりなアイジョウ。
 ―――違うか?と問う。
 焼かれるのがわかって、炎に手を翳すニンゲン。
 身を焦がしても、愛していると唇は綴って。
 その舌と唇とを噛んで、おれはわらっていたのに。
 混沌のなかの生、豊穣と殺戮……?「おれ」の中に幻を見ているだけだろうに。
 おれの中身は、生暖かくて底がない闇みたいなモンだろうに。
 
 「オレに解る答え、欲しい?」
 頷く。
 さら、とまた視界を赤が流れた。
 「輝くものが欲しいんだよ」
 月でも、星でも、太陽でも、と。
 リカァルド、と。音に乗せられるだけの一番微かなトーンで呼びかけた。
 「なに、」
 「オマエはおれの何が好き、」
 欲されていないことを百も承知の相手に聞くには物好きな問い。
 けれど、アイジョウばかりを喰ってきた癖は、そうカンタンには身体から抜け落ちない。
 「赤」
 
 「赤、」
 繰り返した。
 同じことを、撮影のときにリカルドの「エベレスト」にも訊いた。
 アンドリューも、―――同じ答えを躊躇わずに寄越してきて。そして、ファインダー越しにあわせていた眼差しを直に触れるソレに
 変えて。
 例の台詞を言ってきた。
 『赤は赤でも。焼き尽くす方だな、ミューズなんてカワイイもんじゃない。カーリー』
 文句の一つも言おうとしたなら、軽く唇を合わされて、あとは。『若気の至り』。
 身体を重ねて、熱を分け合った。
 失恋したてだったアシスタントフォトグラファ様。
 すぐにセックス抜きの遊び仲間に戻ったけれども。あのとき墓穴に突っ込んでいた片足、それを掴んで引き戻してくれたのは、
 そのときの「作品」だったのかもしれない。
 
 す、と意識を戻した。
 「オマエは……じゃあ赤に何を見るんだ?」
 空になったゴブレットを倒す。
 「オレには、アンタは硝子に見える」
 「―――硝子…、」
 赤の色硝子、ヴェネチアン・レッド……?
 「中に傷があって、闇を閉じ込めたペーパウェイトみたいだと思う」
 起こしていた半身をまたベッドへ伏せた。
 「みえちまったのなら仕方ない、」
 傷、の言葉に小さく返す。
 「共鳴するには、それだけの幅がないと無理だろう、」
 「お蔭で愛されてるさ」
 小さく笑うリカルドに、笑みで返す。
 
 「違う、」
 背中に直にあたる絹のひやりとした冷たさに閉じた目を、開けた。
 そうじゃない、と続けられて。
 なに、と。音にせずに唇で模る。
 背を僅かに浮かせて、腕で半身を半ば支えて。
 「傷を愛しちゃいけないんだ。傷を持ったアンタを愛さなきゃ」
 「器が上モノ過ぎるからねェ」
 と。
 諧謔混ざりに応じる。
 
 「生き物は総て熱を放ってるって知ってる?」
 あ、わらったな、と小声で甘えてから。頷いた。
 「火は、だいたい赤だろ?高温のガスになると、青だったりもするけど」
 眼で、「まだ来ない待ち人」を探す。どんな瞬間にも切り取られていっている。
 「うん……?」
 先を促がし。
 「アンタの赤は、あまりにも見事な色だから。みんな間違える。アンタの炎は鮮やかに燃え盛ってるモンだって」
 喉元に遊ばせていた指先。それを肌の上に留めた。
 「ここに巻かれた真綿は見えない、ってね…?」
 鮮やかに燃える炎、それは生きている、ということの同義語なんだろう、リカルドにとって。
 
 「キレイだからね。目が眩むんだ、」
 「―――オマエは違うね、」
 腕をリネンに落とす。
 顔を向けずに言った。
 「オマエはおれに何をくれるの、」
 ゆら、と暗がりが揺れたかと思った。目を閉じる。
 「痛みと、真実と、希望、かな。そう在れればいいと願ってる」
 「アイジョウ、は大前提?」
 身体ごと向き直る。
 「言うまでもないことだから外してある?それともそれは無し……?」
 
 「愛情がないのに向き合う時間なんてあると思うか?」
 「おまえから聞きたいんだよ、あまえてるだけ」
 コイビトの親友らし過ぎる答えに薄く笑みを浮かべる。
 「愛するって言った、アンタに」
 「―――気分がイイ、うれしい」
 勝手に笑みが零れていった。
 「生きてる、ってわかる」
 
 なにもない空間に向かって腕を伸ばし。
 抱き寄せるように腕を折った。
 「オマエを抱きしめられればいいのに、」
 また、目を閉じた。
 「オレはアンタの炎を大きくはしてやれないよ」
 「いま、おれ。まっさらなのに」
 「知ってる。小さな蝋燭の明かりみたいだ」
 「すきだよ、あいしてる」
 祈りの言葉めいて、音にする。
 
 「シャンクス、」
 名を呼ばれて。
 すい、と額に口付けられた。
 さらり、と。その肩に掌で触れる。
 しん、と。ハジメテこの部屋から音が無くなった、すべて。
 掌が布地越しに伝える体温、生きている証、それを覚えこんで。
 そうっと低い声が届いた。
 「だから、そうしてやれる人を呼ぶ。オレはアンタを失くしたくないからな」
 
 ―――それって。すげぇ告白な気がする。
 多分、いままでで一番甘い声、それが勝手に。リカルドの名前を綴っていった。
 「なに、」
 「唇には…?」
 羽根が唇に落ちてきたかと。
 とん、と軽く触れ合わせ、体温を交わすほんの僅か。
 そして、呟き。
 生きて出会えてよかったよな、と。
 落とされた。
 
 いま、内にひろがる感情は。紛れも無く愛情なんだろう。
 す、と気配が部屋から無くなり。
 息を一瞬詰めてから、長く吐いていった。指先からふわりとした何かが拡がる。
 穏やかな。けれど、それでいて。
 銀の鈴が転がるように、渇いて餓えている感覚は身体の底に残ってもそれはむしろ。
 相反してどこかあまったるい。
 引き毟り抉り出したくなるソレとは違っていた。
 セックスより深い…?確かにね。
 満たされは――――しねェけれども。業が深いっていえば、それまで。
 けどさ……?
 
 
 
 
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