Epilògo (エピローグ)
ケイタイを持たずに食事に出かけ、コーヒーを飲みにジーンの処へ寄ったなら。すい、と撫で付けた頭を傾けていた。
珍しい、とからかい混じりに呟いて、クローヴァの絵を描きだしていたカプチーノのカップをジーンが置いていた。
「そう?偶には一人の時だってある」
小さなフランス語の呟きで返される。翻訳すれば、『おやおや、』とでも。
「魅力的な子は」
にこ、と笑み。
「両方ともね、飛んでったよ。片方はそろそろ戻るけど、アナタのお好みはどうだろう?いま羽根をみつけたばかりなんだ」
「あのこのために、良い風が吹いているといいね」
笑みと一緒に返されて。
そうだね、と答え。ちょい、と指先で引き寄せ頬へ軽く口付けた。
―――リカァルド、どこまで飛んでるかな。そろそろメキシコ辺りへは到達、って?
真夜中過ぎに部屋に帰れば、リヴィングに放り出してあったケイタイが着信メッセージあり、の表示をしていて。
取り上げてチェックする、ざ、と並んだ中の最後、再生したのは2件。
『ロンドンに帰って来た。なぁ、心臓が痛いんだけど。このままだと長くないかもオレ』思わず笑っちまったセバスティアンからの
ものと。
す、と。機械が再生しても低く通る声が。
日付、あぁ、もう今日か。午前中の便で戻ること、それからフライトナンヴァと到着予定時刻をさら、と告げてきていた。
ええと、ベンは。――――あ、そうだ。タヒチからだ、帰ってくるの。
「昼前にはお戻り、と」
ガス入りの水を冷蔵庫から引き出して、ソファに埋もれた。
ヴァ―ミリオンには滞在予定日数分、スティしていた。結局、真剣にリカァルドがあれ以降撮る事は無くて。カメラ片手に、
空間と遊んでいるように残りの日を過ごしていた。
小さく口端に笑みを乗せて。好きなように景色を切り抜いていっていた、思いつくままにいろいろな場面を。そんなリカルドを視界に
いれているのは楽しかった。
そして、上機嫌なフォトグラファが切り取っていたのは咥えタバコで料理中の俄料理人だとか、テラスに来た鳥であるとか。
風呂上りで髪が濡れっぱなしのおれだとか。穏やかに、三角のバランスのなかで自由に息をしている、そんな時間。
この家に戻ってから、すぐに。
『いいコでいろよ』そんなセリフと軽いキスを、すう、と抱きしめながら寄越して。
リカルドには、『飛ぶんだろ、またな』。言葉と連中の挨拶。拳を軽くあわせて、それからハグと背中を軽く叩いて。ベンはタヒチへと
向かい。
それから3日後に、リカルドも出発していた。メキシコまで行く、と言って。
風に乗りたそうな目をしてたけど、ベンが発ったあと一緒に3日残ってくれていたのは愛情ゆえ、と素直に思うことにした。
ジープの窓から身体を半分ドライヴァーズシートに寄せて、「ハガキくれよな、」と忘れずに言った。
だってあの字、見たいよな?それと、旅先からの時間の欠片。
「寂しいからサ、」と言えば。
「じゃあシャンクスまたな、」
笑み、さらりと頬にキス。それから一言。
「気付いたら送る、それでイイ?」
「ん。思い出したらでイイ、」
そして笑った。
「オマエ、ほんっと生意気!」
あ、イラナイ?そう言って、にぃ、とわらった口元に。
「欲しいに決ってら、」
とん、とキスを付け足して。見送った。
それが、4日前。
ソファに埋まり直す。
あの風情が懐かしいぞ、おれは。参ったな、そんなに惚れたか?
腕を伸ばして、出しっぱなしだったシャシンのファイルを引き寄せた。「こっち」へ来てからのものと、それより前のものと。
妙に秩序だって整理されている気がするのは、フォトグラファの親友が手を出したのかな、纏めるときにでも。
バラバラなようでいて、トーンが流れて行く具合や時間の経過がなんとなく統合されてる。
―――ライターやめてエディターにでもなれ、ってな?
あと十何時間かで戻ってくるコイビトに向かって思う。
適当に開いた先、そこにあったのは。
溶け出しそうに潤んだ翠の目。深い悦楽に委ねきった顔をしたジブンだった。
こういうカオ撮っておいて、仕上がりが欲情しないってドウナンダ?と最初に見たときにフォトグラファに言った。
引き伸ばされた身体の線、それが情事の最中であることはやんわりと告げていながら。身体を引き起こしている腕は、空間の外に
在ったことも暗示して。
『鳥のメイティング見て欲情しないだろう?』
さもアタリマエのようにリカルドが言い。
『おれ、―――トリ??』
両手を空に掲げたっけ。
言葉にリカルドも笑って。
『花でもいいよ、』
にこお、と笑みを乗せたままで見詰め返され。
なんだかどうでもよくなっちまった。煽ることと、魅了することの差とか。
深く交わって、喜悦の最中にあっても。快楽に涙を零していても。齎されない唇を請うていても。
リカルドの視を通せば、こんなにも―――
欲情や劣情は全て流されて。切り取られた者はどこか幸せそうで、包み込む愛情が底に見える。
身体を繋げる行為は。生と死と交わることで、喜悦の瞬間を『小さな死』と呼ぶくらいだ、そんなことを言ったのは誰だったかな。
エロスと、タナトス。創造と消失、情動と衝動。性愛の後ろに潜むマイナスの感情。
けれども、写し取られたこのモノは。
マイナスを浄化されて、いうなればプラスに転化……?死の誘惑の無い喜悦、そんななかに浸っていた。
抱きしめる腕を恋しいと思う、けれど―――欲情とは違う。
気泡を立ち上らせているグラスを引き寄せて、水を飲んだ。
喉を滑って行く冷たさ。
グラスの縁から供されるより、さらりとした熱、あの唇から齎される方が「あまい」。
底にずっと蹲る渇きと小さな餓え。
「――――ちぇ、」
クッションにカオを埋めた。
「それになんで禁欲してンだ、おれ」
ぱら、と指先で頁を捲り。
ヴァ―ミリオンのシンプルなそれでいてどこか時代不詳のキッチンで、少しばかり俯き加減でなにかしている咥えタバコの
コイビトのシャシンを眺めた。
時代の境が曖昧、だけどこのオトコが画面に在るから。「いま」なんだな、とわかる。
無駄に真面目な顔してンじゃねぇぞ、と。シャシンのカオを指先で弾いた。
楽しげな、それでいて眼差しがどこか真摯、ってヤツ。――――フン。好きな顔、ってな。
これは―――あぁそうだ。
意識がなくなるまで抱き合って、次の日は、結局一日何もせずにいた。そのときに食べた同じデザァトのリクエストをしたときに
撮ったんだ、たしか。
ふわふわと浮きっぱなしの覚束ない意識が、好きな色味ばかりが集められた八重咲きのバラが零れそうなもの、それを見たと
思ったなら。
リカルドがちゃんと切り取っていたソレも、ファイルに収まっていた。
あの部屋で過ごした時間は。
おれのなかできっと長く残るんだろう、どんな些細なことでも。
そのどの瞬間にも、酷く自然に流れているのは――――
ふ、と。
真夜中、夜明け前の静けさが耳に付いた。
寂しくは無い、ただ。欠けているものを知っているだけだ。
迎えになんか行ってやらないけれど。
誰かを待つ、なんてことは。
―――オマエのほかに、したことがないんだ。
「はやく返って来い……?」
する、と。シャシンの横顔を指先で撫でた。
「待ってるんだからさ、」
はやく、朝が来ればいいのにな。
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